戦火の代償
ディマたちの三人旅は続いていた。戦闘が終わってもなお、仕事を失った傭兵たちが周囲をうろつき、治安はあまりよくなかった。なるべく公道を通り進んでいたが、どうしても細い山道を行かなくてはならない場所があり、馬を降り、しばし山を登る。
その煙には、随分と前から気がついていた。始めは山間の集落で火を燃やしているのだと思っていた。だが、近づくにつれ、煙の量が、明らかに多いことに気がついた。加えて風に乗って、悲鳴と怒号が微かに聞こえる。
聞こえた瞬間、三人は立ち止まり、顔を見合わせた。
「今の、何だ?」
ディマの疑問に、誰も答えなかった。その間にも、黒煙は上がり続ける。耐えきれずディマは馬に飛び乗った。
「様子を見てくる!」
二人が何かを言ったような気がするが、聞く余裕はない。嫌な予感が纏わり付いていた。煙の方へ走ると、やはり集落がある。
「なんてことだ……」
兵士たちが、人を襲っていた。村人らしき死体がごろごろ転がっている。男も女も、老人も子供も、死んでいる。生きている者は嬲りものにされていた。土の上で女に跨っている者さえいた。襲う兵士たちの顔は、理解できないことに笑っている。
口の中に血の味が広がり、唇を強く噛んでいることに気がついた。
「ロゼ=グラスの残党だろう」
いつの間にかクロードが隣に馬を並べていて、そう呟いた。
信じられない思いで、ディマは言う。
「兵士たちは崇高な魂の元に集まっているんでしょう。父はそう言っていました」
「何を言っても届かない、反吐の出る外道というものはいる。アレンさんのように考えられる人間は成功するだろうが、そうでない者の方が圧倒的に多いんだ」
聞いた瞬間、ディマは馬を蹴り走った。暴力を目の当たりにして、放っておくことなどできなかった。善良な人間が苦しめられているのを、どうにかせねばと、それだけを考えていた。
護身用にと持っていたナイフを取り出す。だがその前に、攻撃魔法を繰り出した。
まず始めに、女に跨っていた兵士の首を吹き飛ばした。女は唖然と血を浴びる。次に別の兵士達に魔法陣をぶつける。次も、またその次も――。
兵士たちがローザリアの旗を持っていようが、スタンダリアの旗を持っていようが、そんなことは関係なかった。見える限りの兵士を殺す。自分の中の激しい怒りを、抑えることができなかった。
――。
――――。
―――――――。
「――ディマ。ディマ! ディミトリオス‼︎」
我に返ったのは、名前を呼ばれ体を揺さぶられたからだった。
振り返ると、いつの間にかルシオが側に来ていて、ディマの肩に手をかけている。
「もう死んでる。放っておけ」ルシオはそう言って、ディマの持つ物体を指さした。
ディマは自分の手の中を見た。
絶命する兵士を殴りつけていた。自分の体にも傷がある。
「う――」
兵士の胸ぐらから手を離すと、死体は力なく地面に崩れ落ちた。
周囲を見渡す。先程よりも多い量の死体が転がっていた。さっきまで、集落を襲っていた兵士たちが、死んでいた。
(僕がやったんだ)
人を殺したのは初めてだった。人を救って誇らしいのか、命を奪って泣きたいのかも、よく分からない。今頃になって、手が震えている。
いつかもし人を殺すなら、葛藤や迷いが生じるものだと思っていた。だが実際は、あまりにも容易く、一切の迷いなく、人の命を奪ってしまった。
慰めるように、ルシオが背を叩く。
「残りはクロード・ヴァリが殺した。兵士たちから手を出したんだ、正当防衛だと言ってさ。逃げる奴も殺してた。恐ろしく強いな、あいつ司祭より兵士に向いてるぜ」
クロードを探すと、今まさに、死にかけの兵士に、剣でとどめを刺すところだった。地面を這っていた兵士は、短い悲鳴を上げた後、絶命する。
目が合うと、クロードは頷いた。
「君は何一つ間違っていない」
未だに燃える炎に向けて、クロードは魔法陣を放った。水流が出現し、炎は鎮火される。
唖然とする集落の生き残りだけが、こちらを見ていた。味方か敵か、まだ判断ができないのだろう。
「僕らは、旅の者です。あなた達に敵意はない」
怯える集落の者に対して、ディマはそう言った。彼らのために、言わなくてはならないと思ったからだ。
「怪我人がいたら治療します、こちらに来てください!」
村人たちは顔を見合わせ、やがておずおずと近づいてくる。隣でルシオが渋い表情を浮かべた。
「見ず知らずの奴らを助ける義理はない。命がいくつあっても足りないじゃないか。他人のために自分を投げ出してどうする?」
「だけど、もしまた同じ場面に出くわしたら、僕は同じことをする。僕の父や母だったら、こんな行為を絶対に許さないだろうから」
それは実の両親ではなく、育ての両親であるアレンとミランダのことだった。
怪我の大きい者から回復魔法をかけていく。中には重症で、すぐには治せない者もいた。
「死者は蘇ることはないんだ。お別れをしなさい」
クロードがそう言っている声が聞こえた。見ると幼い子供が、自身の親らしき大人の死体を、泣きながらクロードに差し出している。
彼もまた、怪我人を治療しているところだった。
「君のお父さんとお母さんの魂は、天国へと昇っていった。君の幸せをいつまでも願っていると、そう言っていたよ」
それが本当か嘘かは分からないが、クロードは泣きじゃくる子供の頭を優しく撫でた。ディマの胸に、虚しさが広がる。誰のための戦争で、なんのための兵士だろう。人を守るために国があるのではなく、国益のために人が死ぬ。
様子を見ていたルシオが、はあ、とため息を吐いた。
「ほら! 軽症者は俺の方に来い! 俺も少しなら魔法が使えるからな」
ルシオも村人達に声をかけ、集め始めた。
きっと今頃、アール・ガモットは凱旋し、報奨を受け取っているに違いない。
ロゼ=グラスの勝利は、ローザリア帝国に歓喜をもたらしているはずだ。本土にいる人間には、人が幾人死に、戦場の後にどんな不幸が巻き起こるか、分からないのだろう。
集落を襲っていた兵士たちにも、愛する者がいたかもしれない。彼らの帰りを待つ家族は、いつまでも待ち続けるのかもしれない。だが、だとしてもディマは、彼らを殺すことに躊躇はなかった。また出くわしても、やはり迷いはしないだろう。
結局その日は、集落に留まった。
集落の者たちの遺体は丁重に埋葬し、兵士たちの遺体はまとめて焼き、後日遠くへと埋めることにした。負傷者の手当をして、家屋の片付けを手伝った。クロードは司祭であると名乗り、彼らのために祈りの言葉をかけた。
それだけで、かなりの重労働だった。
三人には集落の中にある家が提供された。生活感はあるが住人はいない。死んだ者の家かもしれないが、誰も尋ねなかった。
質素な夕食を食べているときに、クロードがぽつりと言う。
「戦争の後は、たいていこういうことが起こる。職を失った傭兵たちが暴徒化して集落を襲う。ロゼ=グラスにスタンダリア王国が攻め込んだのも、なにもレッドガルドばかりが目的じゃない、強奪を繰り返す兵士たちに再び職を与える目的もある。スタンダリア王国では、傭兵問題はかなり深刻な問題になっているからね」
彼も疲れた顔をしていた。体中汚れていたし、返り血が服に付いている。ディマもたいがい、似たような格好だった。
「ではまた、争いが起こりますか」
ディマの問いにクロードは、ああと頷いた。
「近くまた起こるだろう。ロゼ=グラスでスタンダリア王国が支払う賠償金は国家予算の五年分にも及ぶと聞く。それを帳消しにするためにも、再びどこかで争いを起こすと、私は思うよ」
「どこに行っても争いですね」
「人が生きている以上、争いは免れないものさ。私達が生きているのはほんの偶然で、運が良かっただけだと思わなくてはね」
クロードは目を伏せ、それから立ち上がった。
「二人とも疲れただろう、先に休みなさい。私はまた村を見回ってくるから」
そう言い、本当に出て行ってしまった。
夕食を食べ終えると、大きく伸びをしながらルシオは言った。
「今日はお前にベッドを譲ってやるよ」
それから彼はディマに笑いかける。呆れたような笑みにも思えた。
「お前ってすごい奴だよ。前からそうは思ってたけど、今日もまたそう思った。俺は足がすくんじまって、陰で震えていることしかできなかったんだから。
……よく分かったよ。それがディミトリオス・テミスって人間なんだってさ。崇高で、俺はあんまり理解できない。でもまあ、好きだよ。本当、大好きだ。だから俺は自分の命の範囲で、お前に付いていくことにした」
帰路で、ルシオは遊びをぴたりと止めた。彼なりに思うところがあるのかもしれない。
せっかくのベッドでも、ディマは寝付けなかった。森の夜は静かだった。虫の声もしない。曇天の空のせいか、窓の外も暗かった。暗がりでは、昼間の惨劇も覆い隠される。
目を閉じれば、ここは故郷の部屋と相違なかった。
「イリス」そっとそう、呟いてみる。
「僕は今日、人を殺したんだ」
彼女は怖がるだろうか。それとも、許してくれるだろうか。
彼女の笑顔を思い出す。十歳の頃から、少しも成長していない彼女しか思い浮かばないことが、ひどく悔しかった。
いつだって彼女のことを思っていた。悲しい時も嬉しい時も、今日のように、絶望の底に叩き落された時も。イリスを思えば、暗闇に光が差すようだった。
初恋を自覚する前に、既に激しく愛していた。当然のように、恋をした。
「イリス」
また、名を呼ぶ。返事はなかった。
彼女はもう、兄のことなど忘れているかもしれない。戦争に勝ち、皇帝の信頼を得て栄光の道を進む彼女にとって、生い立ちが暗い兄など、足手まといでしかないだろう。
人を殺す瞬間を思い出し、両手を握りしめた。汚れた手だ。もう、あの子に触れる資格などないかもしれない。
「だけどそれでも、僕は君を愛してる。それだけが生きる指針だ。そう思うことを許してくれ――」




