彼と彼女の密談
ルカ・リオンテール
城にある執務室から、ルカ・リオンテールは夕闇に包まれる中庭を見下ろした。聖女イリスとその兄ディミトリオスが、丁度、連れ立って戻って来るところだった。部屋が別棟にあるため、城に入る直前で二人は別れる。
別段、面白みもない風景だった。
ルカは窓から視線を、執務室にいる女に戻した。先ほどから彼女は我が物顔で来客用の椅子に座り、優雅に茶を飲んでいる。
金髪を見事に結い、どこで生地を仕入れるのか、異国調の真紅の派手なドレスを身に纏っていた。
突然帝都に現れたミア・クリステルは、ルカに会いたいと執務室に押しかけてきた。そのくせ、話すのは大した内容ではなく、つまらない世間話だ。邪険にもできないのは、クリステル家が未だ有力な家であるからだ。数ヶ月前に、反逆行為をしたにも関わらず。
ふふ、と彼女はルカを見て笑った。
「イリスとディミトリオスですか? あの二人は兄妹以上に仲がいいと、噂がありますね。わたくし達の可愛い甥っ子は、随分と気にしているようだわ。顔を見れば分かります」
「しかし兄妹だ。陛下は聖女様の兄であるから目をかけているだけであって、特段、気にするような者ではない」
「どうかしらね?」
言ってからミアは、茶を一口飲んだ。
「由々しき事態だと思っていることでしょうね」
「なんのことだ」
「可愛いオーランドが、自我を持つことを」
ディミトリオスの帰国を、ルカにとっても甥に当たるオーランドは、独断で許していた。ディミトリオスの帰国自体に問題はない。神学校で優秀な成績を収めていると聞いていた故、いずれは国に戻る人材だと考えていた。
問題があるとするならば、ミアの言うように、ルカの判断を仰ぐことなく、オーランドがディミトリオスを許したことだった。
だがルカは、その問題を、ミアと語り合う気などさらさらなかった。
「由々しき事態というのは、あなたが突然現れたことの方だな、クリステル夫人。よくものうのうと私の前に姿を現せたものだ」
「お父上に叱られて泣きべそをかいていた鼻垂れ少年が、随分と偉そうな口を利くようになったこと。夫の見舞いついでに、古い友人に会って何が悪いのかしら?」
ルカは静かにミアを見下ろした。
クリステル家の処分は、罪に比べ随分と軽いものだった。領地の一部と私兵を期限付きで没収され、当主は帝都の牢に閉じ込められただけだ。家の者は誰も死なず、反乱は終わった。実質的なクリステル家の支配者はミアなのだから、夫が不在なところで、打撃はさほどもないだろう。
それは聖女の力によるところが大きい。誰も死んでおらず、被害はなかったのだから、この争いはこれで終わらせるべきだと言い、オーランドは頷いた。
クリステル家が持つ領地は国土の五分の一を占める。この反乱の罰として奪うべきだとルカはオーランドに忠告したが、彼はイリスの意見を採用した。
もっとも現状維持としてクリステル家の領地を残すのは、降伏した褒美として悪くはない考えではあり、ルカもそれ以上は反対しなかった。むやみやたらに弱体化させ、次こそ死物狂いで反乱を起こされたらたまったものではない。皇帝家出身のミアに付き従う者も、未だにいるのだから。
クリステル家から全て奪うのは、この女狐が死んだ後でも遅くはない。
「ローザリアも随分と生ぬるい国になりましたね。わたくしの弟たちの時代なら、クリステル家は一家全員処刑になっていたはずですもの」
「それをあなたがおっしゃるのか。皇帝陛下と聖女様の慈悲の下、呼吸ができていることをお忘れか?」
ミアはまたしても薄く笑う。
「ルカ、知っていて? わたくし、王になりたかったのですよ」
唐突に彼女は言った。
「だって長子はわたくしだったのよ。セオドアとリオンが王になれて、なぜわたくしはなれないのかと父上に訴え、頬を殴られました。お前は女なのだから、男に従い、産んで増やすために存在するのだと。父上はそうおっしゃいましたが――そんなはずはないと、思いました。
わたくしは弟たちよりも頭が良く、彼らよりも余程残忍でしたから、きっとローザリアに馴染む善い王になるはずだと考えていました。もし弟たちに子が恵まれず、わたくしよりも早く死んだら、わたくしこそが王になろうと、密かに思ったものですよ。結局、機会には恵まれませんでしたけれどね。
ですから聖女イリスが男たちを翻弄し、上に立ち率いる姿は、多少の溜飲が下がります。彼女は男に従わず、産むことも求められていませんから。わたくし、彼女のことがとても気に入っていますわ」
「あなたは一体、なんの話をしている」
ルカは彼女の真意を測りかねた。
「セオドアは私生児をたくさんこさえましたが、誰も生き残りませんでした。リオンもサーリを何度も孕ませましたが、無事に成長したのはオーランドだけね。
たった一つの種が芽吹き、あなたの企みも、今までは順調だったのでしょう。ですが完璧な謀りなどどこにもないものよ。陰謀はいずれ暴かれ、さらなる地獄を重ねることになるでしょう。
可哀想なサーリ。彼女の精神はますます疲弊していくのね。弟が、秘密を闇に葬り去ったから」
「減らず口を叩きに来たのなら、今ここであなたの首を切り落としてもいい。敵地に丸腰で戦いを挑む精神は讃えるが、あいにく私の好みではないな」
ミアは声を上げて笑った。ルカが自分を殺すはずがないと信じているようだ。だがルカは半ば本気だった。
ミアは未だに笑いながら、ルカに言う。
「でもわたくし、本当はあなたに助言を与えたくて来たのよ。先に潰しておかないと、取り返しのつかないことになる。あなたが何よりも大切にしている、オーランドがひどい目に遭うことよ。でもわたくしにはどうしようもできないの。だって主人は罪人で、わたくしたちもか弱い女なんですもの」
言葉とは裏腹に、彼女の瞳は愉悦に光り、そうして言った。
「処刑場で見たディミトリオスの瞳は、あんなに優しい色をしていたかしら?」
ルカは窓の外に目を向けた。もう人の気配はない。ディミトリオスは自室に戻ったようだ。
少年の目など、気にも留めなかった。
夏の処刑場を思い出す。あの処刑場で、幼い少年はまっすぐに処刑台に向かって歩いていた。自分は死なないと信じる彼は、実に堂々としているように思えた。彼の頭を切り落とすつもりでいたルカには、些か滑稽に映る。
だが処刑されかけ、それが止められた後も、少年はまるで恐怖を感じていないようだった。それどころか、憎しみの込もった目で、オーランドを睨みつけていた。
あの時の、少年の目は――。瞳の色は――……。
ミアの黄金の瞳がぎらりと輝き、悪魔のような囁き声が、聞こえた。
「ねえルカ。あなたはセオドアの子供を全員殺したと思っているでしょう? 果たして本当にそうなのかしら」
ミア・クリステルが部屋から出ていった後で、ルカは部下を数人呼んだ。いずれもリオンテール家が使っている子飼いで、口は固い人間達だ。
「調べろ。セオドア帝の愛人で、生き延びた者がいないか。妊娠していた者がいなかったか。死の報告が曖昧になっている者がいないか」
そこまで言って、ルカの脳裏にある女が思い浮かんだ。
艶やかな黒髪を持ち、大胆さと美貌で、ローザリアの娼婦と呼ばれた、女のことを。一人の部下に、ルカは命じた。
「お前はカミラ・ネストについて、その死因を洗い直せ。帝都から逃げる際、彼女は妊娠していたと噂がある。どこへ逃げ込み、誰が殺し、誰へと報告したかだ」
子供を助けて――。懇願する姉の声が、ルカの耳に蘇る。
なんと甘い考えだ。子供を生かしておくことは、自らを殺す行為に等しいというのに。
(だが切り札はこちらにある)
ヘル襲撃の先鋒を担ったスタンダリアの魔法兵。
そのうちの一人をクロード・ヴァリが捕らえ、おおよそ司祭らしからぬ方法で聞き出したネルド=カスタの企みは、拷問に同席していたタイラー・ガンから困惑と共にルカへと伝えられた。
だからネルド=カスタの実験場を焼いたのだ。そうして彼の成果は、今、ローザリアにあった。
潰さなくてはと、ルカは思う。
掌握し、上を行き、あらゆる犠牲を払ってでも、この帝国を滞りなく操縦するのが、ルカの役目だった。
すべてはサーリとオーランド、そうしてリオンテール家のために、ルカ・リオンテールはあるのだから。




