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イリス、今度はあなたの味方  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第一章 聖女イリス

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処刑騒ぎ

 オーランドをはじめとする中枢貴族達の動きを見て、ローザリア帝国についに聖女が現れたのではないか――そんな噂ばかり囁かれていた。けれど、わたしの存在は、未公表のままだった。


「発表の場はきちんと考えているから、心配しないでいいんだ」


 オーランドはそう言って、秘密めいた笑みを浮かべる。

 わたしは隠されていたけれど、皇帝が匿っている謎の娘の存在は誰もが知っているようだった。わたしが廊下を通ると、貴族達は揃って仰々しいお辞儀をしたのだから。

 オーランドはいつもわたしの手を取って、そこにキスをする。


「可愛い人。美しい私のイリス――君と結婚する日が待ち遠しいよ」

 

 けれどアリアが現れたなら、彼も彼女に恋をする。


「わたしは、陛下のものではありません」


 愚かにもわたしはそう言い返していた。

 オーランドは、やはり微笑むだけだった。


 浮かれ、ざわつく城内の中で唯一、お母様は嘆いている。


「裁判さえなかったのよ。ディマの身の潔白を証明をする場さえ与えられていないなんて」


 そう言って首を横に振る彼女は、わたしの侍女に収まった。宮廷での立ち振る舞いや受け答え、身につける装飾品に至るまで、彼女の指示を受けていた。そうでなければ田舎の少女のまま、貴族達の嘲笑の的になっていただろう。


 わたしの部屋で、家にいた頃よりも長く、わたしはお母様と話すようになっていた。

 結婚する十九歳まで、彼女はサーリの侍女として宮廷に出入りしていたのだと言う。


「そんなの初めて聞いたわ。少しも知らなかった」


 驚いてそう言うと、お母様はわたしの頭を撫でる。


「わたしもすっかり忘れていたの。アレンと結婚して、あなたが生まれて、そうしてディマが来てからの日々は、今までどうやって暮らしていたか忘れてしまうくらい、幸福そのものだったんだもの。

 結婚をして、幸せを知って、世界がすっかり変わってしまったように思っていたわ。だけど、ここは何一つ変わっていないのね。綺麗な飾りも美しい人たちもいるけれど、領地に勝るところなんて、ひとつもないわ……」


 言ってから、彼女はわたしを抱きしめた。お母様の悲しみはよく分かる。

 お父様はまだ、見つかっていない。どこにいるのかも、分からないままだ。


 わたしの力になると言ってくれたファブリシオが、なにかしてくれたということもなく、情報がほとんど遮断された中で、周囲でどんな動きがなされているのか何も知らない。

 宮廷はこういう場所なんだ。あらゆる思惑が働き、銘々自分の欲に従い、そうしてそれを、曖昧な笑顔で覆い隠している。

 早く故郷に帰りたい。そればかりを考えた。

 あの領地で、巡る季節を過ごすことだけが、わたしの望みだった。



 ディマに会った日から、数日後に、処刑は執り行われることになった。

 塔の横、イリスが小説の中で処刑された、あの広場で。



 処刑の日、わたしとお母様は皇帝の隣の席で、様子を見守ることになった。貴族も平民も、広場横に設けられた高い台の上で、オーランドの隣にいるわたしたちを物珍しそうに見ている。


 皇太后サーリは不在だった。体が弱いと言った彼女の言葉は本当だったようで、昼間の多くを伏せっている。今日もそうだ。

 だから皇帝の補佐としているのは、サーリの実弟ルカ・リオンテールだ。金髪を撫でつけ、目を光らせる。相変わらず、隙の無い男だった。


 広場の真ん中には、処刑台が設置され、その周囲を、兵士達が守っている。群衆達は取り囲み、異端の少年を、今か今かと待っていた。


 突き抜けるような青空が、わたしたちをあざ笑う。こんな馬鹿げたこと、早く、終わればいいのに。


 やがて塔の中から、ディマが現れた。ヤジが大きくなる。お母様が小さく悲鳴を上げるのが分かった。


 ディマの、黄金色の瞳と目が合った。

 彼はわたしを、真っ直ぐ見つめていた。微笑んだつもりだったけど、上手くできたか分からない。なのに彼の方は、ほんの少しだけ笑ってみせた。


 兄は恐怖に染まっていなかった。嘆いてもいなかった。

 しっかりした足取りで壇上にのぼり、処刑台の前まで歩く。

 顔面をすっぽり覆うマスクを被った処刑人が、斧を握りしめ、台の上でディマを迎え入れた。


 両手を握りしめた。

 大丈夫、だって、これは、仮面劇だ。

 皆分かってる。あんな子供を、皇帝が殺すはずがないってことを。

 だから大丈夫。ディマは死なない。罪を認めればいい。小説の中のイリスとは違う。ディマは助かる。


 ディマに目隠しがされ、処刑台の上に倒された。

 壇上に、黒い服を着た司祭が上がり、ディマの罪を読み上げる。神を冒涜した罪。聖女を冒涜した罪。国への反逆。皇帝への反逆。

 そうして司祭は最後に言った。


「罪を、悔い改めますか」


 一瞬、嫌な予感がした。


 ディマは、罪を認めないつもりかもしれない。

 イリスが決意を変えられなかったように、ディマもまた、自分の信念を曲げられないんじゃないのだろうか。――けれど、ディマは聡明だった。


「はい、僕は間違っていました。罪を悔いています。創造主と聖女シューメルナ様の許しを懇願し、祈る日々だけを過ごしています」


 まるで、本当に後悔しているかのように言うものだから、それまでディマを殺せと叫んでいた人でさえ、胸を打たれて何も言えない様子だった。皆、彼がただの子供だと言うことに気がついたんだろう。


 ほう、とお母様が安堵のため息を漏らすのが分かった。わたしにしても、力が抜けそうになる。

 良かった。これで終わるんだ。

 後はオーランドが手を上げて、ディマの処刑の中止を宣告すればいい。それでこの馬鹿みたいな劇が終わるんだ。


 なのに、オーランドは黙っている。


「オーランド様、ディマは――ディミトリオスは罪を認めました。彼の処刑を中止してください」


 オーランドは黙っている。


「オーランド様! 処刑を止めさせてください!」


 ようやくオーランドはわたしを見た。顔には無表情が浮かび、その目は、少しも笑っていない。

 お母様の肩に、ルカ・リオンテールが触れた。


「君が君の母と兄にかけた守護魔法は、この数日で既に解いた。もはや我々は、君の家族の命を容易く奪うことができる」


「……まさか!」


 お母様の表情は、さらに蒼白になる。

 魔法を行使すれば、命なんて、簡単に奪えるとでもいうように、ルカはお母様の首を撫でた。

 ファブリシオ・フォルセティを見る。彼はこちらで起こっていることなどまるで無関心であるかのように、その視線を処刑台に向けていた。


 わたしはなんて、馬鹿なんだろう。誰も信じず、一人で生きていこうとしていた前世での経験があったはずなのに、幸福すぎる十年の中で、たちまちかき消えてしまっていた。人なんて基本的に信用できないってことを、わたしは忘れてしまっていた。

 初めから“処刑のふり”なんかじゃなかったんだ。この帝国は、聖女を意のままに操るために、わたしに恐怖を植え付けようとしている。ディマを生け贄にして。


 ディマに目を向ける。

 彼の背後に、処刑人が立った。


「イリス。あなたは何もしなくていいわ」


 お母様が震える声でそう囁く。


「お母様とお父様が、全ての責任を負いますから」 


 はっとして、人々に目を向ける。

 群衆の中、ひときわ背の高い、赤毛の男性が見えた。――お父様だ。

 お父様は腰に下げられている剣を握っている。ディマを助ける気なんだ。

 お母様とお父様が、連絡を取り合っていたなんてことはない。なのに二人は、同じことを考えているようだった。ディマを助けるつもりだ。たとえ命を失ったとしても。


 お父様は群衆を割っていく。

 処刑人がディマに斧を振りかざす。

 お父様は剣を引き抜いた。

 兵士達がお父様に気がつき、彼らもまた剣を抜く。


「だめよ!」


 瞬間、恐ろしい幻が見えた。

 お父様の遺体を前に、泣き崩れるお母様。

 首を切られるお母様の姿を、塔の牢獄から眺める自分。わたしの首が切られる瞬間の、ディミトリオスの慟哭。

 わたしが見たこともない景色。――イリス。あなたが見せているの? 平気よ、同じ未来には決してさせない。


 処刑人の足下目がけて、魔法を放った。処刑人は後ろに転び、手から斧が放り投げ出される。

 魔法陣を使わないから、誰もわたしが魔法を使っただなんて分からない。

 次はルカだ。お母様を解放すべく、彼に攻撃魔法を放った。彼の命を奪ったとしてもいい。しかしそれは、何者かの手によって弾き飛ばされる。弾かれた攻撃魔法は角度を変え、はるか空中へと飛び、花火のように頭上で炸裂した。

 

「そこまでだ!」

 

 鋭い声とともに、人々の間を割って、広場まで辿り着いた者達がいた。


 初め、それがなんだか分からなかった。巨大な黒い獣が、処刑台に近づいていくように思えた。けれど近づくにつれ、それがなんであるか分かった。

 黒い服の男が一人、車椅子を押しながら、歩いてきていた。車椅子に座る人は、ローブを纏い、顔を隠していて、性別も、年齢も不明だった。だけど職だけは分かる。その人は、司祭の服を着ていたのだから。

 

 貴族達が息を呑む。

「ヘイブン聖密卿だ」誰かがそう、囁いた。

 だけどわたしが見たのは、車椅子に乗るヘイブン聖密卿ではなかった。その後ろ、車椅子を押している人だけを、はっきりと認識した。


 暑い日差しが蘇る。憂いなく過ごした、美しい日々。

 あの夏、彼はいつもわたしたちの側にいた。


 ――クロード・ヴァリ。

 その司祭は、鋭い眼光で、貴族席にいるわたしたちを睨み付けていた。

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