イリス、暴れる
この晩餐会が、一体何か分かってしまった。これは単なる親睦のための食事会じゃない。中枢の貴族達が集まり、この国の行く末を決める会議だ。
思わず口を挟んだ。
「聖女を否定する人間を処刑してはいけません。その人たちには、その人たちの考えや信仰があるのですから、考えを尊重しなくてはならないと思います」
「心が清いのですね」
言ったのはまたしてもファブリシオ・フォルセティだ。髭をゆっくりと撫でながら、その目は疑い深くわたしをじっと見据えている。
「公爵、彼女は聖女ですから、誰よりも美しい心を持っていますよ」
オーランドがそう言ってわたしに微笑みかけた。わたしの心は別に清くはないけれど、ディマを殺させるわけにはいかなかった。
「ミランダ・リオンテール。あなたともあろう方が、我が子に歴史を教えていないのですか?」
次に口を開いたのは、リオンテール家ウォーゴット公爵家の長男、ルカ・リオンテールだった。家長は高齢のため、代わりにこの場に参加したと、挨拶をしていた。昼間の謁見の時に、聖女の心臓を持ってきたのもこの人だった。
端正な顔立ちではあるけれど、食事会中もにこりとさえ笑わない。金髪をオールバックにし、服をきっちりと着こなしていて、一分の隙も無い外見から、勝手に冷徹な印象を受けていた。
そんな彼はお母様の親族だ。皇太后サーリの、弟にも当たる。
突然名を呼ばれたお母様は一瞬言葉に詰まる。
「……ルカ様、わたしはアレン・テミスと結婚し、ミランダ・テミスを名乗っています」
訂正から入り、彼女は続けた。
「歴史なら教えていますが、直近のことは、ほとんど伝えていません。娘がもう少し大きくなって、分別が付いたら教えるつもりでした」
ルカはため息をつくと、再びわたしを見る。
「ローザリアの今の平和を築いたのが誰か、あなたは知っていますか?」
「歴代の王様たちです」
「いいえ違う。オーランド様の父帝リオン様です」
教科書通りの答えは、あっさり否定される。貴族達からため息が漏れたのに気がついた。どうやらこの場の貴族達の中で、最も権力を握っているのは彼のようだった。
ルカは私というよりむしろ、この場全体に響かせるように言葉を続けた。
「セオドア様を否定するつもりはありません。時の為政者が変われば、方針が変わるのは当然のことですから。ですがセオドア様は創造主派でした。神の子聖女シューメルナ様を信じずに、神のみを唯一信仰する方でした。あの時代、どれほどの罪のない人間が、処刑台に送られたのでしょう。
……我が国にそのような期間があったことは、血塗られた黒歴史と言ってもいい」
オーランドがわたしの手を握りながら、穏やかに言う。
「叔父のセオドアが王になったとき、聖女様を信じる多くの者が、罪無く殺された。聖女様を信じる市民は創造主派につるし上げられ、広場では毎日新しく死体が増えた。通りごとに絞首刑台が設けられ、多くの私刑が勃発した。昨日まで笑い合っていた隣人が、確たる証拠も無しに、殺しにかかる。その人が聖女派だと言えば、殺人が許される。王を導くはずの聖密卿は教皇庁のあるエンデ国へと追い戻され、教会は新たに作られたローザリア国教の教えを説いた。
父は叔父が死ぬまで僻地へ追いやられていたが、叔父の死後王位に就き、聖女派へと再度国を改めた。以来帝国は平和で、もう殺戮は行われない」
二代前の皇帝セオドアが創造主派だということはディマが言っていたことがある。だけど、その時代がどれほど暗かったかは知らなかった。信じる宗派の違いで、血みどろの争いが起こりえるということは、前世の知識で知ってたけれど、それがこの国に、しかもつい十数年前に起きていたとは知らなかった。だって、小説ではそんなこと、触れられていなかったもの。
「セオドア様は悪しき王でした。ですから今の平和の世を続けるために、わたくしたちは努力を重ねなくてはなりません」
オーランドの言葉にサーリが慎重そうに頷いた。
話が不穏に急速に傾き、流れを正そうとわたしは思わず問いかけた。
「ですが、この国が帝国になれたのは、セオドア様がいたからではないのですか? 聖女派ではないからと言って有能な人物を処刑しては、それこそローザリアの損失ではないのでしょうか。それに、わたしでない人を聖女様と言ったからといって、創造主派ではありませんわ」
ディマは神や聖女なんて恐らく信じていないし、聖女が別の人間と言ったのは、信仰心からでなく、わたしを助けるためだ。
ルカ・リオンテールは冷笑する。
「イリス、あなたはまだ幼い。それに、田舎から今日、帝都に出てきたばかりの娘だ。一度目は大目に見ましょう。ですが明日までに、その考えを矯正しなさい。
聖女はイリス・テミスであると、今この場の誰もがそう信じています。自覚しなさい。あなたは今日から、世界中の信仰の対象になったのですよ。信仰の違いは許されない。だからこそサーリ様が処刑しかないと言ったのです」
貴族達は静寂に包まれた。
ルカの言葉は妙に重くて説得力がある。皆きっと、わたしを世間知らずの愚かな娘だと思っている。だったらその愚かさを味方につけよう。
「兄はわたし以外の人間が聖女であると言った罪で、塔に幽閉されています。彼も処刑されますか?」
「いかなる例外もあり得ない」
「まさか! ローザリアは少年を処刑することが正義だというんですか?」
ルカの表情に、少しの変化もなかった。
「異端を許さないことこそが、この国の正義です」
「それこそセオドアのやったことと同じじゃないの!」
お母様が止める手を振りほどいた。
「ディミトリオス・テミスを殺すというのなら、わたしはここにいる全員を殺すわ!」
本気だった。もうこんな場所にいられない。お母様とディマと、お父様を連れて、こんな場所から逃げ出してやる。
そう思って両手に魔法を出現させた瞬間だった。顔面をエルアリンドに殴られる。
「なんという馬鹿な娘だ!」
今度ばかりはわたしは負けなかった。片手に溜めた魔法をエルアリンドに向かって放つと、彼は壁に激突し、気を失う。
衝撃で頭上のシャンデリアがテーブルに落ち、貴族の家長たちは慌てふためいた。
「イリス、イリス! 大丈夫だ。落ち着いてくれ!」
唯一、わたしに触れたのはオーランドだった。腕に彼の手を感じ、その困ったような表情を見た。オーランドはそれでもわたしに微笑みかけ、次に自分の母を見た。
「君の兄を、処刑などするものか。でしょう、母上」
サーリは悲しげに瞳を揺らす。
「でもオーランド、皇帝家として一定のけじめを見せつけなくては……。少年は既に、異端の罪で投獄されています。まったくの無罪にはできません。帝国民に示しが付かないではありませんか」
「だったら、わたしに考えがあります!」
必死だった。瞬間的に閃いた考えを、思いのまま口にする。
聞いたオーランドは、またしても柔和に微笑んだ。




