防衛戦の幕開け
男は、背後からディマに叫ぶ。
「君! 馬を貸してくれ! 右翼へ行かなくては」
「一緒に行く! あなたは魔法が使えないんでしょう、一人では危険です!」
城壁の上の敵はまだ数人いるように見えた。
ディマの決意は、しかしクロードに打ち砕かれる。すぐ横に並んだクロードは、ディマを行かせまいとするかのように、馬の手綱をしっかりと握っていた。
「ディミトリオス、君は私といなさい」言い返そうとしたところで、重ねて言われる。「君の魔力を貸してくれ、私が制御し攻撃した方が早い」
言うと、ほとんど無理矢理クロードはディマの腕を掴み、馬から降ろす。
「ガン副総督、ここは私と彼に任せてください。あなたのことも援護します」
「ヴァリ司祭、助かります。あなたは聖職者なのに」
クロードは小さく頷いた。
「私も死にたくはありませんから」
「副総督って……それではあなたはタイラー・ガン?」
それはヘル総督の息子の名だ。馬から降りながら、ディマは男を改めて見た。
茶色の髪は品よく整えられ、灰色の瞳は理知的だ。攻撃を受けたため汚れているが、着ている服も上等そうだ。その目に宿る光の強さを、ディマは感じた。
話す時間はなく、すぐさま彼は馬を蹴り、粉塵が漂う右翼の方へと去ってしまう。
クロードはディマの腕を掴んだまま、言う。
「かつてイリスが君にしていたように、私に魔力を流し込むんだ」
ディマは頷き、クロードの手を握り魔力を流し込んだ。クロードは空に手をかざすと、上空に空全体を包み込むほどの巨大な魔法陣を出現させた。
見たこともない術式だった。あまりにも強い魔術だ。
魔法陣は、雹のように攻撃の炎を降らせる。敵に向け、ほぼ正確に。
クロードの魔術は精度が高く質量もある。正確性だけを取るなら、イリス以上の力と言えるかもしれない。
クロードの攻撃の間を縫うようにして、ヘル市民たちの攻撃が続く。この世の終わりのような光景だと、ディマは思った。だが世界は終わってはくれなかった。
ディマの魔力は弱い方ではない。むしろかなり強い方だ。それでも自身の力をクロードに渡し続け、ふらつく。
「もう少しだけ耐えてくれ」
体を支えられる。クロードの声だけが、聞こえていた。
◇◆◇
クロードに魔力を吸い取られたディマは、しばらくの間動けず、ヘルに何が起きたのか、全体が見えたのは夜になってからだった。
決死の防衛戦で、敵魔法使いたちは城壁から退けたという。だが右翼はほぼ壊滅状態だ。敵が数人入り込み、緊張状態が続いていた。
再び攻撃されたなら、確実に壊滅するだろう。敵の遺体を確認したクロードは、ローブの下について明言を避けた。
「存外、若い兵士たちだった。スタンダリアの国旗を身につけていたよ」
それだけをクロードは言って、様子を見てくると言い残し、再び姿を消した。
夜、攻撃は止んでいて、元の宿屋は避難所に変わり果てた。運び込まれた負傷者の数は多く、死者も数名出ているそうだ。混乱は続いていたが、命の危機はひとまず去った。
ディマが負傷者の手当てを買って出ると、ルシオも従う。
病院と教会に怪我人が運び込まれていた。ディマたちは教会で、彼らに回復魔法をかける。ルシオが呟いた。
「歩哨は何をしていたんだ? 兵士が進軍してきていたのなら、もっと前から気づくはずだ」
確かにそうだ。だがそれは相手が軍勢だった場合だ。
「相手の魔法使い達は少数精鋭だったんだ。それに、誰も想定さえもできないほどの強者達だった」
一人いたとしても恐ろしいのに、それが複数でやってきた。スタンダリアの隠し球だ。
一度は防衛した。だが、必ず二度目があるだろう。
「ヴァリが初めからあの魔法を使ってくれていれば良かったんだ」
「彼もあれほど魔力が強くなるとは思ってなかったみたいだ。僕とあの人の魔力の相性はいいみたいだから、あんなに強い魔法になったらしい」
それに、とディマは思った。
「それでも僕らだけでは無理だった。タイラー・ガンが、市民に蜂起を呼びかけたから、かろうじて倒せたんだ」
「これも神の試練なのか」ルシオが嘆いた。
「神なんていない」即座答えると、重ねるようにして声がした。
「そうだ、神の仕業ではなく、スタンダリアの仕業だ」
聞こえた声に顔を上げると、昼間助けた男、タイラー・ガンが立っていた。
彼も生きていたらしい。
彼は一日中、街を駆け回りながら、人々を鼓舞し、命令していた。疲れた表情ではないことを見るに、相当に強い人間であるらしい。
「君をずっと探していたんだ、無事で心から安心した。私はヘル総督の息子のタイラー・ガンだ」
改めて名乗るタイラーに、ディマも答えた。
「ミーディア神学校の生徒の、ディミトリオスです」
姓と、聖女の兄であることは伏せた。
タイラーは厳しい表情をわずかに和らげた。
「司祭見習いか、どおりで勇敢なはずだな。会えて良かった、礼を言うよ。君がいなかったら、今頃私は浜辺に埋葬される遺体の一つになっていただろうから」
「皆が戦えたのは、あなたが前線で声を上げ続けてくれたからです。皆が奮い立たなかったら、僕らの魔法だけでは倒せなかったと思う」
タイラーは、小さく笑んだ。
ルシオが問う。
「敵は退けられたのか? この夜は今のところ平和だが、ずっと続くとは思えない。奴らはどういうつもりでいるんだ」
タイラーは初めてルシオに気付いたようだ。さっとルシオに目を滑らせる。
「スタンダリアは、兵士たちによる総攻撃を仕掛けるつもりだったのだろう。恐らくは、今日一日で終わらせる目論見だったのだと思う。精鋭たちが城壁に風穴を開け、軍隊を招き入れようとしたんだ。
君たちのおかげで、一時の危機は脱出した。だが攻撃は、再び必ず繰り返されるはずだ。砦の三つが落ち、スタンダリアに支配されている。奴らの軍は、ヘルにいる兵士より遥かに多い」
「僕ら、どうやって戦いますか」
タイラーは力無く首を横に振る。
「生き残りを一処に集め防衛戦をするしかない。本国から援軍は必ず来る。それまで持ちこたえなくてはならない。
ヘルにローザリア人が一人でも残っている限り、ここはローザリアのものだ」
ディマは両手を握りしめた。死ぬわけにはいかないし、負けるわけにはもっといかない。宮廷で、今も一人戦っている最愛の人のために、覚悟を決めなくてはならなかった。
もう逃げ場はない。
ヘルを巡る戦いの火蓋が、切って落とされたのだ。
次からイリスの話になります。




