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イリス、今度はあなたの味方  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第三章 宮廷遊戯

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彼は目を逸らして

オーランド・フォーマルハウト

 オーランドがその報せを受け取ったのは、領地ヘルから戻って、ひと月と少し経った頃だった。


「スタンダリア王国のジュリアン王が亡くなりました」


 ルカ・リオンテールは朝食の席にやってきて、声を潜めてオーランドにそう耳打ちをした。部屋には他に誰もいないが、オーランドもつられて声を下げた。


「何だと? なぜだ」


 表情には出さないものの、内面では混乱が渦巻いた。

 高齢ではなかったはずだ。ヘルで会った際も病気には見えなかった。だがルカがオーランドに嘘を付くとも思えない。

 立ったままルカは答えた。


「仔細はまだ分かりかねますが、馬上槍試合で対戦相手の槍が貫通し、落馬したとのことです」


「そんな馬鹿なことがあり得るものか」


 思わず眉を顰めたが、ルカは大真面目な顔をして首を横に振る。その仕草だけで、“馬鹿なこと”が事実であると分かってしまう。

 

「葬儀はスタンダリアで行われます。参列は不要ですが、哀悼の意を示す文面を書きましょう。私が代筆いたしますが」


「いや、私が書く。確認だけしてくれ」


 かしこまりました、と言って、ルカは一礼する。


 父帝リオンはオーランドが幼い頃に亡くなっている。

 故にルカは、オーランドにとって父に近い存在だった。教えを請い、従ってきた。しかしこのところ、ルカとオーランドの間には、今まで生じるはずもなかった溝が出来上がっている。

 原因はわかっていた。ディミトリオスの重用だ。オーランドは独断でディミトリオスの帰国を許し、側近に指名した。

 そのことに関してルカは何も言っては来なかったが、テミス家が宮廷で幅をきかせることを、よくは思っていないだろうと、オーランドは予想していた。


 だが、好き勝手に行動を起こしたという点では、ルカも似たりよったりではある。

 ルカに向かって、オーランドは問いかけた。


「ルカ。私がヘルに行っている間、帝都を空けていたようだな。どこにいた?」


 ルカは顔を上げる。その唇には、薄い笑みが浮かんでいた。


「領地に戻っておりました」


 笑みからは、本心は読み取れない。

 オーランドが不在の間、摂政はサーリが務めたが、病気がちの母にそのような大役ができるはずもなく、ルカが実質的には務めるのだと考えていた。しかし帰国し、その上つい最近知った話だが、彼は姉を放りだして、姿を消していたらしい。

 聖女が倒れたその一大事に、暢気を起こして領地に戻ったとは奇妙でしかない。

 

「そうか――」


 だがオーランドは、それ以上の詮索をしない。

 問い詰めたところで、本心を語る男ではないだろうし、一方で信頼もしていたからだ。ルカ・リオンテールが、オーランドのためを想って行動しなかったことなど、一度もないのだから。




 ジュリアンの死を伝えるべく、オーランドはイリスを待った。

 朝から彼女は、大聖堂に行っている。戻ったところを部屋に呼びつけても良いが、家来のように彼女を扱いたくはない。少なくとも、かような事実を伝える際には相応しくないように思えた。

 回廊で、彼女を待った。


 やがてイリスとディミトリオスが連れ立って戻って来た。聖女の送迎は、その兄がすべて担っていた。

 二人の間に会話はないようで、ただ静かに、並んで歩いているだけだ。

 それだけであるにも関わらず、彼らが連れ立って歩く姿は、あまりに完成されていた。祝福された幸福そのもので、何もかもを約束されたオーランドでさえも、一瞬、声をかけるのを気後れしてしまう。

 しかし声をかけることはなかった。それよりも早く、彼らがこちらに気付いたからだ。二人して、一礼する。


「イリス、話せるか」


 尋ねると、はい、と彼女は頷いた。呼応するように、ディミトリオスは言った。


「では僕はここで。オーランド様、御用がございましたらおよびつけくださいませ」


 ディミトリオスは爽やかに笑い、去っていく。

 あれほどイリスに呼んでほしかった名を、彼はいとも容易く呼んでみせる。ヘルで感じた圧など、今の彼からは微塵も感じられない。

 有能な男だった。語学堪能で、神学にも通じている。側に置いた判断は、聖女の兄という肩書がなくとも間違ってはいなかった。

 だがオーランドは忘れられない。

 かつてほんの少年だった頃、ディミトリオスが処刑台で浮かべた、憎悪の込もった眼差しを。

 だからだろうか。

 ディミトリオスがイリスを笑わせている姿を見ると、彼ら二人が腕を組んで歩く姿を見ると、彼の隣でイリスが安らいだような表情を浮かべているのを見ると、オーランドの心の中に、今まで抱いたことのなかった感情が浮かび上がってくるのは。それは皇帝か浮かべるには、あまりに滑稽な感情だった。


 部屋に入り、ソファーに向かい合って座った後で、ジュリアンの死をイリスに伝えると、彼女は大層驚いたようだった。ルカから聞いた話をそのまま言うと、複雑そうな表情を浮かべながらぽつりと言った。


「きっと、クロード先生も驚かれたに違いありませんね――」


 クロード・ヴァリはヘルに滞在後、本土へは戻らずに、スタンダリアにネルド=カスタの後任の聖密卿の補佐として赴いていた。此度の聖女誘拐事件は教皇庁にとっても激震が走ったようで、多くの司祭が方々を駆け回っているのだ。優秀な司祭のほとんどが、スタンダリアに駆り出されていた。

 

「聖女という立場のイリスから、哀悼の意を示すかどうかは、ルカやフォルセティ公が結論を出すだろう」


 はい、とイリスは頷いた。 

 沈黙が流れる。


 オーランドは、これ以上、彼女を部屋に留めておく術がないことに気が付いた。二人を繋ぎ止めている話題の多くが、政治的な話であるから、それが終わった以上、語ることがない。

 そこに思い至った後で、まるで違う話題を口にした。

 

「図書室で、あなたが読んだ本を見た。背表紙がひとつ収まりきっていないから、それを読んだのだと分かったのだが」


 言い訳のように言ってから、そもそもあれは自分が与えたものなのだから、彼女が読んだ本を後を追うように開いたことに後ろめたさを感じる必要はないのだと思い直す。

 イリスは顔を上げ、翡翠のような輝く瞳で、オーランドを見つめた。なんと美しい色だろうと、オーランドは思う。


「古代言語を調べていたのか」


 突然の話題の転換にも、驚くこともなくイリスは頷いた。


「はい、シューメルナ様の時代は、古代言語が使われていたのでしょう? シューメルナ様のお名前も、古代言語に響きが似ているから、由来があるのかと思ったのです。少し、勉強をしようと思って」


 それから彼女は困ったように眉を下げ、微笑を浮かべた。


「でも、そんな単語は見つけられませんでした。それに、聖典に書いていないんだもの。意味のあるお名前なら、きっと聖典に書いてあるはずですもの。わたしの気のせいだったんだと思います」


 いや、とオーランドは首を横に振った。


「シューメルナで一つの言葉ではないんだよ。二つの単語から成り立つ名だ。古代語に当てはめると、『シューム』は輝く、または奇跡で『ルナ』は石、岩、鉱物だ。『エ』が、接続詞だから、シューム・エ・ルナ。繋げてシューメルナだ。意味は奇跡の石か、輝く石といったところだろう」


「皆、知っていることなのですか?」


 イリスは目を丸くした。可愛い表情だと、オーランドは思う。


「あなたと婚約してから、私が調べたことだ。……だがこの考えを教皇に手紙で尋ねたところ、きっぱりと否定されてしまったから、やはり意味のない名前なのかもしれないな」


 それに、聖女の名前の意味としては、相応しくないように思える。

 だがイリスは別のことを思ったようだ。首飾りに付いている、小さな水晶に触れながら言った。

 

「教皇庁のあるエンデ国では、これと同じような水晶が採掘されると聞きました。聖なるものと石というのは、もしかしたら関係があるのかもしれませんね」


 だがオーランドが見たのは、その隣にぶら下がる、金の指輪の方だった。家族からの贈り物なのだと、いつか彼女は言っていた。父親が金を仕入れ、母親と兄が細工をした、愛情の込もった指輪だ。


「その指輪、とても、綺麗だ」


 またしても変わった話題に、イリスは微笑む。


「家族がいると、楽しいかい」


 彼女は素直に頷いた。

 

「はい、とても。父も、次こそ将軍になると意気込んでいました。手紙からその勢いが伝わってきそうなくらいでした。母と兄と、返事を書いているところです」


 オーランドは遠い日を思い出す。イリスの故郷と家族を奪ったあの頃を。

 彼女を帝都に置くために、必要なことだと信じて疑わなかった。

 

 だが今、愛おしそうに家族の話をする彼女を見て、何かとてつもない間違いを犯したのではないかと、そう思えた。

 彼女と家族を引き離さなくとも、側に置いておけた、方法があったのではないかと、考えてしまう。

 

 ディミトリオスを戻したのは、だからだった。贖罪や後悔など、オーランドには抱く隙さえないはずだった。だが――。皇帝である己が、やはり持つはずのない強烈な嫉妬と劣等感を抱きながらも、それでもイリスの側に、ディミトリオスを戻した。彼女の悲しげな表情を、軽蔑の入り混じった眼差しを、二度と見たくなかったからだ。


 そうしてオーランドは、自己の感情に、未だ気付かぬフリをした。オーランドがディミトリオスに抱く感情には、また別のものがあるということに。

 目を向けてしまえば、たちまち自分を失ってしまうと、気が付いていたからだ。

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