番外編:傍観者ルシオ・フォルセティ
ルシオ・フォルセティは恵まれた人間であると自負していた。
父親は強国、ローザリア帝国の公爵であり、金に困ることなどあり得ない。
生まれたときから幸福が約束されているような身の上に加えて、両親のいいとこ取りをしたような外見で、「花の貴公子」などと呼ばれ持て囃され、幼い頃から国中の注目の的だった。成長すれば同じように身分の高い貴族の娘と結婚し、富を増やすことが、ルシオの役割だった。
だからルシオは増長していた。
身分の高さを鼻にかけ、放蕩しては問題を起こした。現シルワ公爵という肩書を持つ父、ファブリシオ・フォルセティが、末息子のルシオを神学校へ入れると決意したのは、だからだった。
世界最高峰の教育を受けられるその神学校にいる者は二極化していた。
一端にいるのは、学業優秀で国費で学びに来ている平民達。そうしてもう一端にいるのが、ルシオをはじめとする親の手に余る素行不良の金持ち息子たちだった。それでもその学校を出た者は一目置かれ、司祭にならずとも帰国後は国政に携わる者も多い。寄宿学校であれば悪さもそうできまいというのが、父ファブリシオの考えだった。だが父の予想は、大きく外れている。
ルシオが神学校に入学したのは十三歳の時だ。一年が経ち、現在は十四歳。
その間に金に物を言わせ、子分を幾人も作り、教師の数人を賄賂で飼い慣らした。つまるところ、神学校のガラの悪い連中の代表となっており、父の望む通りの優良な学生になる気など、そもそも彼にはなかったのだ。
ルシオがその少年に会ったのは、ある夏の日のことだった。土砂降りの雨が降り、空は暗い。そんな日のことだった。
新しい生徒が来るという噂はあったし、父から直々に手紙をもらったため、どんな奴が来るのかは知っていた。
父いわく、この度ローザリア帝国に出現した、聖女イリス・テミスの兄であるため、丁重に扱えとのことだった。
だが一方で、噂は違っていた。聖女様を真っ向から否定した異端の少年。あわや処刑となったところ悔い改め、帝都から遠ざけるために神学校へと送られた。
(親父は可哀想な奴らが好きでたまらない。施しを与える自分に酔ってるからな。可哀想であればあるほど、そそられるんだ。聖女の兄にして、異端の少年とは、それはそれは哀れなんだろう――)
きっと国上層の誰かが、その少年を邪魔に思って処分しようとしたところ、ファブリシオが助けたのだろうと、ルシオはそう考えていた。自身が恵まれた者故か、ファブリシオは慈善事業が大好きだったからだ。
だからそれらしき馬車が神学校の門の前に到着するなり、いの一番に見に行った。一体どんな情けない奴だろうと考えていたが、降りてきたのは、考えていたよりもずっとしっかりした足取りで歩く少年だった。服装からして、それほど貧しい者でもなさそうだ。
何より周囲をざわつかせたのは、彼に付き添ったクロード・ヴァリ司祭の存在だった。ヴァリ司祭は神学校出身者ではないが、出世街道を爆走する男として、憧れる学生も多かった。だからその少年は、神学校に一歩入った瞬間から、周囲に一目置かれる存在になったのだ。
だが、ルシオだけは違う。
(あの目のギラつき、気に食わないな)
己より立場の上の人間が、元来嫌いな性分だ。三人いる兄をどうやって出し抜こうかと、いつも考えているほどなのだから。
その少年が放つ、異様な目の輝きに腹が立った。
お前の瞳は、黒く濁っていなくてはならない。親父に助けて貰わなければ、命さえ危うかった負け犬のくせに。
だから、校舎に向かって歩いてくる、その少年の前に、取り巻きとともに立ちふさがった。立ちふさがるなり、言った。
「おい、お前、聖女様の兄君なんだって?」
雨が降り続いていた。わずか不愉快そうに少年の目は細まった。隣にいるヴァリ司祭が、少年に言う。
「彼はルシオ・フォルセティだ。ファブリシオ公の四男に当たる方だよ」
少年の目が、ルシオをまっすぐに捉えた。普通、公爵の子供であると言えば、対面する相手は萎縮し、かしこまる。ローザリア帝国出身者ならなおさらだ。だが少年は怯むどころか、にこりともせずに無表情のままで言った。
「そうですか。あなたのお父様には随分とお世話になりました。感謝しています」
丁寧な言葉とは裏腹に、未だギラつく瞳は、まるでこの世のすべてを軽蔑しているかのようだ。反抗的態度を矯正し、上下関係を教え込まなくては。取り巻きがにやにやと笑う気配がした。ルシオは魔法の腕も喧嘩の腕も確かであるから、この新入りが叩きのめされるのを、皆、今か今かと待っている。
実際そうだ。ルシオはさらに言った。
「卑しいテミス家は、母親と娘がその美貌と体で皇帝を骨抜きにしたと聞いたが本当か」
途端、ルシオの友人たちが、嘲笑する。
ヴァリ司祭は、付き合いきれない、とでも言うように無言で首を横に振った。
言われた当の本人である少年は、束の間目を見開き、そうして耐えきれなかったのか、目を閉じ下を向いた。唇を噛み、肩を震わせているその様子を見て、ルシオはひどく満足した。弱者を屈服させる瞬間が大好きなのだ。
「おや、聖女様の兄上は泣いてしまわれたか?」
と言った瞬間だった。少年が目を開く。
すべては一瞬のことで、ルシオが認識できたのは、少年の黄金の瞳に浮かぶのは敗者の諦めでは決してなかったということだけだった。
「――このくそ野郎!」
そう罵られたのは初めてだった。誰かに殴り飛ばされたのも初めてだった。
殴られたと気がついたのは、頬の痛みと、口の中に広がる血の味と、泥濘んだ地面に思い切り打ち付けられたのを感じてからだった。泥が服と肌に付く。だがどうすることもできずに、地面に転がる他なかった。反撃のため起き上がろうとしたが、目の前に魔法陣が出現し、それも叶わない。
「貴様の行動に対する正しい結果だ。僕が学園に入るまで、少しでも動いたら切り刻む。殴るのに魔法を使わなかっただけ感謝するんだな、この人間の屑め!」
吐き捨てるように少年はそう言い、ルシオの脇を抜けていく。
クロード・ヴァリにしても、無関心に歩き始めた。それもそうだ、この神学校では、国籍も身分もなく、あらゆる生徒が平等というのが建前だ。だがそれにしても少しは助けてくれても良かったものだと、後になってルシオは思う。もっとも、この場での悪人は、明らかにルシオの方だったから、仕方のないことだったのかもしれないが。
ルシオや友人たちを取り囲むのは攻撃の魔術が含まれた魔法陣だ。少しでも当たれば怪我をする。だから少年が魔術を解くまで、ルシオたちは動けない。これほどの量の魔法陣を、瞬時に、そして強い魔力を込めて出現させられる人間を、鍛錬された兵士以外に知らない。
ルシオの心は震えていた。
先程少年の瞳に浮かんでいたのは、明確な殺意だった。この世の理不尽の全てに対する殺意のように思えた。
相当気の立った獣を、ルシオは挑発したのだ。
(あれは怒りと憎しみだ)
震えていたのは、恐怖からではない。今までの人生で出会ったことのない未知に、ただひたすら圧巻されたのだ。笑みが漏れたのは、だからだった。
ルシオは魅了されてしまった。あの強烈な光を宿す輝く瞳に。
端的に言えば、興味を持った。この神学校で、ルシオは退屈していたのだ。代わり映えない日々に、面白いやつが投入された。この時はまだ、それくらいにしか考えていなかった。
「俺はルシオ・フォルセティだ! よく覚えておけ!」
魔法陣に触れないようにしながら、振り返り、雨音に負けないように腹の底から少年にそう叫ぶ。少年はやはり、軽蔑したような目を向けただけだった。
――この日の出会いは、何年経ってもルシオの記憶に刻まれることになる。
後に、ルシオの親友になり、そして同時に深く心酔することになる、ディミトリオス・テミスとの最低すぎる初対面だったのだから。




