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イリス、今度はあなたの味方  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第三章 宮廷遊戯

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絵の中の彼女

イリス・テミス

 その日、以前の会話のとおり、わたしはディマと帝都に出かけることにした。

 わたしの見た目は目立ち過ぎるから、別の人に見えるように、魔法で外見を変えていた。誰もわたしを聖女イリスだとは思わないだろう。茶色に変えた髪の毛には、ディマに貰った青色のリボンをつける。


 部屋を出ると、ディマが待っていて、わたしを見ると微笑む。


「行こう」

 

 差し出された腕に、そっと手を乗せた。



 

 行き先を誰にも知られたくなくて、馬車を使わずに二人で歩いた。

 行きたかったところは、入り組んだ路地裏の先に発見できた。人通りはあまりなく、ひっそりしているその場所に佇むのは、小さな宿屋だった。


「あの! どなたか、いらっしゃいますか?」


 入り、声を掛けると、店の奥から老女が出てきた。わたしとディマを一瞥すると、ぶっきらぼうに言った。


「休憩? 泊まり?」


 慌てて目的を告げる。


「えっと、ごめんなさい。わたしたち客じゃなくて。ここに十数年前、エヴァレット・ノーマンという方が滞在していませんでしたか? 宮廷画家だった男の人です」


 後ろからディマが助け舟を出した。


「僕ら、彼の絵が好きで、ここに彼が滞在していたらしいって噂を聞いて、地方から出てきたんです。もしかしたら彼の描いた絵が残っているんじゃないかって思って」


 じっと老女はわたしたちを見た。


「客じゃない人間に、うちで保管している絵を見せるのかい」


 絵があるということだろうか。わたしたちは顔を見合わせ、頷き合った。


「休憩で」ディマは即座にそう言った。




 エヴァレット・ノーマン。

 皇太后サーリが病床でつぶやいた宮廷画家の名前だった。わたしは彼のことを探り始めていた。かつて宮廷にあったという彼が描いた絵は、処刑の際に焼かれてしまって、もう存在していない。

 どんな絵を描いた、どんな人物で、サーリやリオンとどのような繋がりがあったのか、確かめたかった。わずかな手がかりがあるのならばと、彼が滞在していた宿屋に来たのだ。

 宿屋が判明したのはお母様のおかげだ。かつて侍女だった時代、エヴァレットを宿屋まで呼びに行ったことがあったという。彼女の記憶を手がかりに、いくつか宿屋を探し回っていたのだ。

 

 部屋に通され、絵を持ってくるという老女を待ちながら、ディマはぼんやりと言った。


「宮廷に来てふた月が経とうとしてるけど、ひどい奴らばかりだ。イリスに取り次いでくれと、僕の懐に勝手に金を入れようとする奴さえいたよ」


 はあ、と彼はため息を吐く。


「信頼できる奴は誰だろう。イリスに恩を感じていて、いざという時に味方になってくれる人だ。これからアリアが現れて、彼女が聖女となった時、イリスに罪はないと庇ってくれる人は誰だと思う」


 小さな部屋で、彼と並んで、ソファー代わりにベッドに座る。一人用の、狭いベッドだった。


「ファブリシオ・フォルセティとルシオ・フォルセティは、信頼できるんじゃないかしら」


 いつだって親切なシルワ公爵一族を思いながらそう言った。


「それから、アール・ガモットかしら」

 

 大陸での戦いで将軍に任用した彼は、わたしに大きな感謝を寄せてくれていた。

 

「それと、ミア・クリステル――彼女は底が知れないけれど、領地と暮らしをほとんど同じような形で守ってあげたわ。わたしに恩があると言えばある」


 クリステル家の女傑を思い出す。反乱と侵略の戦いは一段落し、忙しさはあるけれど時間はできた。彼女の言葉についても、調べなくてはならなかった。

 考え込むようにディマが動き、ベッドが鈍い音を立てた。


「僕が思うのは、クロード先生と、ヘル総督のタイラー・ガンかな。あの人たちは、戦友のようなものだから、きっと力になってくれる」


 そう考えると、結構多い。わたしたちがあがき戦った分だけ、味方が増えていくような気がしていた。

 話していると、扉が叩かれる。先ほどの老女が、手に一冊の本を持って戻ってきた。


「彼の持ち物で残っているのはこれだけさ。強い魔法で鍵がかけられて、誰も開けず売り物にもならなかった。今じゃエヴァレット・ノーマンの所持品は貴重だから、汚したら弁償しな」


 そう言って去っていく。

 老女が出ていった瞬間、わたしは本に魔法をかけた。上書きされた魔法は、本を開かせる。


「日記か?」


「いいえ、スケッチのようだわ」


 多くは宮廷の風景や使用人たちの生活だ。

 けれどページをめくりながら、困惑した。

 進むにつれ、若く、美しい女性の姿ばかりが、描かれているのだと分かった。見覚えのある人。よく知る人だった。


「サーリ様だわ」


 ディマも目で追う。


「彼女の絵だらけだ」


 描かれている彼女の姿は、今とは違い健康的で、こちらに向かい、優しく慈愛に満ちた表情で笑いかけてきていた。線の柔らかさが、否応無しに、彼女に対する憧れを物語る。


「エヴァレットって奴はサーリに恋でもしてたのか?」


 わたしの持つスケッチ帳を、ディマが横からパラパラとめくる。

 あるページで指を止めた。

 当時の皇帝、セオドアの絵だった。演説の際のものだろうか。正装に身を包み、鋭い眼光で周囲を睨みつけている。単色の絵からは、黄金の瞳は読み取れない。


「僕に、似てる?」


 ディマが吐く息が、わたしの耳にかかった。


「ううん。全然。全然似ていないわ」


 言ってから笑いかけた。


「だってディマはディマだもの。イリスの大好きなお兄様だわ」


 瞬間、彼の目が見開かれたように思えた。


 わたしの手に彼の手が重ねられ、ゆっくりと本を閉じられる。

 戸惑いながら見上げると、今度は両手で頬を掴まれる。そのままディマはわたしにキスをした。

 触れるようなキスだ。再会して以来の、キスだった。


「だめよ」


 そっと離れようとしたけれど、腕を捕まれ阻まれる。

 

「前は許してくれただろ」


 抵抗しようと思えば振り払える。魔力はわたしの方が遥かに上だ。けれどそうはしなかった。


「ディマがわたしを好きなのは、一番側にいた女の子で、わたしがあなたよりませていたからだけだわ」


「違う、そんなんじゃない」


 言わなきゃ良かったと思った。ディマが傷ついたような表情をしたように見えたからだ。


「イリス、好きだ。本当に好きなんだ。離れていた間、ずっとイリスのことを考えていた。再会してからも、ずっと考えてる。イリスのことだけだ。僕には、イリスしかいない」


 もう何度目かの、愛の告白だった。

 再び強い力で引き寄せられ、言葉を交わす暇もなく、ベッドに押し倒された。狭いベッドが、ミシミシと軋む。


「ディマ、待って、だめよ!」

 

 止めようと伸ばした手はあっさりと捕まえられ、さっきよりも深いキスがある。ディマの手が、わたしに触れた。


 息が、苦しい。

 どうしてだろう。

 ずっと昔にも、こんなことがあったような気がする。嬉しくて、だけどそれ以上に、心が引き裂かれそうになったことが、あったような気がした。冷たい場所で、わたしは怖くて、何度も泣いていた。


 底なしの暗い穴に、突き落とされるような思いがした。この先に進んではだめだ。わたしを恐怖が支配する。無我夢中でもがき、叫んだ。

 

「いや! やめて、ディマ……お願い、こんなの、いや」


 はっと、ディマが息を呑んだ気配がした。

 手を掴んでいた力が、徐々に弱くなる。

 ディマの両手が、わたしの両頬に流れた涙を拭い去った。


「――ごめん」


 のろのろと、ディマはわたしの上から体をどけた。そのまま彼は、ベッドの端に腰掛ける。こちらに背を向けたまま、彼は言った。


「……僕は最低だ」


 ディマの声は掠れていた。


「僕の中に怪物がいる。そいつは怒りと憎しみだけを糧に生きているんだ。正体は分かってる。母を無理矢理犯し子供を生ませたあの男の血が、僕の中に流れているんだ。あいつと同じにはなりたくない。なのに、確実の僕の中にいる」


 わたしは体を起こし、彼の背を見つめた。


 小さな少年の頃、何度も隠れて泣いていた背と、重なる。

 悲しみに耐える小さな姿を思い出して、胸がぎゅっと締め付けられた。どうしていいのか分からずに、幼い頃と同じように、彼の震える背中を撫で続けた。


 やがて震える声で、ディマは言った。


「イリス、ごめん――。自分の弱さを、血のせいにした。わかってる、僕自身なんだ。イリスがオーランドと一緒に過ごす姿を目にするだけで、僕は、頭が狂ってしまいそうになる。イリスを僕だけのものにしたいと思っている、そんな自分が、恐ろしい。止めてくれて、ありがとう」


 ベッドの上に置いたわたしの片手に、熱を持った彼の手が重ねられた。


「もう、しない。もうしないから、嫌いにならないでくれ。僕を……好きだと、言ってくれ」


 懇願するかのような口調だった。

 ディマの手に、さらにもう片手を重ねる。


「好きよ、ディマ」

 

 ディマの体が、びくりと震えた。

 本当に好きよ。あなたと一緒に、生きていきたいって、わたし、そう思ってるの。

 手を握りあったまま、ディマの背に、体を預ける。


「ねえディマ。全部、終わったら。そうしたら、故郷に帰ろう。お父様とお母様と、ずっと一緒に暮らすの。

 もう誰も傷つけないし、傷つけられないその場所で、わたしたち、結婚して、おじいちゃんと、おばあちゃんになるまで、ずっとずっと一緒に、生きていくのよ――」


 うん、うん、と、ディマは何度も頷いた。 




 宿屋を出る時、老女に本を戻しながら言う。


「ありがとうございました。中は見れませんでしたわ」


 エヴァレットの本には、再び魔法で鍵をかけておいた。


「彼はどんな人だったんですか?」


 ディマの問いに、老女は淡々と答える。


「可哀想な男さ。芸術家肌と言うか、繊細でね。あれほど弱くて誠実な男もいないだろうが、ルカ・リオンテールはあっけなく殺しちまった」


「処刑されたのは時の皇帝陛下の悪口を言ったせいでしょう? ルカ様が命を奪ったわけではないんじゃないですか?」


 ルカのことは特段好きではないけれど、処刑の原因ではないはずで、思いがけず庇ってしまうような口調になった。

 けれど老女は首を横に振る。


「表向きはね。だがあの時代、そう言いがかりをつけては、テール家は気に食わない人間を処刑していた。リオンテールに改名してからは、随分と大人しいようだが、今でもルカ・リオンテールは危険な人間さね」


 ディマが問いかけた。

 

「エヴァレット・ノーマンを、ルカ・リオンテールはなぜ邪魔に思ったんです? 彼はただの画家でしょう。政治家じゃない」


「サーリ様に近づきすぎたんだ」


 老女はただ、それだけを答えた。


 帰途に着きながら、銘々の思いに考えを巡らせていた。ディマとの沈黙は嫌いではなかった。むしろ心地が良いとさえ思える。

 城の前の川辺に差し掛かったところで、ディマは言う。


「イリス、また出かけよう」


 それからディマは、わたしに顔を近づけた。キスかと思って身構えると、それは額にゆっくりと落ちる。


「口にされるかと思った?」


 顔が赤くなるのを感じた。


「冗談だよ」


 そう言って、ディマは笑った。

 ディマの笑顔が好きだ。悪役になるはずの彼が笑っていると、それだけでこの世界は正しいんだって、そういう風に思えたから。

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