聖女が今に現れる
それはわたしの誕生日が数ヶ月先に迫った春先のことだった。帝都に呼び出された両親が、帰って来るなりわたしとディマを抱きしめた。
「大変なことになった!」
興奮気味にお父様は言う。その目には困惑ではなく、期待が満ちる。
「ヘイブン聖密卿が、地方領主に至るまで集めて声明を出された。教皇庁で予言が出たんだ! なんだったと思う? 聖女様が現れる! この国にだ!」
口を挟む間もなく、お父様は続ける。
「聖女様が現れるんだ! 百五十年ぶりだぞ! 敵国を打破し、膠着してる戦争にだって勝つ! ローザリア帝国はますます繁栄するさ、すごいぞ、歴史的瞬間だ!」
きっとこの数年が、幸せすぎたのだと思う。わたしは忘れかけていた。
この世界なんて、基本的にわたしの味方ではないということを。
唖然とするわたしたちに気がつき、お母様は不思議そうな顔をする。
「二人ともどうしたの? びっくりしちゃった?」
それから彼女はにこりと微笑んだ。
「聖女様については、ふたりとも知っているでしょう? 必要な時に、必要な場所にいらっしゃる、神様の化身よ」
信心深いこの国の人は、そんな伝説を信じてる。
「聖女って、誰なんです」
ディマの問いにお父様が答える。
「まだ分からん。ヘイブン聖密卿の命を受けた司祭達が銘々探すようだ。これから魔力の強い人間を順に当たるそうだよ。もしかすると数年かかる可能性もある。
だが断言できるが、聖女様はオーランド陛下と同じ年くらいの、まだ小さい女の子だろうな」
平常心を保ってなんとか問いかける。
「どうして分かるの?」
「おいおい、歴史の勉強を忘れちゃったのか? そりゃ、聖女様は皇妃様になると決まっているからだろう。いつの時代、どこの国だって、聖女様はその国の最高権力者の妻になるだろう? そういうものなんだ」
お父様は愉快そうに笑った。
「案外、イリスかもしれないな」
「嫌よ!」あまりの恐怖にわたしが叫ぶと、両親はくすくす笑い合う。
「お父様の冗談よイリス。この国の女の子の中で、たった一人だけがシューメルナ様の生まれ変わりなのよ? イリスのはずがないでしょう?」
「だけど、本当に聖女様になったらどうすればいいの?」
そんなことはあり得ないと思っているような口調で、お父様はおどける。
「大変に光栄なことじゃないか」
わたしの代わりにディマが言う。
「けれど勘違いで聖女様にされることもあるのでは。本当は違う子なのに、イリスが聖女にされることもあるのではないですか?」
首を振ったのはお母様だ。
「ないわディマ、大丈夫よ。聖女様かそうでないか、きちんと判別できるの。
教皇庁にはね、“聖女様の心臓”と呼ばれる水晶があるのよ。普通の人が触れば何でも無いんだけど、聖女様がその石に触れると、赤く輝くのよ。何個かあって、選ばれた司祭様だけが持っているの」
知らない話だった。だって小説では語られない話だ。
だけど、それなら偽聖女イリスが本物と間違えられるはずがない。やっぱり現実とあの小説では、少しだけ違う部分があるのかな。
お母様はまだ笑っている。
「ディマとイリスは引き裂かれないわ。安心していいのよ」
「そ、そういう心配はしてません!」
さっと、ディマの頬に赤みが差した。
その晩、わたしはベッドの中で、一人考えていた。
お母様が言うには、聖女は“聖女の心臓”という宝石により判別されるらしい。
小説にはなかったことだ。あるいはあったとしても、語られない話だった。
アリアが聖女になったのは、もう教皇になっていたヘイブン聖密卿の預言によるものだ。
もし小説の世界にも“聖女の心臓”があったとしたら、それでもなお、なぜかイリスは偽聖女になったということだ。
何かしらのトリックが使われたのか、それとも宝石が誤作動を起こしたのか、そもそも聖女が触れると赤く光るなんてことなくて、誰が触れてもランダムに光るかのいずれかだ。
当然、わたしは聖女などではないのだから、赤く光る可能性は限りなく低いはずだ。けれど、わたしの魔力の高さはすでに誰もが知るところで、このままアリアが見つからなければ、いずれこの地方にも聖女を求め、司祭が聖女の心臓を持ってやってくるのだろう。そのときに、誤作動か何かで光ったら大変だ。
そうはさせないわ。させるものですか。
数日が経つと、こんな田舎町にさえ、聖女の噂は広がっていた。
少女達は、自分たちがそうではないのかと色めき立つ。だって農民でも皇妃になれる。夢のような成功物語だ。
そんな世間に反して、わたしの心は暗かった。手紙を書いたのは、思いつきではない。いつか聖女の預言があったら、必ず書こうと思っていた。
預言が出る前に書いてしまっては、逆に怪しまれてしまうと、ずっと機会を待っていた。
「拝啓 クロード・ヴァリ様
お久しぶりです。お変わりありませんか? こちらの暮らしは相変わらずです。
わたしの魔力は安定しています。兄と一緒に、クロード先生に教わった魔法をたくさん練習しています。コントロールするのはまだ得意じゃないけれど、少しずつ上達してきました。先生はローザリア西部の司祭長になったと噂を聞きました。そんなすごい人が先生だったことは、わたしの自慢です。あの夏のことを、いまも懐かしく思います」
前書きと近況を綴る。書きながら、彼がテミス家にいた一夏のことを思った。暑い日差しを浴びながら、まだ小さいわたしたちは、彼と毎日一緒に過ごした。懐かしさに目を細める。もう三年も前のことだ。この世界でも思い出と呼べるものができたことが、どこか奇妙で、どこか嬉しい。
「お伝えしたかったのは、聖女様についてです。このところ、皆、色めき立っていて、わたしももしかすると、自分なのかな、なんて思いました。
けれどわたしは本物の聖女様を知っています。というのも、偶然、彼女が魔法を使う姿を見てしまったからです。とても強い魔力と、高度な魔術式でした。極めつけは、彼女が握っていたものです。赤く光る石を握っていました。お母様から、聖女様は“聖女の心臓”と呼ばれる石で分かると聞きました。どうして彼女が司祭様が持つ聖女の心臓を握っていたのかは分かりませんが、あれは間違いなくそうでした。だから、彼女こそ聖女様なのだと思います。
彼女の名はアリア・ルトゥム。帝都郊外に住む女の子です。年は十歳、わたしと同じです。
どうか彼女を探してください。そして彼女が聖女様だと皆に伝えてください。そうじゃないと、皆いつまでもやきもきしてしまいます」
結びの言葉を記して、読み返す。悪くはないように思う。
なるべく子供らしく、されど嘘を吐いていないと、読み手が思うように、賢さと愚かさがにじみ出るように。まあ、嘘しか書いてないんだけど。
手紙を封筒に入れ、テミス家の刻印をし、封を閉じ、念じた。
万事、上手く行きますように――。




