恋の予感はするかしら?
一度、ディマとともに遠目にアリア・ルトゥムを見に行った。夕暮れ時、家へと帰る彼女の姿は、小説で思い描いていたとおりの少女だった。
明るくて、はきはきしていて、とびきり愛らしくて――心が揺れる。わたしが憧れるもの、すべてを詰め込んだような人だった。
淡い茶色い髪の毛は、ふわふわとウェーブがかって風に揺れる。背はそれほど高くはないけれど、元気に動くから存在感はある。目は赤みさす茶色だろうか、遠くからだと確認できないけれど、小説の通りなら多分そうだ。
「可愛い子」
彼女の家から妹が出てきて、嬉しそうに手を引いて、二人して扉の中へと入っていく。
あれがこの世界の主人公なのだ。前世、孤独なわたしの心を慰めてくれた、夢中になって追った物語の中の、優しくて強い女の子。
「僕らは彼女と敵対するかもしれない。情があるのなら、今のうちに捨てておけよ」
ディマはそう言った。
それからディマは、アリアにすぐに会いに行った。
自分の身分を明かし、魔力の強さを見込んで、宮廷で働いて欲しいと申し出たのだ。アリアは驚きつつも、承諾したという。いくつも仕事を掛け持ちし、朝から晩まで働き続けるより、宮廷で職を得た方がいいということは、誰もが考えることだった。
宮廷に来たアリアは、謁見の間で、わたしとオーランドに向かい合った。
オーランドはディマからこう聞いたはずだ。聖女に匹敵するほど魔力のある少女を見つけたから、ぜひ会って欲しいと。
職を与えるか、そうして与えたとして、どのような職かは、オーランドが会ってから決めるとされた。
アリアは、小説と同じように、素朴な服で現れた。ディマが貸そうとしたわたしのドレスを断ったのだ。彼女がいつも着る、町娘の格好だった。
わたしたちの側に控える家臣たちが、彼女の場違いな姿を見てざわめいた。
それでも、彼女には隠しきれない魅力がある。真夏の向日葵のような強烈な眩しさが、その体に宿っているかのようだった。
透けるような薄い茶色の髪はふわりと降ろされ、瞳は陽の光を受け、ルビーのように赤くきらめいた。
彼女の側に更に寄りたいと思うのは、ディマの言う闇の魔術のせいなのかしら。
ディマに手を引かれ、まっすぐにオーランドを見つめる彼女の表情は、戸惑いと希望に輝いているように見えた。
「オーランド様、私が見つけた例の少女です。魔法を使うのに、イリスと同じく、魔法陣を使いません。名はアリア・ルトゥム。祖父の代に異国から移り住んだ鍛冶屋ですが、彼女の父の代で店はしまっています。今は帝都郊外に、妹と住んでいます」
さっと彼女の紹介を済ませたディマは、恭しく彼女を、オーランドとわたしの前へと進ませた。
アリアはわたしたちの前へ進み出ると、わたしが初めて帝都に来た時と同じように、玉座の前でお辞儀をした。
「ローザリア帝国のお日さま、皇帝陛下。そうしてお月さま、イリス様。お目にかかれるという本日の光栄に、心からシューメルナ様に感謝いたします。アリア・ルトゥムと申します」
初めて聞く彼女の声は、高すもせず、低すぎもせず、聞いた瞬間、ああ、アリアだと思えるほどに、想像していたとおりの心地よい声色だった。
彼女は皇帝と聖女にも怯むことなく、堂々と言った。
「わたしの魔力は聖女様に匹敵するほどだと、そこにいらっしゃるディミトリオス・テミス様から言われております。どうか仕事をいただけないでしょうか。必ずお役に立ってみせます」
職を得るために彼女も必死なのだろう。幼い妹を養わなくてはならないのだから。
わたしは横目でオーランドを盗み見た。ヒロインとヒーローの初対面だ。恋の予感を横顔に探ったけれど、オーランドはいつも通りの微笑を携えているだけだった。
「どう役に立つというのだ?」
彼はもうアリアに恋をしているのだろうか。声からは読み取れない。
アリアも微笑み答えた。
「わたしがこの宮廷に入れば、聖女様のご多忙も緩和できると思いますわ」
「ではあなたが、兵士に強化魔法をかけ、世界中から謁見を願う者の相手をするというのか」
「信者の方々は聖女様に会うために集まっております。そのお相手はできませんが、兵士様方の強化は可能ですわ。他にも、魔力が必要な場所では、わたしがイリス・テミス様の代わりを務めます」
挑むようなアリアの視線だった。
アリアがこの場に来たのは、ディマに呼ばれたからだ。積極性はないはずなのに、彼女は自分を上手く売り込んでいるし、オーランドの言葉にも、予期していたかのように動じなかった。
「代わりだと?」
オーランドの瞳に珍しく怒りが宿ったように思えた。彼はわたしをちらりと見てから、再びアリアを見下ろした。
「あなたはこのイリスが、どのように我がローザリアに貢献してきたのか、知っているのか」
こんなことを問われるとは思っていなかったのだろうか。アリアは、ほんの少しだけ戸惑ったように答える。
「誰にもできないことを。毎日シューメルナ様にお祈りをし、民の信仰を率いています」
オーランドは目を細めた。
「戦場で、イリスは兵を無血の勝利に導いたのだ。のみならず、自ら兵を率い、領地と民を救った。命を顧みずにだ。あなたにその代わりが務まると言うのか? 兵士の士気を極限まで高め、聖女のためなら命を捨てても構わないと、そう思わせることができるというのか」
一瞬、ディマと、目線を合わせた。
小説ではオーランドは、アリアをすんなりと認め、城への出入りを許可したのだ。この場でもそうなるかと考えていたけれど、読みが甘かった。
けれど――。
「陛下、聖女様は唯一無二でありますが、その少女の魔力も相当に高いものだと私も考えています。この宮廷で職を与えることは、是であると思いますが」
それはルカ・リオンテールの意見だった。わたしも彼に同意する。
「わたしも、ルカ様と同意見です。わたし一人では限界もございます。彼女の魔力が高いのであれば、今までにも増して民の要望も聞き入れることができますわ」
珍しく、わたしとルカの意見が一致した。
そもそも、アリアがどのような人物なのか、既にルカもオーランドも知っているのだ。彼女をここに連れて来る前に、ディマが事細かに説明したのだから。力の強い魔法使いは重用するに越したことはない。だからこの場はオーランドが彼女を認めれば済んで終わるはずだった。
彼が引っかかったのは、聖女の代わりという一言だったのだろう。アリアもすぐにそれを察知したらしい。
「聖女様の代わりなどと、大それたことを言ったことをお詫び申し上げます。微力ながら、この帝国と皇帝陛下に尽くすお許しをください。――それからもちろん、イリス様にも」
付け足されたような気がするのは気のせいかしら?
ディマも気づいたのか、笑いを堪えるように口の端を引き締めていた。
結局、元々の予定通り、オーランドはアリアを認め、職は当面、わたしの仕事の補佐ということになった。彼女は一度家へと戻り、妹と離れ、城に移り住むという。
アリアが謁見の間から去った後も、わたしは予定を断り、オーランドと一緒にいた。
このところ、わたしはオーランドと一緒にいることが多かった。突然甘え始めた婚約者を不気味に思っているかもしれないけれど、オーランドは微笑み一つで了承してくれる。
今日まで、オーランドに危機はない。
小説と同じ展開なら、裏切り者の兵士達に、オーランドが襲われかけるという展開になるはずだ。
同じようなことが起こるかは分からないけれど、小説で兵士達をけしかけたのは、フォーマルハウトの分家の者で、彼らはこの世界にも存在している。小説では後にルカによって彼らは処刑されるのだ。前もって彼らを調べたけれど、怪しい動きはなかった。
裏切りそうな兵士達に心当たりはなく、だからできることは、なるべくオーランドの側にいて、守ってあげることだった。わたしの予定をすべて断るわけにはいかない。そういう時は、ディマがオーランドの側に控えていた。
わたしたちは代わる代わる、彼の側にいたのだ。けれど裏切りの気配は、今のところ感じられない。
小説では、アリアが現れた日にオーランドは襲われかける。時間は夕刻、場所は中庭だった。だから、今日である可能性が一番高い。
アリアに助けさせればいいと、単純には思えなかった。小説通りにアリアが助けてくれるとは限らないし、万が一オーランドが怪我でも負ったら笑えない。
「今日も、オーランド様とご一緒していてもよろしいでしょうか」
オーランドは快諾した。
「もちろんさ。一緒にいよう」
心なしか嬉しそうな表情に思えるけれど、きっとわたしの気のせいでしょう。




