夜を駆ける
祝いは三日間も続いた。
わたしはジュリアン王や、彼の連れてきたスタンダリア貴族と順に踊る。踊りながら、昔見た夢のことを思い出した。
舞踏会で、アリアと踊るオーランドを、イリスが見つめていた夢だ。
その夢の中で、ディミトリオスはイリスを踊りに誘い出した。ディミトリオスに手を握られ、イリスは幸福に満たされた――そんな夢だった。
この場にディマがいたらきっと一緒に踊っただろうな。
小説の中のディミトリオスと違ってディマに踊りができるか分からないけど、それでも一緒に踊っただろう。子供の頃のように、はちゃめちゃで愉快な、楽しいダンス。ディマと二人なら、なんだって良かった。
もしそうできたら、わたしの中にいるイリスは、喜んだに違いない。わたし自身も、喜んだと思う。
けれどディマはいない。わたしは彼以外の人たちと、ずっと踊り続けていた。
スタンダリア一行が滞在している間、問題はまるで起こらなかった。
当の王同士がどう思っているのかは知らないけれど、両国の関係は、ひとまず良好になったと言えるのだろう。
「ジュリアンはあなたに恐れをなしたんだ。あなたの戦い方は一方的で、現状スタンダリアに勝ち筋はなかった。聖女に勝てるはずがないと、彼らは思ったようだよ」
パーティが終わった後で、オーランドはそう言った。彼らはイリス・テミスを脅威に感じ、早めに友輪策へと切り替えたらしい。
小説の中でアリアが真心によって結んだ両国の友好関係は、今にあってはわたしがスタンダリア王に与えた恐怖により、もたらされたのだ。
結果は同じだもの。……いいでしょう?
滞りなくパーティが終わり、スタンダリア王国一行は国へと帰った、その夜のことだった。
首から下げられた、ディマから貰った指輪をいじっていた。
貰ったときと変わらず、光り輝いている。もう少ししたら、彼に会える。
ずっと会いたかったのだとそう言おう。そうしてあますことなく愛を伝えて、たくさん抱きしめて、頬に無限にキスをするんだ。大好きだと、そう伝えなくちゃ。大切な大切な家族だもの。
そんなことを考えながら、わたしに貸し与えられている大聖堂の一室で、ぼんやりと起きていたときだ。
窓の外、ふいに声がした。
「イリス、こっちだ! 外に出てきてくれ」
オーランドの声だった。
既に深夜だ。総督屋敷には明かりが灯り、パーティの余韻で起きて騒いでいる人たちはいたけれど、ほとんどの人たちは眠っている、そんな時間だった。
こんな時間にオーランドがわたしを訪ねてくることは、まずなかったことだった。
問題があったのかな。不安に思い、窓を開ける。
「陛下……? いかがされたのですか」
「イリス、来てくれないか」
わたしの部屋は一階で、声は庭の墓地の奥から聞こえる。茂みもあり、彼の姿は確認できない。
一体なんのつもりなのかしら。
靴を履き、寝間着のまま、窓から外へと出た。秋が深まる涼やかな空気が頬を撫でる。海の湿った匂いがした。
「陛下、どちらにいらっしゃるのですか?」
「ここさ」
存外近くで声が聞こえ、振り返る。
その影は、オーランドではなかった。彫像のように均整の取れた顔。黒い司祭服が闇に溶け込む。
「……ネルド=カスタ聖密卿?」
何をしているのだと、問いかける暇もなかった。
彼はその手に、攻撃の魔法陣を出現させ、間をおかずにわたしに放ってきたのだから。
「何を!」
疑問を考える時間はない。当然、反撃を試みる。けれどわたしの使おうとした魔法は一つも出ずに、彼の攻撃が体に直撃した。
「うぐ……!」
理解ができない。
わたしは墓石の一つに体をぶつけ、土の上に倒れた。痛みが体全体を襲う。
魔法で防御できない攻撃というものがこれほど痛いものだと、わたしは今まで知らなかった。
彼がどういうつもりか知らないけれど、反撃しなくては。そう思い、別の魔法を出そうとする。けれど何も起こらない。
そうしている内に、再び彼の攻撃を受けた。
痛みに悲鳴を上げようとしたけれど、ネルド=カスタの魔法が更に重なり、声が封じられた。
「やはりそうだ。私の考えは間違っていなかった!」
気を失いかける寸前で、月明かりに照らされた、恍惚とした彼の表情が見えた。
狂気に輝く笑みだった。
「教皇庁め……! これで私が優れていると証明してやるぞ、あのクロード・ヴァリよりもな!」
ネルド=カスタがオーランドの声を魔法で再現して、わたしをおびき寄せたのは明白だった。
けれどそれ以外のことは、何一つ、分からないまま、わたしは目を閉じた。
◇◆◇
目を開けると、体が揺れていた。口の中に血の味が広がっていた。
見える空は闇だ。
起きあがろうとして、両手を縛られていることに気がついた。
星々が動いているのは、わたしが運ばれているからだ。荷馬車の、荷台に乗っていた。馬を引く背は、ネルド=カスタのものだ。
「何を、しているの?」
声は出せた。
馬車の周囲には、スタンダリアの兵らが馬を走らせていた。
聖女の誘拐だ。スタンダリアはローザリアと和平を結ぶ気など、さらさらなかったのだ。
「国王もグルなのね」
ネルド=カスタは振り返る。その目は冷酷で、少しの親愛も混ざってはいなかった。
「黙れ。魔法の使えない少女の一人、飢えたスタンダリア兵の群れに放り込んでもいいんだぞ。彼らはさぞ敵国の聖女をかわいがるだろう」
逃げようと、魔法を使おうとする。けれどどういうわけだか、やはり魔法は現れない。
なぜ? 一体、何が起きているの。逃げ出さなくてはならないのに、その手段が分からない。
焦る心を落ち着けながら、ネルド=カスタを睨みつけた。
「あなたはローザリアのヘイブン聖密卿に師事していたと聞いたことがあるわ。彼の信頼を裏切るの?」
「酷い事故に遭って以来、あの方は変わってしまった。もはや私とは考え方が異なる。彼の寵愛は今やヴァリに向いている」
「司祭は政治不介入のはずよ」
「聖女がそうでないのが羨ましいな」
ネルド=カスタは余裕の態度で一笑しただけだ。
「聖女を誘拐や殺害なんてしたら、また戦争になるわ。スタンダリアには賠償金もある、兵も疲弊しているあなたたちに、勝利するだけの余力があるの? それだけじゃない。聖密卿であるあなたがこんなことをしたら、教皇庁だって黙っていないわ!」
「問題はない。またすぐに、聖女は現れる。ローザリアではなく、スタンダリアにな」
「聖女はこの世にたった一人よ。偽物はいずれ暴かれるわ!」
処刑されたイリスのように。
「よくぞそこまで傲慢になれるものだな。聖女など、いくらでも作れるのだ」
何を言うかと思えば馬鹿馬鹿しいことだった。聖女は一人、アリア・ルトゥムだけなのに。
「寝言は寝ている時に言いなさい。それにあなたは言っていたわね。クロードよりも優れていると。どこをどう取っても、あの人の方が優れているのに!」
「いい加減に黙れ!」
ネルド=カスタはその手に魔力を溜め、わたしに攻撃魔法を発出した。まさか無防備な人間に躊躇いなく攻撃する人間がいるなんて信じられない。
防ごうと防御の魔法を使おうとするけれど、やはり魔法は出てこない。
あまりの痛みに悲鳴を上げた。髪は千切れ、体中の皮膚があちこち裂けた。
ネルド=カスタの高笑いが夜に響く。
「イリス・テミス。貴様は今日から偽の聖女として、吊るし上げられる運命だ。スタンダリアに聖女が現れた後、民衆の前で処刑してやろう。今のうちに神に祈っておけ。――もっとも、そんなものはいないがな」




