バレる
エルアリンドが突然現れたのは、わたしの誕生日の一週間前だった。
風の強い夜で、月は雲で隠れ、熱を孕んだ湿った空気が辺りを漂う。嵐の前のような、そんな日のことだった。
両親も、突然現れた彼に驚いているようだ。連絡無しにいきなり来たらしい。しかも屈強な部下を数人引き連れて、自分の護衛をさせている。
エルアリンドはまるでここが彼の領地であるかのように、どかりと客間のソファーに座り込み、就寝前のわたしを呼び出した。
当然のようにわたしに付いてくるディマをみると、エルアリンドは苦笑する。
「用があったのはイリスだけだが。……変わらず兄妹仲がいいな」
「僕は兄ですので」
いつか聞いたような言葉だ。まるで一切の説明がそれでつくとでもいうように、ディマは憮然と答える。
いつもだったら敬意のない態度を叱る両親だけど、今はその余裕もなさそうだ。
お父様はエルアリンドが握る水晶を凝視している。
「それは本物ですか」
「アレン、私を疑うのかね。人の婚約者を奪っておいて、今度は嘘つき呼ばわりか?」
「婚約前でしたわ、エルアリンド様」お母様がそっけなく答える。
高圧的な態度を取るこの男を、やはりわたしは好きになれない。ふん、と鼻を鳴らすとエルアリンドは言う。
「本物だ。私と懇意にしている司祭から少し借用したのさ」
聖女の心臓と呼ばれる水晶は複数存在しているけど、司祭たちが厳格に管理しており、ほいほいと入手できるようなものではないと聞く。
本物だとしたら貴重なものだろうに、エルアリンドは愉快げに、その水晶を空中に垂直に投げて軽々しくキャッチした。
「私の身近に、とてつもない魔力を持つ少女がいることを思い出したんだ。しかも彼女は幼い頃から賢くて、自分に魔法が使えることをひた隠しにしていた。だから、もしかしたらと思ってね。違うならいい、すぐに帰るさ。
さあイリス。少し触ってごらん」
目の前に、水晶が差し出される。動けないわたしの肩に、お母様の手が触れた。
「別に、触ることくらい、どうってことないでしょう? ね、イリス……」
分かってる。どうせ贋物だ。赤く光るなんてあり得ない。
だけど、罠があるんじゃないの? エルアリンドが持ってきたものだもの――。
「触る必要なんてない。貸せ! こんなもの壊してやる!」
そう言って、一歩進み出たのはディマだった。あっという間に水晶結晶をエルアリンドの手からひったくると、そのまま床に叩きつけようとする。
「何をしている! 止めさせろ!」
エルアリンドが叫ぶと、彼の部下達が剣を引き抜いた。お父様がディマを抱きしめる。
「止してください! 子供に剣を抜くなんて!」
「構わん! 殺してでも取り戻せ!」
「やめて!」
一瞬の閃光があった。わたしの悲鳴が誰かの耳に届いたのかは分からない。エルアリンドの部下達は剣をお父様の体に突き立てようとしたところで、腕が裂け、おびただしい量の血を空中にまき散らしながら、壁に激突した。衝撃で、壁に掛けられた絵が落ち、台の上の花瓶が割れる。
燭台の炎が消え、闇の中で、お父様が呻いた。
「なに……なんだ、今のは」
肩に置かれたお母様の手に力が込められる。
「……イリス、あなたがやったの?」
正確に言えば、わたしが家族にかけていた守護魔法が発動したのだ。敵意を向けて襲いかかって来た人間を、攻撃する魔法だ。
家族に守護魔法をかけるということを、いつか考えていたけど、実行に移したのは魔力の制御が上達してきたつい最近のことだった。
「わたしの家族に攻撃すると、体が引き裂かれてしまうわよ」
エルアリンドが何かを言う前に、彼の部下達の傷を治してやる。魔法陣は使わない。念じるだけで良かった。
お父様が、腕の中のディマに言う。
「ディミトリオス、それを、イリスに渡しなさい」
黙っているディマに、さらにお父様は言った。
「ディミトリオス!」
ディマの目がわたしを見ている。彼に向かって、ゆっくりと手を伸ばした。
ディマが握っていた水晶結晶を、わたしに差し出す。それをしっかりと掴んだ。
瞬間。暗闇を照らす、赤い光が部屋に充満した。誰も彼もが赤く照らされる。
誰かのため息が聞こえ、そうしてエルアリンドが、感動ともとれる口調で囁くように言った。
「なんということだ……! まさか、本当に……。本当に反応するとは」
眩暈がした。光るはずがない。だって、イリス・テミスは贋物だから。
「贋物だ!」ディマが再びわたしの手から水晶をひったくった。
光は瞬時に消え、またしても闇に包まれる。
「こんな水晶、いくらでも作れるだろう! 聖女は、聖女はアリア・ルトゥムだ! イリスじゃない!」
「手紙に書いた少女かね」
わたしは憎悪の表情を浮かべていただろう。エルアリンドは不敵に笑いながら、手紙を取り出し、ひらひらと降ってみせた。
間違いなくわたしがクロードに宛てて書いたものだった。
「どうしてあなたが持ってるの!」
「テミス家当主として、分家の動きをすべて知っておく必要がある。君の手紙は非常に興味深く、残念ながらクロード・ヴァリには届けられなかった」
エルアリンドが立ち上がり、わたしに近づいてくる。ディマが暴れそうになっているのを、お父様がしっかりと止めていた。
エルアリンドは遂にわたしの前にやってくると、目線を合わせるようにかがみ込んだ。暗がりで、彼の目が異常に輝いて見える。
「ところで、なぜ君はクロード・ヴァリに手紙を出したんだ? 私も探したがね、帝都のどこにも、アリア・ルトゥムなんて娘はいなかった。
架空の少女を聖女だと告げ、自分が聖女であることを隠したかったためではないのか。この娘は、幼い頃から神がかり的だった。未来の予測も、できたのではないかね」
お母様が、エルアリンドから遠ざけるように、わたしを一歩下がらせ、尋ねる。
「イリス、そうなの?」
「違う、違うわ……」声は、思っていたよりも弱々しい。両手を握りしめて、叫んだ。「ちゃんとアリアを探していないのよ! 探して、見つけ出して、聖女は彼女よ!」
その時ディマが、お父様の制止を振りほどき、わたしの手を掴み、空中に魔法陣を放つ。空間を繋げる魔法だ。光る円に縁取られた、空中の向こう側には、森が広がっていた。
「イリス! 逃げるぞ!」
「逃げるなら、両親を殺す」エルアリンドは冷静だった。
「両親を殺すならあなたを殺すわ! 彼らには守護魔法がかかっているもの、どの道攻撃なんてできない!」
はは、とエルアリンドは笑っただけだった。
「威勢の良さは実に素晴らしいが、私は周囲にこの地に来ると伝えている。私は軍部顧問をしているんだ、その私を殺せば、帝国を敵に回すことになるぞ。
精鋭達をかいくぐり、たった二人で逃げ切れるのかな? 教皇と帝国に逆らうことが、どういう意味を持つのか分からないほど愚者ではあるまい。待っているのは、不幸だろうさ」
ディマの魔法が、どんどん弱くなっていく。次第に光は消え失せて、残ったのはエルアリンドの冷笑だけだ。
「これが本物か贋物か、帝都に行って確かめればいい。陛下に会うぞ。支度は帝都に着いてからだ。逃げられたら敵わんからな。さあ、行くぞ」




