旅立ち
ディミトリオス・テミス
ディミトリオス・テミスは十五歳になっていた。
身長は伸び、声もぐっと低くなった。体つきで言えば、大人とそう変わりはない。
送り込まれた神学校は、ローザリア本土から海を越えた先の大陸の中央に位置する、中立を掲げるミーディア国にあった。
もう三年近く、ここで過ごしている。
友人は数人できたが、いずれに対しても本心は語らなかった。司祭になる気などさらさらない。いつかローザリア帝都に戻るつもりでいたが、未だその連絡はない。
初めのころ、ディマは打ちのめされていた。それは周囲を優秀な学生に囲まれていたためではない。逆だった。
聖典を暗記している人間など自分くらいのものだった。神を信じないディマが、神学校で首席だというのは皮肉なものだが、手抜きができない性格だ。退屈するのに時間はかからなかった。
聖女の兄という噂が勝手に広まっていたこともあり、あっという間に一目置かれる存在になった。
もっとも一目置かれるようになったのは、神学校に着いて早々、絡んできた生徒をぶちのめしたせいも往々にしてある。
その生徒――ルシオ・フォルセティは二つ上だが、この三年のうちに、瞬く間に距離を詰められた。初対面で殴ったにもかかわらずなぜか懐かれ、側に寄って来る。毛色の違う同輩を、面白がっているだけかもしれない。
この日もやはりやって来た。
中庭の石段に座り、聖典を読んでいた時だ。
「ようディマ。相変わらず硬っ苦しい制服を着てるのか」
下から、そう声をかけられた。
「何の用だ、ルシオ」
そっけない答えを気にするでもなく、ルシオ・フォルセティは石段に上り、上機嫌で歩み寄ってくる。
栗毛に高い鼻、面長の顔は父親に似ているな、とディマは思う。目や表情の柔らかさは恐らくは母親似なのだろう。軽すぎる性格が誰に似ているのかは不明だ。
司祭見習いの黒服は配給されているはずだが、ルシオは一切それを拒否し、赤だの青だの豹柄だの、派手な服ばかり着ていた。髪型にしてもそうだ。若い廷臣の間で流行っていると、栗毛を長く伸ばし、赤いリボンで結んでいる。それを見る度にディマは、馬の尾のようだと思っていた。
「恩に着ろよ、聖女様の兄上。愛しい人からの手紙だ。相変わらず、お前のに引けを取らないくらいには分厚い」
そう言ってルシオは蝋で封がなされた手紙をひらひらと振ってみせた。
このところ、彼は姿を見せなかったが、どうやらローザリア本土に帰っていたようだ。
女遊びも賭博も、規律の乱れも隠すどころか率先して行うルシオに、それでも友情を抱いているのは彼がディマとイリスの文通の仲介を買って出たからに他ならない。
手紙を受け取り、封を切る。隣に腰掛けながらルシオは言った。
「聖女様宛ての手紙はまず、陛下が見る。お前が妹に宛てた恋文も、俺がいなきゃ筒抜けだ。
俺が聖女様に直にお会いしてお前の手紙を手渡してるから、誰にも読まれずに届いているんだぜ。あの陛下は屈折していらっしゃるからな、もし手紙を見でもすれば、嫉妬に駆られてお前をまた殺すと言うかもしれない」
手紙の仲介をする度に、ルシオはそう言う。もう何度も聞かされた言葉に、彼の方を見ずにディマは答えた。
「不敬罪だぞ、処刑される」
ふん、とルシオは鼻で笑った。
「ここはミーディアだぜ。大陸で一番平和な国だ。オーランドの悪口も海を渡っては届かない」
手紙の文章を目で追いながら、隣に尋ねた。
「イリスは元気にしているのか」
瞬間、ルシオは立ち上がり、興奮した様子で一気にまくしたてた。
「元気さ! 女神のような方だ! 凶悪なお前の妹などとは信じられないくらいに美しく可憐で、そうして華やかで、か弱くていらっしゃる。
まだ少女のくせして、笑いかけられると胸が苦しくなる。きっとあの笑顔で多くの男を報われない恋に陥らせているに違いない!」
本気でルシオは言っているらしかった。その目は輝いている。
「お前は十歳の幼い彼女しか知らないんだな、可哀想に」
束の間あっけにとられたが、ディマは視線を手紙に戻した。
だとしたら彼女はよくやっているのだ。自分が彼女に抱く印象とは異なっているのだから。
ディマが思うイリスは、少しもか弱くなどなかった。
むしろ恐ろしいほどの意志の強さで、道を開拓していく。逞しく、強かで、生きる希望に満ちていた。他人など信じないと心に決めているにもかかわらず、信じることを渇望する、そんな矛盾の人でもあった。だから、側にいて守らなくてはならなかった。他人を信じない自分がいれば、ちょうどいい。だが数年前の失敗のせいで、それも叶わない。それを思うと、未だ胸が苦しい。
手紙は当たり障りのない内容だったが、気がつくと微笑んでいた。宮廷での暮らし、噂話、母親のことや、父親のこと。父アレンは創造主派から聖地奪還のため、多国籍で組織された聖兵として、大陸の西南部で従事していた。
百年以上断続的に戦争しているその地での戦闘は、今回も数年になると考えられている。だが無事でいるらしい。帝都には手紙が届くという。無事なら、それでいい。
“会いたい”
文面の、イリスが書いたその文字を、指で撫でた。
(僕も会いたい)
だが今は、彼女が元気でいることが分かればいい。彼女の文字だけでも、手元にあればそれでいい。彼女が健やかに過ごしていることだけが、ディマの心の支えだった。
ディマの表情を見て、ルシオが眉を顰め、隣に座り直した。
「お前を見てると不安になる。妹以外の女に興味はないのか」
「ない」
断言すると、片手で顎を掴まれ、無理矢理ルシオの方へと首を曲げられる。
「なあディマ。お前は確かに優秀で、神学校の首席だ。だが精神まで神に尽くしてどうする? 堅物で偏屈じゃ、この顔面の持ち腐れだ。もっと遊びを覚えろよ。司祭になる気なんてさらさらないんだろ?」
ディマは驚きを持ってルシオを見た。司祭になる気はないが、それを誰かに伝えたことはない。表向きは神に尽くす従順な学生を演じていたが、気づかれてしまうものなのだろうか。
(――気を引き締めなくては)
改めてそう思うディマの気など少しも知らず、ルシオは満足そうに笑う。
「じゃあ世間を知らなきゃな。今風に髪を伸ばせよディミトリオス。お前は宮廷で出世しそうだ」
ルシオが不意に髪に触れたため、ディマは振り払った。
「触るな気色悪い」
イリスは以前、小説の中のディミトリオスは髪が長かったと言っていたが、未だに伸ばすつもりはない。
振り払われたルシオに気を害した様子はなく、再び立ち上がると咳払いをして言った。
「そこで俺は思ったんだ。旅だディマ! 見識を広めよう!」
「旅?」唐突な申し出に、困惑が隠せない。
「ルシオ、お前だって知ってるだろ、僕は神学校を出られない。ここで大人しくしているのが国からの命令なんだよ。帰国さえ許されていないんだから」
ルシオに合わせて立ち上がりながら言う。ルシオは含みのある笑みを見せた。
「ところがもう手配済みだ。教皇庁のあるエンデ国へ行くと言ったら休学届はすんなり通ったぜ。行って帰ってたったの二週間。いちいち学校も国に連絡しないだろ」
「エンデ国――」
ディマの興味が引けたようだと、ルシオはさらに乗り気になる。
「なあ? 誰もが納得する優等生っぽい行き先だろ。俺とお前のふたり旅だ。従者は付くがな。司祭服は脱ぎ捨てろ、きっと楽しい旅になるぞ。……異論はあるか?」
エンデ国。それは聖女を信仰する宗教の総本山だ。本物の聖女アリアの手がかりが、掴めるかもしれない。そう思い、ディマはルシオに、短く答えた。
「――ない」
そこで、何かが分かるかもしれない。
お読みいただきありがとうございます!
第二章開始です、お楽しみいただけると嬉しいです!
二章は少しだけディマの話も挟みながら進行しますが、次の話からイリスに戻ります。
ローザリアは島国で、ディマ達が通う学校は海を渡った先の大陸にあります。ローザリアは島国ですが、大陸内にもいくつか属国と領地を持っています。
ちなみにこの物語のタイトルは
・偽物聖女の生存戦略
・ローザリア戦記
など考えましたがしっくりこなくて止めました。




