純粋すぎた彼女の恋
不思議な夢を見た。
わたしは宮廷にいる。
お母さまがいた。回廊で、お母さまはわたしに気がつくと、スカートの端を持ち上げて、もう片手を胸の前に置いて、一礼をする。
まるで主にするかのような仕草だった。親子とは思えない逢瀬。――聖女シューメルナ様のご加護がありますように。わたしはそう言いながら、彼女の脇を、抜ける。
大勢の兵士達がわたしの目の前にいた。彼らはこれから戦地へと赴くのだ。
――オーランド様と、ローザリアに、祝福を。
わたしはそう言って、兵士達に守護魔法を振りかける。わたしの魔力は無限で、どれほど大勢にかけても、尽きるということを知らなかった。
舞踏会、オーランドはわたしではなくアリアの手を引く。
上席に座ったまま、わたしは微笑みを顔に貼り付けた。美しい二人が踊るのを、最高の楽しみだとでも言うように。
ディマもいた。背も伸びて、精悍な顔立ちの彼は、随分と大人になっている。
彼はちらりとわたしを見て、そうして顔を背けてしまう。彼もアリアと踊るべく、彼女のもとへと向かって行く。
わたしの視線はディマを追っている。胸が張り裂けそうだった。
だけど、何かを思い直したように、ふいにディマは戻ってきた。わたしの前で恭しく一礼をすると、片手を差しのばす。わたしの心臓は高鳴った。ずっと彼と踊りたかった。幼い頃から宮廷に閉じ込められていた世間知らずの恋心は、婚約者がありながら、兄に恋をすることへの罪悪感はなかった。
突き抜けるような青空が見える。
わたしの両手は縛られている。あちこちから、石が飛んでくる。額に当たって、切れて血が出る。
処刑台に、倒される。みんなが、ディマが、わたしを見ている。
悔い改めろ。悔い改めろ。
司祭がわたしに迫る。
純粋な心では、理解ができない。
一体わたしが、どんな悪行を犯したというの?
一体何を悔い改めればいいの?
こんな思いをするならば、もう愛なんて求めない。足枷になる家族なんていらない。こんな世界なんて、跡形もなく消えて仕舞えばいいのに。
わたしの首に、何度も刃が振り下ろされた。
そうしてわたしは理解した。
ああイリス。あなたはこうやって死んだのね――。
◇◆◇
はっと、目が覚めたときに、自分の首がちゃんと繋がっていることをまず確かめた。そうして首から肩にかけてのなめらかな皮膚を感じ、ようやく安堵の息を漏らした。
自分がいるところが庭ではないことに気がつき体を起こそうとして、ふらついて、再び地面に手をつく。体が熱い。熱があるようだ。
さっきまで横たわっていた地面には冷たい土があり、草木が生い茂る。夏場だというのに、高い木々のせいで、奇妙に肌寒かった。
周囲はオレンジ色だ。巨木の間に沈む夕陽が、辺り一帯をを染め上げていた。すでに日暮れ。
「森だわ……」
確かに庭にいたはずなのに、なぜこんなところにいるんだろう。しかも、どこの森?
気を失う前のことを考えた。子供達……イリスとディマの幻を見て、わたしの魔法が暴走したのだ。瞬間移動? 逃げたいと思ったから、こうなってしまったんだろうか。
それに今の夢。なに――?
小説の、特にイリスが死ぬ場面の夢を、この世に転生したばかりの頃はよく見ていたけど、随分久しぶりだった。しかも今の夢は、小説の場面とは言い難い。
まるで本物のイリスの目で、体験をしたかのようにリアルだった。
パーティの場面は小説でも確かにあった。まだ聖女になる前のアリアがその魔法の才能を認められ、宮廷舞踏会に呼ばれたのだ。オーランドはその時、イリスではなく、アリアと踊った。最初から最後まで彼はアリアと一緒に過ごしたのだ。
イリスはそれを、ただ微笑み見ていた。小説を読んでいたときは、イリスという美しい娘に勝るアリアの魅力に、爽快感さえ覚えていた。
だけど、今の夢。
イリスが目で追っていたのは、オーランドではなかった。彼女がずっと見つめていたのは。手が触れて、心が弾んだのは――。
小説の中では、一切そんなことは語られなかった。だけど。
イリスはもしかしたら、オーランドではなくてディミトリオスのことが好きだったのかな。
「だったら、ますます可哀想な子……」
情緒溢れる今の夢は、単なる小説の反芻ではないように思った。夢の中のイリスとわたしには境界がなく、たった一つの心で動いていた。あまりにも孤独で、あまりにも、哀れな心で。
もしかすると小説の中のイリスが、あの幻想と、こんな夢を見せたんじゃないのかな。自分の心を、分かって欲しくて。
「そんなはずないでしょう? 小説の中のイリスはともかく、今のイリスは現実主義者よ。そんな非科学的なこと、あるわけないわ」
ふう、とため息をつき、立ち上がる。
「とにかく帰らなきゃならないわ」
もう日暮れだ。お父さまと話していたときは昼間だったから、数時間は眠りこけていたことになる。きっと心配しているだろう。
だけど、ここはどこなんだろう? 領地の森だろうか。植生は一緒だ。
歩いて帰れる? 周囲を見渡すけど、似たような木々が広がり、加えてどんどん暗くなっていく。朝まで、待った方がいいような気がした。一晩くらいは何も食べなくて平気だし、下手に動いて迷ったら、そっちの方が悲惨だ。熱も出ているし、やはり危険に思えた。
「それか、魔法を使ってみる?」
瞬間移動か、空間を繋げる魔法。空間を繋げる魔法は試したことがあるけど、人一人が通れるほどの大きな切れ目は作れなかったし、遠い距離を結ぶこともできなかった。
わたしがここに来てしまったのは、信じられないけど瞬間移動の魔法だ。今まで使ったことはない。使ってみる? だけど失敗して、到着軸がぶれると、体がバラバラになってしまうらしい。
やっぱり、動かない方がいい。熱が下がるのを待って、日が昇ったら動きだそう。動物が襲ってきたら魔法で対抗すればいいだけだ。
その場に蹲り、膝を抱えた。
抱えながら、考えた。
ああやって目撃された以上、もうお父さまに、わたしが魔法を使えることがばれてしまった。今まで必死に隠してきたけど、もう無理だろう。
このまま、逃げちゃおうかな。その考えが頭をよぎった。もしイリスがいなくなれば、テミス家は偽聖女を得ずに、家族三人、幸せになれるんだから。
そう考えて、思わず笑った。
「最初は、自分の命だけを守れれば良かったのにな」
わたしはこの家族が好きだった。お父さまとお母さまと、ディマがいて、こんなに美しい故郷を持てたんだもの。自分でも思っている以上に、わたしは幸せになってしまった。だから、壊したくない。
「なに、ぶつぶつ言ってんの」
声が聞こえて、びっくりして顔を上げた。木々の間、すぐ近くに、ディマが立っていたのだ。




