決着
ディミトリオス・テミス
この世に地獄があるならば、きっとここに違いない。悲惨な街を見ながら、ディマはそう思った。
戦闘開始から既に二週間経過していたが、状況は悪化する一方だった。第二城壁の東側に、生存者の多くは固まっていた。そうでない者は地下や瓦礫の街に留まり、内部に入り込んだ敵と交戦していた。
ヘルは長期戦だった。
初日に三つの砦と、城壁の一部が破壊され、即座にスタンダリア兵が領地を取り囲んだ。おそらくスタンダリアとしては短期で決着をつけるつもりだったのだろう。ヘル中心地に入り込み、圧倒的な武力で制圧するはずだった。だがヘルは持ちこたえた。
すぐさまレッドガルドからの援軍があり、戦場は多重構造となった。ヘルを支える市民の生き残りをスタンダリアが囲み、スタンダリアをレッドガルドが囲む。
昼夜問わず戦闘が開始された。街を奪い、奪われが繰り返された。誰もが疲弊していた。
初めの頃こそ死を悼み、海岸沿いの浜辺に埋められていた遺体も、街の西側を敵が占領し、そこから海岸線が狙われ浜辺に出た者が殺されてからは、埋められずに放置されることが多くなった。
「これ以上の援軍は来ない。我々は見捨てられたんだ。本国は、体制を整えてからヘルを奪還しようと考えているんだろう。聖女様もいることだし、この泥沼に足を突っ込むより、そちらの方が勝機がある」
人々をまとめ上げ、勇気づけ続けていたヘル副総督タイラー・ガンでさえも、ディマの前でそうこぼす。
その時は昼だった。曇天で、海も荒れている。
誰の家とも分からないその場所を、このところの拠点にしていて、戦闘の音もない、そんな時のことだった。
ヘル総督は初日に亡くなっていたが、悲しむいとまはなかった。残された者たちは団結し、大人子供問わず、生き延びるために策を巡らせていた。
タイラーとディマは年こそ離れているものの、考え方が似ていたためか、よく話すようになっていた。二人共、敵兵から街を取り返すことだけを考えていた。先日も二人の作戦と戦闘により、街の一部を取り返し、食料を得た。戦闘は主にクロードとディマ、時にルシオが請け負っていた。
そんな生活を、二週間、続けていた折りに、ついにタイラーが吐いた弱音だった。
「皇帝陛下は知らないが、聖女イリスなら、必ず助けを寄越すはずです。僕らを見捨てる人じゃない。僕らにできることは、一日でも長く、一人でも多く、生き延びることだけです」
聖女の兄ということは、未だに伝えられていなかった。
「ディミトリオス君、君は強いな。私は、君ほどには強くなれない。……皆、飢えている。戦う気力が、日に日に削がれていっているよ」
タイラーは、疲れたように微笑んだ。
限界が近い。いつまで続くか分からない戦闘の中、人々を絶望が支配しつつあった。
先に、食料が尽きそうだった。夏場、肉は腐っていく。保存食にも限りがある。このままでは確実に、住人は死ぬ。敵に殺されるか、餓死か、どちらかだ。
「食料がないのはスタンダリアも同じです。彼らも長期戦を予期していなかったはずだから。諦めて、撤退してくれればいいけど……」
そうはしないから今があるのだ。
「皆が飢えを凌ぐだけの食料を、なんとか確保しなくてはなりません。敵の潜伏場所をまた叩き、僕らの可動領域を広げましょう」
また戦闘の音がした。
もう慣れてしまっていたが、今回の音は近い。立て続けに地面が揺れる。すぐそこだ。
ディマが外に飛び出すと、二人を呼びに来たらしいルシオが血相を変えて叫ぶ。
「奴ら、攻めてきた! 向こうの援軍の方が早かったんだ! レッドガルドに背後を切らせてでも、ヘルを力付くで奪い取るつもりだ!」
街中から黒煙が上がっているのはいつものことだったが、第二城壁の狭間から覗くと、初日に破られた第一城壁から、大量の兵士がなだれ込んでくるのが見えた。
初めにいた力の強い魔法兵はもういないようだが、大群だ。
タイラーが、敵兵を見ながら嘆いた。
「もう、だめだ。ヘルは終わる。皆、死ぬしかない」
言ってから、ナイフを取り出し首にあてがう。
「スタンダリアに殺されるくらいなら、誇り高き死を! 父上! お側に参ります!」
「馬鹿野郎、何してるんだ!」
ディマはタイラーが握るナイフの、刃を持った。掌が切れ、血が流れる。
実母の死に際が蘇ったが、恐怖に支配されなかったのは、怒りが上回ったからだ。それは自ら死を選ぶ人間に対しての、怒りだった。
血の流れる手で、今度はタイラーの胸ぐらを掴み怒鳴りつけた。
「あなたは希望だ! 嘘を吐いてでも皆を勇気づけないでどうする! 死ぬその瞬間まで、夢を見させるのが上に立つ者の宿命だろう! 自分で死を選ぶな、最後まで生き抜け!」
言ってからディマは、側にいた馬に飛び乗った。
タイラーがやらないなら、自分がやるしかない。馬を走らせながら、皆に、叫んで回る。
「うろたえるな、耐えろ! 持ちこたえれば、救いは来る! 本国から必ず来る! 僕らは気高きローザリア人だ。嘆き、泣いている暇があったら戦え! 薔薇のように赤く燃える魂を、スタンダリアに見せつけろ! 君たちは一人じゃない! 最後まで僕がいる! 戦い抜けば、僕らは死なない、決して死なない!」
ディミトリオスが声を掛けると、人々の恐怖が、わずか薄れるのを感じた。彼らの暗い目に、光が再び戻っていくように思った。
ディマとクロードで、以前のように戦い、屋内から人々が魔法や弓で援護すれば、まだ戦えるはずだ。諦めの悪さを、ディマはイリスから学んでいた。
だが戦うためには、クロードが必要だ。ディマと同じように戦う覚悟を決め外に出た者に、声を掛けた。
「クロード・ヴァリを見なかったか!」
「彼ならあそこに!」
指さされた先は城壁の上だ。見るとクロードが城壁の上に立ち、絵描きが景色を見る時のように、両手で四角を作っていた。
ぎょっとしてディマは言う。
「先生! 何をしているんですか! 狙われますよ!」
しかしクロードは動かない上に、視線を前方からずらしもしない。そればかりか、ディマに余裕の態度で話しかけてきた。
「いい眺めだ、すごいぞディミトリオス。君も登って見ると良い」
クロードは指の間から望遠の魔法により、第一城壁の先を見ているようだった。
ディマも彼のすぐ隣によじ登り、彼方へと目を向けた。望遠の魔法を、使うまでもなかった。赤地に、黒い薔薇が描かれた旗が、大量になびいていた。
「ローザリアの勝利だ。彼らは間に合った」
「本当に、援軍が来たんだ」
ローザリア国旗の間に、各貴族らの旗も蠢く。彼らがスタンダリア兵に向けて、突進してきていた。
「親父だ……」いつの間にかルシオも城壁に登っていて、単眼鏡を覗き、嬉しそうに呟いた。「フォルセティ家の旗だ! 親父が俺を助けに来た!」
信じて待つことしかできなかった援軍だった。
数十万はいるように思えた。言葉では来ると言い続けたが、心の底では、疑いもあった。だが彼らは来てくれたのだ。
「それだけじゃない」視線の先にいる誰かを見て、クロードが笑う。
ディマも、その姿を見た。
白い馬に跨った、戦場に似つかわしくない少女が、鎧も身につけずに、兵らの先頭を駆けていた。
あまりに美しく、あまりに、強い、その少女が。見た瞬間、もう二度と、目を離すことができなかった。
夢の中でも現実でも、何度も求め、思い描いた、愛おしい人。
「イリスだ」
ディマは思わず呟いた。
三年前ぶりだが、見間違えるはずがない。遠方からだが、確かに彼女だ。
「イリスが――……」
ほとんど無意識に、言葉が漏れた。涙が溢れたが、泣いていることを、隠すこともできなかった。人が何人も死んだ、これほど暗い日々だったのに、ディマの心にあるのは、今にあっては愛情だけだった。
「来たんだ。あの子が、来てくれた……」
クロードに肩を叩かれる。
「さあ、私達もやるぞ」
頷き、彼に魔力を流し込む。上空に魔法陣が現れた。イリスがそれに気づき、彼女も魔法陣に魔力を重ねる。魔法陣から発出される攻撃魔法が、城壁内に入り込んだ敵兵を順に撃っていく。
クロードに魔法を流しながらも、ディマはイリスだけを見ていた。
イリス自身も、魔法を使った。
その戦い方は、ディマが見たことのないものだった。
敵から放たれた矢を、空中で止め、全て地面に叩き落とす。兵らは次々と倒れていったが、皆、深い眠りにあるようだ。
魔法があちこちで出現しては消えていく。だがイリスには誰も及ばず、魔法はローザリア兵に届く前に弾かれた。
城壁よりも手前で、イリスは馬を止め、スタンダリア兵と向き合った。
「勝利はローザリアにある! スタンダリアよ、降伏しなさい!」
イリスの声は、戦場の中でもよく通った。
数年ぶりに聞く、凛として心地の良い、澄んだ声だ。彼女の声を聞くことを、どれほど待ち望んでいただろう。再び目に涙が滲みそうになる。まさかこんな形で聞くことになるとは、思いもよらなかったが。
スタンダリア兵らは皆唖然とし、既に意欲を無くしていた。当然だろう、放った矢は止められ、攻撃魔法は弾かれる。
ローザリア兵の大群に、強すぎる聖女。勝機はないと、そう思ったのだろう。圧倒的な力の前に、降伏する者と、逃げ出す者以外には、誰も残らなかった。
イリスの出現により、戦況はひっくり返った。二週間も続いた膠着状態に、たったの一日でケリをつけてしまったのだ。
(あれが、聖女なんだ。誰もが崇め奉る、聖女の姿だ――)
雲間から光の筋がいくつも漏れ、彼女を照らす。天さえも、聖女を祝福しているようだった。まるで知らない人間を、見ているような気になった。
ヘルの住民たちも、皆外に出て、イリスの姿を見ようとしていた。
「イリス」
声が届くはずがないと思っていた。
だが彼女は、顔を上げ、確かにディマを見た。
遠い場所で表情の機微まで分かるはずがない。
だが彼女は、ぱっと顔を輝かせると、確かに口を動かした。
――ディマ。
それだけ言うと、そのままイリスは気を失い、傍らにいたファブリシオに慌てて受け止められていた。
ヘルの名付けの由来は、そのまま「地獄」から取っています。




