最悪よりは、少しマシ
わたしに与えられた部屋に着くなり、エルアリンドに頬を平手打ちされた。
「なんだあの態度は! 陛下が心の広い方だったから良かったものの、他の人間の前だったら縛り首にされておかしくなかった!」
床に倒れながらも、エルアリンドの叱りなど耳に入らずに、わたしは違うことを考える。
オーランドが持っていた聖女の心臓が反応したということは、エルアリンドが持っていたものも本物だったということだろうか。それともエルアリンドが、オーランドのものをすり替えた? だけど皇帝の持ち物を、そう簡単にすり替えることができるだろうか。簡単ではなくても、エルアリンドほどの欲深い男なら、やるのかもしれない。
だけど、もう一つの可能性考えなくてはならない。聖女の心臓が本物だとして、反応したということは、イリスが実は聖女だったということだ。だけど、聖女の心臓に触れ、光れば聖女であるという掟がある以上は、アリアが触れても光ったということだ。だからわたしは、小説のまんまなら、あと七年もすれば、偽者として大衆の目前で首を切り落とされて死ぬ。
だけどイリスが触れても確かに光った。
つまり、聖女が二人存在してしまっているということだ。
これを、どう考えればいんだろう。さっきの玉座の間では、誰もがイリスを聖女として考えたようだった。一度決めた聖女を覆すことは、王族や貴族の信頼にもかかわることだ。にもかかわらず、そうしなくてはならなかった理由はなに?
イリスが死に、アリアを聖女としなければならなかった強烈な動機が、この国にはあったということだ。
「何を黙ってる! なんとか言ったらどうだ! 晩餐では、きちんとした振る舞いをしてもらうからな」
エルアリンドの怒鳴り声はあまり心に響かなかったけれど、その次に聞こえた声で、わたしは思考の世界から戻った。
「イリス!」
部屋の扉がバタリと開き、ひどく焦燥した様子のお母様が、わたしを見ると駆け寄った。
彼女は仁王立ちするエルアリンドと、頬を赤く腫らして、床に倒れるわたしを見て、何が起きたのか悟ったようだ。
わたしを抱きしめ立たせると、エルアリンドを睨み付けた。
「エルアリンド様、この子に何をしたのですか!」
「貴族としての教えを説いていただけだ。ミランダ、お前がしなかったものを、したまでだ」
「この子は貴族なんかじゃありません! 誇り高き、騎士テミス家の娘です! ……わたしとこの子を二人にしてください」
エルアリンドは冷めた目でわたしたちを見る。
「だめだ。話があるのであれば、常に私の前でしろ」
お母様の手は血の気が引いたように冷たい。顔も蒼白だ。それでも彼女の温もりを感じて、わたしはようやく安堵を覚えた。
部屋の中央に置かれたソファーに、二人して横並びで腰掛けると、お母様は切り出した。
「イリス。どうか落ち着いて聞いてちょうだい。あのね――」
声を震わせながら、お母様は言った。
「ああ、どうしてこんなことになってしまったのかしら……!
あなたがエルアリンド様と一緒に馬車に乗ってから、わたしたちもそれぞれ別の馬車に乗せられたの。何が起きているのか、全然分からなかった。宿だって、別々だったのよ。だから、全部知ったのはついさっきなの。
アレンとディマは、同時に帝都に着いたようで、だけどその時……」
お母様の声は喉に詰まる。
「その時……聖女が別の人間だとディマが言ったから、エルアリンド様の部下がディマを殺そうとした……! だけど、イリスの守護魔法がかけられているでしょう? それも味方して、間に入ったアレンが逆に数人殺してしまったようなの。それで、それで……! 結局、アレンは追われる身に。逃げて、今は行方も分からない!
それに、ディマが、つ、捕まってしまって。牢に、いるの。思想犯が閉じ込められてる、あの塔に……! ああ、イリス。怖がらないで。大丈夫、大丈夫よ……」
心臓が握りつぶされたみたいに思う。
限界だったかのように、お母様は泣き出した。彼女が泣くのを見るのは二回目だった。一度目は、ディマが来て、アレンの浮気を疑った時。だけど彼女の愛情は、今、ディマにもアレンにも向いていた。
疑問ばかりが浮かんだけど、今はお母様を落ち着かせようと思った。背を撫でる。
「お母様、泣かないで。陛下に、ディマを助けてもらうわ。お父様だって、きっと近くにいるはずよ」
聞いていたエルアリンドが、わたしたちを見て冷笑した。
「少なくともあの少年が、聖女が別の人間であると証言している間は、檻から出すわけにはいかない。陛下に話したところで、イリスでない者を聖女と嘯く者だぞ? 容易く出すはずがない。イリスの後見人は私だ。陛下はお前たちよりも私の言うことを聞いてくださるだろう。
それに、このままアレンが見つからないというのであれば、私がお前の父親になろう」
お母様が、声にならない悲鳴をあげた。わたしは立ち上がりエルアリンドに叫んだ。
「あなたが命じた事なのね! わたしへの人質にするために、家族を捕まえたんだわ!
あなたが父親になるのなら、わたしは首を切って死ぬわ! 聖女を失っていいの?」
「できるはずもあるまい。お前の家族の命を、この私が握っているということを忘れるな」
「ひどい……ひどすぎる。どうしてこんなに、最低なの……」
お母様が呻いた。
最低な事態になってしまった。
だけど、と思った。だけど、絶望にはまだ早い。
お父様は生きている。生きているもの。
ディマだって、生きてる。この国が正常なら、あんな子供を殺すわけがない。少し時間が経てば、牢獄から出してもらえるはずだ。オーランドは、わたしの懇願なら聞くかもしれない。
だったら家族三人は、故郷に帰してもらうよう、頼んでみよう。
最低な事態だけど、予期していた一番最悪ではないはず。
最悪よりは、少しマシ。
だから、きっと大丈夫。




