闇が与える均衡
目が覚めたとき、手を握られていることに気がついた。見るとディマが、わたしの手を握ったまま、ベッドに突っ伏して、規則正しい呼吸をしていた。
カーテンはぴったりと閉められている。部屋の闇を、燭台の蝋燭が炎で照らしていた。今は深夜のようだった。
「部屋で眠るように言ったんだけどね。君が目覚めるときに側にいたいそうだ」
声がして目を向けると、少し離れた場所にクロードがいるのに気がついた。炎でちらちらと揺れるクロードの顔も、疲れているように見える。
「ついさっきまでは、ご両親もいたよ。だけど休むように、私が言ったんだ。一週間の間、少しも彼らは休んでいなかったから。今、呼んでくるよ」
「一週間も……?」
それだけの間、眠っていたということ?
裏付けするように、わたしの声はかすれている。
「熱が下がったのは、つい昨日だけどね」
クロードは、ひどく真剣な顔をしていた。
「イリス。君の魔法が暴走したんだ。その反動に、体が機能を停止した。それだけ巨大な力なんだよ。お父さまは君を魔力の暴走から助け出そうとしてひどい怪我をした。だが、私が治療したから問題はない」
アレンのことを思った。彼は魔法が降りかかるのも厭わずに、必死でわたしを助けようとしてくれていた。
両親を呼ぶためクロードは立ち上がり、思い出したかのようにわたしを振り返った。
「これからは、魔法を使いなさい。どうして隠していたのかは知らないが、もう皆にばれているのだから」
クロードが出て行った気配で、ディマが起き、わたしを見ると、目を見開いて、次には抱きしめられた。
「イリス、良かった。本当に良かった……」
「心配かけて、ごめんね」
ディマの涙が、わたしの顔にこぼれ落ちる。
彼の体の温かさが心地よく、しばらくそうして、身を預けていた。
◇◆◇
目覚めてからすぐに食欲が沸いて、パンを温かいミルクに浸した回復食を食べ、翌日には全快していた。
ひどく心配していた両親は、元気に食事をとるわたしを見て、ようやく安心したようだ。わたしの側にいたがったディマを休ませると、すぐにクロードが呼ばれる。
彼はわたしのベッドの横に椅子を置き座ると、医者のように問診し始めた。
「魔法を使うとき、いつも魔法陣を?」
神経質そうに問われると、まるで悪いことをしているかのような気分になる。言い訳のようにわたしは答えた。
「だって、魔術書にはそうやって書いてあったよ」
「どのくらいの頻度で魔法を使っていたんだい?」
「ほとんど毎日」
側で聞いていた両親が息を呑む。彼らは全然知らなかったのだ。
言い聞かせるように、クロードは言う。
「もう魔法陣は使わないで、いいね。毎日魔法を使っていたのに、あれだけの暴走をしたということは、やり方が間違っているということだ。
普通、魔法陣は魔力を溜めて、より強固にして発動させるものだ。だが君の場合、魔力の量が多すぎて、魔法陣を使うと逆に制御されてしまう」
「そんなにすごいんですか?」
お父さまが疑わしげに尋ねるけど、クロードはあっさり肯定する。
「ええ。成長すればいずれは体に馴染むでしょうが、まだ小さな体に魔力の量が合っていない。このままだと肉体が耐えきれずに死んでしまうでしょうね」
青ざめる両親を落ち着かせるためか、クロードは言った。
「大丈夫ですよ。対処をきちんと行えば、問題はありません。けれど彼女は、普通とは少し変わっている……」
クロードは言いよどみ、彼の透き通った青い色の目がわたしを見た。彼は熱を測るようにわたしの額に触れる。冷たい手を気持ちよく感じた。
「君の魔力を調べて、分かったんだ。こんなことは、初めてで、私も正直戸惑っている」
前置きをしてから、彼は言う。
「魔術が、幾重にも重なり君にかけられている。それも、単なる魔術じゃない。闇の魔術だ」
「闇の魔術ですって!」ほとんど叫ぶように、お母さまが言った。
「誰かがイリスを害そうとしているって言うの!」
まるで現実感がない。これはわたしのことを言ってるの?
闇の魔術のことは知っていた。それはもちろん禁忌として。
負のエネルギーが強すぎて、使うと術者に反動が来る。禁忌であればあるほどに、代償は大きくなるのだ。
「それがイリスに血を吐かせたのですか」お父さまがお母さまの震える手を握りながら尋ねた。
「こんな幼い子を憎む人間がいるはずがない。俺たちの結婚は大勢が反対していた。だから俺かミランダか――あるいは両方に恨みを持つ者が、イリスに魔術をかけたのでしょうか」
お父さまの顔も青ざめていたけれど、しっかりとした口調だった。
「そうとも、言い難い。……闇の魔術は普通、対象を呪うものですが、不思議なのは、彼女の場合、それが奇っ怪な均衡を保っているということです。
負と負を掛け合わせると正になるように、複雑に折り重なった魔術が、彼女の魔力を安定させていて、むしろ、守っているように思えます。先日まで彼女がそれでも元気でいられたのは、この魔術があったおかげでしょう。
……だけど、そのせいかな、君の魂が時折ブレて二重に見える」
その言葉に、わたしははっとした。
「どういう意味なの?」
お母さまの問いに、クロードは首を横に振る。
「よく分かりません。ですが彼女の魔力の総量は、おぞましいくらいなんですよ。恐らくは存命している魔法使い達の、誰よりも強い。
そのせいで、魂が安定していないのかもしれません。闇の魔術はかなり気がかりですが、少なくとも悪さをするような現象ではなさそうです。それに、解けと言われてすぐに解けるようなものでもない。ひとつを崩すと、彼女の魂の均衡が崩れる。――つまり死にます。非常に危ういバランスなんですよ」
クロードが言っている意味の半分も理解できないけど、誰かがわたしに代償覚悟で闇の魔術をかけて、そのおかげでわたしは生きているらしい。
「注視はした方がいいですが、すぐに心配するようなものでもないと思います。滞在中、私も気をつけて彼女を見るようにしますから」
だけど、少なくとも、ひとつだけ分かったことがある。
魂が、二重に見える。
そのことに、心当たりがあるのは、きっとわたしだけだ。
とても腑に落ちることだ。
もしかして、と思った。もしかして、わたしは転生したのではなくて、イリスの体に入り込んだ、死者の魂なのかもしれない。そんな風に、初めて考えた。
あの夢――。
だとしたら、あの夢を見せたのは、やっぱりイリスなんだ。
わたしに、何かをして欲しくて、イリスはあの夢を見せたんだわ。たとえば、自分の不幸を救って欲しくて。
あの可哀想な女の子が、助けて欲しくてそうしたんだわ。
不安そうな両親と、厳しい視線を向ける家庭教師に向かいながら、わたしはそんなことを、ずっと考え続けていた。




