秘密の告白
「また幻……?」
「何言ってんの、現実だよ」
彼の両手は何かに耐えるように握りしめられ、怒り出す寸前のように、あるいは泣き出す寸前のように、情けない顔を浮かべながら、こちらにやってきた。
ぼんやりと、彼を見つめる。
遂にわたしの前まで歩いてきたディマに、力強く抱きしめられた。
「馬鹿イリス。どれだけ探したと思ってるんだよ!」
温かな体だった。赤い目をしている。
どれくらいの時間、探し回ってくれたんだろう、よく見ればディマは擦り傷だらけだ。ディマの震えが伝わって来て、わたしも少しだけ涙が出た。
「ごめん、ごめんね」
ディマを見て、心臓が跳ねた。
同時に思った。あの夢のせいだ。
まるで、夢の中のイリスが乗り移ったみたいに、ディマが恋しくてたまらなかった。
「魔法が暴走したんだろ。初めから魔法が使えるって言って、ちゃんとした対処をクロード先生に学べよ」
「ごめんなさい」言い返す言葉もなくて、素直に謝る。
「クロード先生が、魔法を使って、イリスの魔力を感じ取ったから、だいたいの位置を突き止めることができた。みんな、探し回ってる。ぼくは家にいろと言われたけど、じっとしてるなんてできない。だからこっそり探して、魔力を辿ってここまで来たんだ」
ここは屋敷の近くの森なんだ。
ディマはわたしから体を離すと、背を向けしゃがみ込んだ。乗れと言っているらしい。
ふらつく体で立ち上がった。
「歩けるよ、大丈夫」
「おぶった方が早いだろ」
ぶっきらぼうにディマは言う。確かに体のだるさはあって、運んでもらった方が早いかもしれない。おずおずと彼の肩に手をかけると、そのまま持ち上げられた。
草をかき分けながら、わたしたちは屋敷へと戻る。ディマの体が揺れる度に、わたしは彼に体を預けた。数少ないディミトリオスとイリスのエピソードに、迷子になったイリスを、兄が探してくれた場面があった。その時も、イリスはこんな風に安らぎを覚えたのだろうか。
遠い山間に沈んでいく夕陽が、わたしたちを赤く染め上げた。
ぽつり、とディマは言った。
「……イリスは、何が心配なんだ?」
「何って……何も心配していないわ」
「してるだろ、じゃあなんで魔法が使えること隠すんだよ。それだけじゃない。たまに、すごく深刻な顔して、考え事してるだろ」
背中側からでは、ディマの表情は分からない。だけど口調には、確固たる意思が潜んでいるような気がしていた。
「ぼくを信頼できると思っているなら、言ってくれ」
だけどわたしは言葉が出ない。ディマはなお言った。
「イリス、言ってくれないと分からない。守りたくても守れない。イリスに脅威が迫ったとき、ぼくはどうやってそれを知ればいい? パーティで、エルアリンド様とクロード先生に会ったイリスは変だった。だけどなんで怖がってるのか、ぼくには分からない」
兄が本気でわたしを心配していることは分かっていた。だけど答えられない。
地面を歩く、ディマの足音ばかりが森に響いている。沈黙が漂い、夏の虫が、にわかに鳴き出した。もう、夜が近い。
ディマが、息を吐き出した。
「……カミラ・ネストだ。ぼくの生みの母親の名前は」
わたしの体は、びくりと震える。
それはディマの、秘密の告白だった。
予想していたいたことではあった。エルアリンドがその女性の名前を出したとき、ディマの様子はおかしかったから。だけどまさか彼自身の口から語られるとは、思ってもみなかった。
「彼女はセオドアからリオンに皇帝が代わるとき、滅んだネスト家の一員だった。
知ってるかな、セオドアは創造主派でリオンは聖女派だから、代替わりのときに創造主派の貴族たちは一掃された。その中に、ネスト家もあったんだ」
「知らなかった」
やっとそれだけ答える。直近過ぎて歴史書になかった話だし、あったとしても宗教絡みのいざこざをあの皇帝を称えるためだけの本に載せるとも思えない。
「母は、ぼくという存在をひどく憎んでいた。ぼくがいるから遠くへは逃げられなかったから。ぼくがいたから、家族が殺されたとさえ思っていた。優しいときもあったけど、ほとんどいつも彼女は病んでいた。皇帝家への恨みをいつだって口にしていたし、同じようにぼくへの恨みも強かった」
背後からでも分かる。ディマの顔は蒼白だ。それでも彼は、話すのをやめない。
「母は、父のことをとりわけ憎んでいた。望まない妊娠だったんだ。父への憎しみを口にしながら、母は自分で首を切ったんだ。ぼくの、目の前で。ぼくはどうすることもできなかった」
ディマの声は震えていた。わたしも怖くなって、肩に置いていた手を、首に回して抱きしめる。
「ディマ、いいの。それ以上は、話さなくていい――」
「いいや、知っておいて欲しいんだ。イリスには、知って欲しい。
血を吹き出しながら、母はぼくにもナイフを持たせた。“お前も死ね”と、言っているのだと気がついた。だけどぼくにはできなかった。ただ死んだ母の前で、ナイフを持って、呆然としていることしかできなかった。
アレンさんが……お父さまがその後すぐにやってきた」
「……お父さまは、ディマのことを知っていたの?」
「ぼくと母はこの領地内に隠れ住んでいて、お父さまが世話をしてくれていた。母とは恋人同士って雰囲気じゃなくて、どちらかといえば、主従関係があるようだった。母が主で、お父さまが、従だ。
お父さまはすぐに何があったのか分かったようで、自分がすべてなんとかするから、何も心配するなとぼくに告げ、ぼくを引き取った。だからぼくは、君の兄になったんだ」
壮絶すぎる告白に、束の間絶句した。そうしてディマが、なぜこんな話を始めたのか悟った。
覚悟を持って、彼はわたしに恐るべき真実をくれたのだ。だからわたしにも、戦う覚悟を持てと、言っている。
他人を信じる、覚悟だった。
「……わたしが、怖いのは……」わたしの声さえも震えている。
「聖女に、なること」
言った瞬間、ぼろぼろと、涙が出てきた。馬鹿みたい。これじゃ、まるきり本物の子供じゃないの。涙の一滴が、ディマの首筋に落ちた。
「前に、言ったでしょう? わたし、前世を、覚えているの――」
ひとつ話し始めると、止まらなくなってしまった。わたしは全てを、ディマに語っていた。
前世、捨て子だったこと。小説を読んだこと。イリスに転生してしまったこと。イリスが十七歳で死んでしまうこと。家族もみんな死んでしまうこと。ディマもまた、死んでしまうこと。
何を言っているんだろう、きっとさっきの夢のせい。じゃなきゃ、この、熱のせい。
話し終えて、ひどい後悔が襲った。
とんでもないことをしてしまったように思う。わたしはディマに、伝えるべきではないことを伝えてしまった。自分が悪の道に進むなんて、聞かせるべきではなかったのに。
けれどディマは、真剣な顔をして聞いていた。
「イリスは、死ぬのが怖いのか。ぼくらが死ぬのも、怖いんだね」
ゆっくりと、彼は言う。
「やっと分かった。イリスが何に怯えているのか。だけど、そうはさせない。ぼくがぜったいにイリスを守るから。ぼくがいる。だから誰も死なない。
ぼくは、小説のディミトリオスとは違う。ぼくも死なないし、家族も死なせない。イリスを処刑なんてさせない。約束するよ。ぼくは絶対に、イリスの味方でいるから」
わたしをおぶる彼の手に、にわかに力がこもった。
「お父さまとお母さまにも言おう。力になってくれる」
「だめよ」すぐに言った。「だってあの人たちは、イリスを愛しているんだもの。わたしの心がイリスではないと知ったら悲しむわ――」
――何よりも大切な溺愛する娘が、全くの他人と知ったら、彼らはひどく失望するはずだ。
「あの二人なら、大丈夫だと思うけど。ぼくの時もそうだっただろ。愛さえあればどんな困難だって乗り越えられると本気で信じてるんだから。
……だけど、イリスが嫌なら、今の話は誰にも言わない。ぼくだけの心に留めておくよ」
うん、とわたしは頷いた。それから二人に、会話はなかった。
心臓が嫌に鳴っていた。イリスの夢、ディマの告白、ディマへの告白。気分が悪いのは、熱のせいばかりではない。
だけど同時に安らぎを覚えていたのは、ディマの背中が、心地よかったからだろうか。
家に戻ったとき、体が限界を突破したのか、わたしは再び気を失った。




