成れ果ての聖女
また水晶結晶に閃光が走り、部屋中が青白く照らされる。眩い光に、クロードが目を細めた。
「珍しいね、イリスはあまり、宮廷で魔法を使わないから。ローザリアで出兵準備か、パーティでも開催しているのかもしれないね」
だがそんな話題に、とてもじゃないがディマは乗れなかった。
「この……水晶結晶が聖女って、どういう意味ですか」
頭より先に口が動く。クロードは家庭教師の頃とそう変わらない口調で答えた。
「そのままの意味さ。聖女は死ぬと、魔力が結晶化し遺体は水晶に変化する。
彼女らは絶えず魔力を生み出し、毎日小さな水晶を出現させている。この水晶柱は希少で、一体でも膨大な魔力を有し、あらゆる兵器になり得るものだ。どの国に渡しても、争いが起こるだろう。だから教皇庁の地下で管理しているんだ」
ディマは周囲を見回した。
クロードは何を言っているんだ? 水晶柱の中心は、いずれもぽかりと穴が空いていた。それではあの聖女の心臓は、そのままの意味だったということか?
水晶柱の背後の壁の刻印――ナタリア・ロムレンド。別の刻印にはユリア・シガル。また別の刻印には、サラ・モア。
どの水晶柱の後ろにも、歴史で習う聖女の名前が刻まれている。名前の下には生まれと死の年が刻み込まれていた。無意識下で計算していた。いずれも、二十歳前後で死没していることになっていた。
「……先生、僕には意味が分かりません。人が死ねば肉は腐り、土に埋めればいつか消え果てる。人が無機物に――それも鉱石に変わるなんて現象はあり得ない。闇の魔術を使ったとしてもだ」
クロードは微笑んだ。
「それこそが聖女の神秘だ。聖女は我々、普通の人間とは、魔力の波長も存在も異なっている別種の生き物だからね」
「イリスも、そう、なんですか」
ああ、とクロードは頷いた。だがディマは納得できない。
信仰で真実を覆い隠すことはよくあることだ。単なる水晶を、聖女の成れ果てだと言い張っているだけだろうと、そう思いたかった。前の聖女は百五十年も前に現れていた。今、生きている誰も、彼女のことを知らないのだ。そう考えると、落ち着いてきた。
「先生、この没年は本当に正しいのでしょうか。僕が歴史で習った聖女の生存年数とは異なっています。長生きしたと伝えられている人も多いのに、ここにある刻印は、いずれも年若くして亡くなっているじゃないですか」
クロードはじっとディマを見る。
「正しいものだ。シューメルナが現れて三千年、聖女はイリス・テミスで二十一人目だが、教皇庁は全員に対して正式な記録を持っている。歴史と異なるなら、間違っているのは歴史書の方だ」
慈悲のかけらもない答えだ。だがディマは納得するわけにはいかなかった。
「じゃあ、二十歳に近づけば聖女は死ぬということですか。例外なく、イリスも? 早ければ十代でですか?」
「ああ、イリスも死ぬ」
クロードは断言した。ディマはもう必死だった。
「だけど、あの子がもし、聖女じゃなかったら? 違う人間が本物の聖女だったら、イリスは生きられるんでしょう?」
クロードの目線が、わずかに厳しさを帯びた。
「あまりそういうことを、外で言わない方がいい。イリスは聖女だ。聖女に偽物も本物もあり得ない。彼女が聖女になることは、生まれる前から決まっていたことなのだから」
「では、イリスが偽物ということはあり得ないということですか?」
イリスはずっと言っていた。本物の聖女はアリアで、自分は偽物なのだと。ディマの思考を読むように、クロードは言う。
「……あの子は以前、アリア・ルトゥムという人間こそが聖女だと主張していたようだが、それはない。
何者も彼女に取って代われない。イリスは聖女になりたくなかったようだが、なりたいなりたくないに関係なく、聖女は彼女だけなんだよ。いずれは聖女の心臓を持った司祭が、彼女の存在を突き止め、結局は同じ現在になっただろう。どれだけ対策し、あがいたところでね」
ディマはクロードに反論したかった。
だがイリスの魔法とこの部屋が連動しているのなら、彼女が聖女である証は十分にあるということだろうか。
いや、そうとも言い難い。イリスがここで魔法を使い、そして水晶が光るのをこの目で確認しない限り、確実な事実など存在しない。ディマは両手を握りしめた。
「……なぜ僕に、この部屋を見せたんですか」
再会してからおそらく初めて、クロードの瞳に影が差した。ゆっくりと、彼は言った。
「味方でいると、約束したんだ」
憐れんでいるような瞳に、ディマには思えた。
「いずれ訪れるその時に、君達の心が壊れないように、覚悟を決めて、欲しかった。このことを、イリスに告げるか告げないかは、ディミトリオス、君に任せる。聖女の魔力は相当なものだ。普通の人間には耐えられないが、聖女として、シューメルナに選ばれた少女たちは違う。シューメルナの庇護の下、膨大な魔力にも耐えられる精神と肉体を授けられる。だが、それも、二十年持つのがやっとだ。後数年で、別れは来る」
言葉の中に、違和感を覚えた。
「選ばれたと言いますが、聖典には、聖女は皆、シューメルナの生まれ変わりであると書かれています。クロード先生は、聖典を信じていないのですか?」
「聖典はある。たが鵜呑みにはしてはいない。聖女はいる。だが信仰はしていない。
聖女はシューメルナが……あの最も大きな水晶柱が、選んでいるんだ。生まれ変わりではない。肉体と魂を変化させ、聖女達は今もこうして生きているのだから。
君は雷という気象現象を知っているが、それを神だとは思わないだろう? あれは単なる静電気だ」
「聖女も同じだということですか。聖なる者の生まれ変わりなんて非現実的なものではなくて、単なる、自然現象だと」
その問に、クロードは答えず、微笑んだだけだった。
束の間の静寂が訪れた。
肉体が魔力に耐えられないという現象に、覚えがあった。
イリスは子供の頃、血を吐いて倒れた。
あれは聖女である予兆だったのだろうか。
既にあの時には、運命づけられていたというのだろうか。
あの幸福だった日々にはもう、この未来が予測されていたのだろうか。
アリアが現れ、選択肢を間違えれば、十七歳でイリスは死ぬ。だがクロードが言うように、本物の聖女がイリス以外にいないとしたら、いずれ肉体が朽ち、イリスは死ぬ。
「……そんなの、あまりにむごいじゃないですか。僕は、どうやってイリスを守ればいいんです」
ふと思い出したのは、幼い頃に聞いたクロードの見立てだ。
「先生は、イリスの魂が二重に見えるとか、闇の魔術がかけられているとか言っていました。イリスが聖女だからですか?
あの子に、何が起きているんです。僕もイリスの魔法を解こうとしました。でも、そもそも術式なんて見えなかった」
魂なんてもってのほかだ。輪郭さえ分からない。
また、水晶が光る。クロードの顔が青白く照らされた。
「イリスの場合、表面に現れる魂と、裏面に現れる魂が、重なっている。闇の魔術がかけられているのは、裏にある魂だ。
だから普通は見えないし、見えたとしても並みの人間には触れられない。あれを誰がかけたのかわからないが、彼女は未だに健康だ。魔術はむしろ彼女を守っているようにも思える。経過観察を続けるというのが、ヘイブン聖密卿の考えだ」
解かなくとも、数年すれば死ぬと知っているからだ、とディマは思った。
闇の魔術がかけられた聖女など、不穏が過ぎる。であればイリスが死ぬまで解かずに隠した方がいいと、教会は考えたに違いない。
ディマはなおも食い下がった。
「だけど、たとえばもし――。もし、シューメルナが心変わりして、別の人間を聖女に選び直したら。そうだとしたらイリスは聖女ではなくなる。妹は、生きられるでしょう?」
尋ねれば尋ねるほどに確定的な不幸へ向かう問答だが、問わずにはいられなかった。
「もしそうだとしたら、生きられるだろうが。言っただろう、それはあり得ない。ディミトリオス、闇雲に希望を持たない方がいい。君たちにとっては残酷だろうが、世界にとって、聖女の出現ほど喜ばしいことはないんだ。
子供は未来に希望を見出し、老人は死の床で救いを見る。幸福を夢見て生きられるのなら、それはまさしく幸福だ。イリスは幸福の象徴として生き、皆に愛され、肉体が滅んだ後も水晶となり永遠を生きる。それが聖女の運命だ」
ディマは目を伏せた。
(先生には言えないけど、希望はある)――あると思っていた。
イリスの言う小説の中では、あと二年もすればアリアという少女が現れ、彼女が聖女になる。ということは、シューメルナは心変わりして、別の聖女を選んだということだ。
つまりイリスは偽物ではなく、途中から、どういうわけかアリアと交代した。
もっとも、その小説が本当にあればの話だ。
だが、頭ごなしに否定はしない。あの妹の性格的に、嘘は吐かないだろうし、彼女の語った未来に近い未来に、今はなっていた。
だから、その小説の未来は、確実に起こると、思っていた。だとすれば、アリアは現れる。
だから、イリスは生きられる。死んで水晶結晶になるのはアリア・ルトゥムだ。
――良かった。
そう思った自分に気づいた瞬間、ディマは戦慄した。
(誰かの死を、こんな風に歓迎するなんて――!)
だが、やはり、ディマは喜んでいた。誰かが死ぬことでイリスが生きられるのなら、自分はその誰かの死を止めることはないだろうと、冷静になってもなおそう思う。
イリスは過去に言っていた。小説の中で、アリアを探し、連れてきたのはディミトリオスだったと。
だとしたら、とディマは思った。
小説の中のディミトリオスは、妹を生かしたくて、別の聖女を連れてきたのかもしれない。たとえ全てが裏目に出て、その愛する妹を失うことになったとしても。
育ての母、ミランダとも手紙のやり取りを続けていた。彼女は、フォルセティ家やリオンテール家に気付かれないように、アリアを街で探している。だが、どこにもルトゥム家などないという。
イリスの話では、アリアは帝都郊外で、妹と一緒に暮らしている。移住してきたわけではなく、土地の人だ。だが、いない。
小説はどこまで正しいのだろう。
(どこまで正しいのかは重要じゃない。アリアが聖女になる可能性があるのなら、その道を選ばなくてはならないんだ。絶対に)
自分は本当に、アリアにとっての悪役になるかもしれない。
思考を、クロードにさえ気付かれてはならない。ディマはもう、問いを重ねはしなかった。




