愛は鎖
ルシオ・フォルセティ
ルシオ・フォルセティは、自分がここまで義理堅かったことに驚いていた。ディミトリオス・テミスは、ルシオにとって異質だった。勇敢で命知らずの阿呆だから、危なっかしくて見ていられない。自分の知らないところで野垂れ死なれたりでもしたら夢見が悪い。だから面倒を見なくてはと側にいるのだと、そう思っていた。
三人旅は気楽なものだった。気づけば女遊びも賭博もパタリとやめ、ルシオは旅に真面目に付き添っている。
野宿にも慣れたし、時には罠を張り、兎を捕まえ捌いて食べることもあった。貴族生まれの自分がこんな旅をするなどと思っても見なかったが、意外なことに、旅を楽しんでいた。
ヘルへ着いたのは、出発から、四週間以上も経ってからだった。
戦闘での足止めと、襲われた集落での足止めが、時間のかかった原因だった。
「来るのは二度目だ――。相変わらず、荘厳な気分になる街だ」
ディマがヘルに入るなりそう言った。彼の素直なところは、ルシオが気に入る一面だった。
ヘルは元々、スタンダリアが持っていた城塞都市だ。百年以上前に、ローザリアが戦争で勝ち取り、以来、大陸における拠点となっていた。一年を通し晴天が多く、災害もない。活気に溢れ、人々の往来も激しかった。市場には領地外から買付に来ている者もいて、貿易の拠点としても栄えている。
港町は左右に広がり、第一城壁と、更に内側の第二城壁から街が成立している。せりでた半島にはかつての領主の城があり、今はヘル地方総督が住んでいる。現総督は、ガンという姓の、当代限りの男爵で、息子と一緒にヘル領を治めていた。
「聖女様に、何か土産でも買っていってやれよ」
気を利かせて明るく言ったつもりだったが、ディマは気後れしたようだ。
「イリスは世界中から贈り物が届いてるだろ、僕が今更何を買っても、必要ないさ」
「お前、自分のことになると途端に卑屈になるのはなんでだ? 大切な人から貰ったもんは、たとえ安物だろうが特別に決まってるだろうがよ。一緒に選んでやるよ、あんたも選ぶよな?」
しかし話しかけられたクロード・ヴァリは、いいやと首を横に振った。
「私は先に聖堂に行ってくるよ。決めていた宿屋で集合しよう。二人で遊んでいなさい」
彼はまたしても単独行動を決め込んだ。その背に向けて、ルシオはため息を吐く。
「本当に集団行動ができない奴だな……。ネルド=カスタが嫌う理由が少し分かるぜ」
だが心から呆れたわけではなかった。権力者がとにかく嫌いなルシオだったが、風変わりなクロードのことは好きだった。偉ぶることもなく、飄々と今を生きる男だったからだ。
露天に目を向けながら、ディマはやけに真剣に悩み始める。
「イリスの誕生日になると、いつも両親と一緒に、贈り物を考えた。最後に渡したのは金の指輪だ――、テミス家はそれなりに裕福だったから。僕はもう、財産もない貧乏人だ。何が買えるかな……」
「金が無いなら俺が買ってやるけど」
「せっかくの申し出だが断る。自分の金で買わないと意味がないだろ」
離れてるせいもあるだろうが、ディマは普通の兄以上に、妹のことを大切に思っていた。ルシオの兄など、ルシオが野垂れ死んでも涙を流すか怪しいほどだというのに。
ルシオが一緒に選んでやるという自身の言葉を後悔し始めたのは、店を巡り、二時間以上経ちそうな頃だった。
未だにディマは決めきれない。いつもはこれほど悩む男でないのだから、イリスのこととなると、途端に判断力が低下するようだ。
「俺、用事思い出したわ。悪いけど宿屋で集合な!」そう声をかけると返事を待たずにその場を後にした。
その足で、港へ向かう。
船の出る日を確かめようと思った。彷徨いていた水夫を捕まえ尋ねると、幸い郵便船が二日後に出るらしい。金を払えば、三人くらいは余計に荷を積んでくれそうだ。
船頭と交渉していると、彼は言った。
「あんた、本土の人間かい。金をくれるなら船の場所は確保するが、帰国はおすすめじゃないね」
「なんでだ」
問うと、船頭はため息を吐いた。
「本土は今荒れに荒れてる。クリステル家排斥の動きが強まっているからね。ヘルの方がはるかに平和さ。戦いと無縁だから」
「本土で戦いがあるって言いたいのか? クリステル家排斥って、どんなだよ」
知らない話だった。つい、ふた月ほど前には本土にいたが、そんな話題はなかったはずだ。
「皇帝家がクリステル家周辺領主に次々と役職と爵位を与えてるって話だよ。誰がどう見ても、皇帝家による地方領主の囲い込みだ。包囲網を作ってる。
あそこはほら、セオドア様もリオン様も、欲しかった領地だろう。オーランド様は圧力を高め、クリステル家の反乱を待って、領地を奪うおつもりでいるんじゃないかって、誰もが言ってる」
「まさか。二代前ならいざ知らず、優柔不断な現皇帝家がそこまで踏み切ることはしないだろ」
「いやいや、それがなんと、聖女様のお告げによるものじゃないかってもっぱらの噂だ。だから皇帝陛下は強気でいらっしゃる」
クリステル家を弱体化させれば、皇帝家に対抗できるほどの名家はリオンテール家かフォルセティ家くらいなものだろう。
(暗い話だな)
イリスのことを何よりも大切にしているディマには、聞かせまいとルシオは思う。
待ち合わせの宿屋に向かうと、一階の食堂にディマがいるのが見えた。こちらに背を向け本を読んでいる。
その背を思い切り引っ叩く。そうして振り向いた険しい表情に戦慄した。ディマではなく、クロードだったからだ。
「おっと、クロード・ヴァリか。背格好が似てたから間違えちまった」
クロードは読みかけの本を閉じ、静かに言う。
「私と彼は似てないと思うが」
向かいに座りながら、ルシオは笑いかけた。
「まあちょっとそう見えちゃったんだ、ごめん。あんたら後ろ姿がよく似てるんだよ、髪の色が同じだしさ。……ディマはまだ選んでるのか、俺は船の当たりを付けてきたぜ」
「ああ、助かるよ。旅客船はあまり出てないようだから」
「定期便も止まってるってさ。ローザリアが不穏だって本当か。あんた何か知ってるか?」
「司祭は政治不介入だ」
つまり知っているということだろう。イリスがクリステル家を排除するという噂がまことしやかに囁かれているが本当か――重ねて問おうとしたところで、ディマが宿屋に入ってきて、口を閉じる。
こっちだ、と手を挙げると彼はやってきた。手には小箱が握られていた。
「選べたのか? 何買ったんだよ」
「君には言わない」
そう答えながら、ルシオの隣に腰掛けた。土産はたった一つで、妹にあげるもので間違いないだろう。
他に女がいないのかと、女好きのルシオは思わず哀れに思ってしまった。同情を好むディマではないと知っているにもかかわらず。
「他に土産を買って帰る女はいないのか? 母親と妹以外でさ」
「そんなのいない」
きっぱりと断言するディマは、時にルシオにとって不可解だ。
「お前、女に興味がないのか」
「ないこともないが、心が動かない」
「まさか妹に恋しているとか?」
からかいを含み放った言葉だったが、言ってから失言を悟る。
ディマは黙り込んだ。嘘だろと思い顔を見るが、苦悶の表情を浮かべていた。驚愕のままルシオは立ち上がり、ディマの両肩に手をかける。
「……よせよ、正気じゃない!」
まともな考えに改めるよう、説得を試みようと思った。誰が実の妹に恋をするんだ? まともな神経の人間にはまず無理だ。
だがその手を、ディマは振り払う。
「離せ、正気じゃないことくらい、僕が一番よく知っている!」
いつにも増して激しい態度に、ディマの本気を悟ってしまった。ルシオはディミトリオスの、もっとも触れてはならないところに、無断で触れてしまったらしい。
(だが妹だぞ? いくら大切だからって、血の繋がった――)
そこまで思い、気づく。信じられない思いで、目の前の友人を見た。
黄金の瞳、黒い髪、どちらかといえば浅黒い肌。
聖女の翡翠色の瞳を思い浮かべた。透き通るような白い肌と、さらりとした銀髪。似ていない兄妹だと、思ってはいた。
ルシオは勘の悪い方ではなかった。今まで気付かなかったのは、彼らが二人並んだ姿を見たことがなかったからだろうか。
「……血が、繋がってないのか」
ディマは目を伏せた。
ああ、そうだったのか。ルシオの胸に、奇妙な納得が広がっていく。今までのディミトリオスの態度全てが腑に落ちたように思えた。
「だが、叶わない恋だ」
「それでも、愛しているんだ」
曇りのないディマの目が、再びルシオを見つめていた。ルシオ自身も、どういうわけだか傷ついていた。
神がいるとしたら、なんと残酷なんだろう。これほどの善人を、報われない運命に放り込むなんて。
叶うはずがない想いだ。聖女は皇帝と結ばれる。それでも側にいようとしているのは、あまりにも純真な恋心故か――。
「……先に、部屋に行っている」
ディマはそう言い、立ち上がり去っていった。ルシオは、力なく椅子に座る。
「そのことを、誰にも言うなよ」
厳しい声がし、ぎょっとしてクロードを見る。彼は視線を、ルシオに向けていた。
「あんた、知っていたのか」
この男はいつから知っていたのだろう。ディマとイリスが幼い頃、家庭教師をしていたと聞く。その時に知ったのだろうか。だが釘を刺されなくとも、誰かに話すつもりはなかった。
「ディマは、誰の子だ。あの、黄金の瞳はまるで――」
なぜ気が付かなかったのだろう。一つの事実が判明すれば、別の事実が連鎖して浮き彫りになる。ルシオは子供の頃、セオドアの肖像を見たことがある。その瞳の色から、“黄金王”という異名を持っていたのだと、父は言っていた。
黄金王は大層女好きだった。愛人を幾人も抱えていた。
イリスの父、アレン・テミスは、戦場でネスト将軍の命を救い、報酬として領地を得た。ネスト家が所有していた領地の一部を、割譲されたのだ。
ネスト将軍の娘、カミラ・ネストは、セオドアの寵姫だった。だがセオドアが病死し、皇帝がリオンに代わった際、先帝の家来たちはほとんど全て、地位を追われた。ネスト家もそうだ。
特にセオドアのお気に入りだった彼らは、一族のほとんどが処刑された。だがカミラ・ネストは処刑台ではなく、逃げる道中で命を落としたと聞く。
だが彼女が、父親に頭が上がらない男の領地に逃げ込んでいたとしたら。彼が彼女の死を、偽装し国に伝えていたとしたら。彼女が先帝の子を孕み、出産していたとしたら。
時期は合う。辻褄も、合った。
ぞっと、ルシオは身震いした。
「皆、知っているのか」
クロードは答える。
「知らない。知っていてディミトリオスを生かす者は、ローザリア中枢にはいないだろう」
「あいつが宮廷に入れば、混沌と殺戮の歴史が再び繰り返される。知っていて行かせようとしていたのか。あいつも知って、行くつもりだったのか」
「それでも彼は行くだろうし、君は止めないだろう」
図星だった。
ルシオの様子を見て、ふ、とクロードは笑みをこぼす。
「家族は檻だな、愛はまるで鎖のようだ。断ち切っても断ち切っても、永遠につき纏う」
言葉の意味を測りかねていると、彼の言葉は続いた。
「母は十四で私を生み、その後死んだ。私は孤児になり、生き残るために司祭になった。
……誰も生き方と生まれを選べない。彼が誰の子供だとして、君の友人のディミトリオスに違いはない。それ以上の詮索は必要ないだろう」
ディミトリオス・テミスは穏やかで優しい人間だ――基本的には。だが時に、爆発的に感情を露わにする。
善人ぶって笑みを浮かべているときよりも、怒りに瞳を燃やすディミトリオスに、ルシオは強烈に惹きつけられていた。自分では、止めようもない。あの瞳に宿る妖艶な光を、側で見ていたいと渇望している。だから側にいたのだ。そのことを、今になって自覚した。
ああ、とルシオは短く答える。
「俺はディマに付いていく。確かに、それだけだ」




