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イリス、今度はあなたの味方  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第四章 彼女に捧ぐ鎮魂歌

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失せるその人

 一瞬の沈黙があった。クロードは、真剣な顔をして言った。


「ディミトリオス、君が望めば、死後、彼女の体をこの国に残そうか。無限の魔力を持つ水晶は、一つでもあればローザリアに発展をもたらすだろう。君も最愛の人と共にいられる」


 恐ろしい提案のように、ディマには思えた。イリスが死んだ後のことなど考えたくはない。苦悩を表情に出さないように、ディマは言った。


「……そんなこと、教皇庁は許さないでしょう。聖女の遺体はあの部屋で管理されるはずだ。それに僕は諦めないことにしたんです。イリスを水晶にしない方法が、きっとあるはずだ。やっと気付いたんです。彼女なら、そうしただろうということに」


「だが君は彼女に言えなかっただろう」


「でも、もう言いました」


 クロードは驚いたように目を見開いた。ディマはイリスの発見を思い出し彼の目を見たが、この距離でも義眼かどうかは分からなかった。クロードは言う。


「それは知らなかったな。今のイリスが大切だから話したのか? それとも大切じゃないから話せたのか?」


「必要だと思ったから話しました」


 淡々と、ディマはそう答えた。


「僕は諦めません。今までだって、光はあった。これからだって、必ず打開策があるはずだ」


 オーランドとルシオも、今は協力してくれている。だがクロードは言う。


「鼓腹撃壌の別天地などどこにもない。こればかりは、諦めろとしか言えないよ」


「僕だって、こればかりは諦めるわけにはいきません。僕は老人になってもイリスと暮らすと、ずっと子供の頃に、約束したんですから。反故にはできない」


 約束したのは今のイリスではなかったが。

 この話題においてはクロードとは意見が合わないだろう。ディマは別の話題に変えた。


「先生は、今のイリスの記憶をどう思っていますか。僕等の世界によく似ているが、まるで異なる歴史を歩んできている。 

 禁忌とされる闇の魔術を誰かが駆使し、時を戻したのだと僕は思っていますが……。そもそも、闇の魔術にまで手を出して、誰が今の世界にしたかったのでしょう。誰の利になっている世界なんでしょうか。イリスにとって幸福な世界になったのは間違いありませんが、彼女が戻したとは思えない」


「莫大な魔術には、同じように莫大な力が必要だ。途方もない強い魔術で当然、術者も肉体や精神に損傷が出るほどの負担を強いられる。理屈は通常の魔術と変わらないが、代償がある。だから大いなる魔術を、闇と呼んでいるんだ。

 時を戻すほどの強力な魔術だとしたら、それは耐え難い代償になるだろう。そこまで強い動機が必要だった者がどこかにいたんだろうね、君の考えが合っているのならの話だが。

 聖女並みの力を誰かが得て、どうしても過去に戻らなくてはならなかった。それが誰なのか、見当も付かないが、少なくとも、今イリスの望む世界にはなっている以上、彼女を害そうとする者ではないのかもしれない」


「時が戻れば、代償は失せるのではないのですか。その人の時も戻るのであれば、代償だってなかったことになるでしょう」


 それはディマが考えていたことだった。

 しかしクロードは否定する。


「闇の魔術の代償は、それほど簡単に消えるものではないと思う。時が戻ったとしても、その人物に対価を払わせ続けることだろう。どれほどの代償かは分からないが、術者はそこまでの覚悟を持っていたということだ」


 ディマは目を伏せた。


「その人にはきっと、記憶があるんでしょうね。今もどこかで、僕等を見てるのかもしれない」


 そいつは過去のそいつそのものなのか、それとも精神だけが引き継がれているのか、どちらなのだろう。以前のイリスが残した魔法陣は、そこまでの記述はなかった。

 今もその誰かは、魔術の代償が残っているということだろうか。そう考えて、思った。


「もしかして先生の右目も闇の魔術の対価ですか」


「気づいていたのか? 驚いたな」


 彼は認め、手で右目に触れた。


「若い頃に無茶をしてね。当時は興味の尽きない子供だったから、あらゆる魔術を試していたんだ。これもある闇の魔術の対価として支払わされた。以来、闇の魔術は使っていないよ、体を持っていかれたらたまったものではないからね。この義眼も君の左腕と同じく、魔力を通じて自分の体の一部のように動いてくれるから、視力には問題ない」


「時戻りの魔術の代償じゃないでしょうね?」


 尋ねると、クロードは小さく笑った。


「その対価がこれだとしたら、安いものだろう。もっと小さな、取り留めのないものさ。内容は聞かないでくれたまえ、今となっては恥ずかしいからね」


「気付いたのは、イリスですけどね。前のイリスじゃなくて、今の彼女が……」


「彼女をまた愛せたかい?」


 オーランドに問われた時と同じく、ディマはやはり答えられなかった。彼女を愛することは裏切りだろうか。

 ディマの思いを察したのか、クロードは言う。


「イリスはイリスだ。君が惹かれるのはおかしいことじゃない。奥底に宿る魂に、惹かれているのだろう。

 君にも魂が見えるといいんだがね。苦しみがなくなるだろうから」


 言葉の意味を一瞬考え、そのことに気が付き、はっとしてクロードを見た。端正な顔がディマを見返す。


「まさか魂が、同じということですか」


「初めからそう言っているだろう」


 ディマは困惑を隠せない。


(言って……いたか?)


 だとしたら彼は言葉足らずが過ぎる。


(いや、僕が今の彼女を拒絶し聞こうとしなかっただけか――?)


 再びクロードに問いかけた。


「では以前のイリスと今のイリスは同一人物なのですか?」


「同一人物とも言い難いが、少なくとも好みは一緒だ。食と男のね」


 クロードの冗談に反応する余裕はなかった。ディマが立ち上がった衝撃で椅子が後ろに倒れたが、注意を払っていられない。


「で、では前のイリスが帰ってくることもあるのですか!」


 あのイリスが――! 抗いようがなく、恋しさが溢れた。

 どれだけの季節を彼女と過ごしてきた。どれほどの困難を共に乗り越えてきた? 愛を想うといつもその場所にいるのは彼女だった。当然のように、会いたかった。


「早まった結論を出すな。魂というものを私も完全に理解しているわけじゃない。同じ見た目、同じ体をしている双子でも、宿る魂は別物だ。それに――」


 クロードは目を細めた。


「同じ魂でも、異なる肉体にあれば輝きが違って見える。不思議なものだよ」


「同じ魂を見たことがあるのですか?」


「ああ、その一例だけだが」


「イリスは戻るんですか?」


 今はそればかりが気がかりだった。


「戻るというが、むしろ今が戻ったのではないのか」


 冷静な言葉に、冷や水を浴びせられた気分だった。勢いづいた心は鎮まる。


「ディミトリオス、もう君の知識はほとんど私と同等か、特定の分野では上回っている。君に分からないことは、私にも分からない。彼女等の魂がどういう性質を持っているのか、私にも断言はできないんだ」


「二重に見えていた魂が、今は一つになっている。消えたのではなく、統合? 同じ魂が二重に見えていたというのなら、どちらもイリス、だったのか――? だとしたら、なぜあそこまで違うんだ。前のイリスに、今のイリスの記憶はなかったし、今のイリスにも、前の記憶はない」


 クロードにも断言はできないことを、ディマが考えて分かるのか。答えは見つからないが、心は打ちのめされてはいなかった。


 その時、正午を告げる鐘が鳴り、ディマの思考は途切れた。


「……戻らなくては。昼を一緒にとると、イリスに言いましたから。近く、また来ます」


 ああ、とクロードも立ち上がり、部屋の扉を開いてから振り返る。


「皆が君を聖帝と呼び始めた。人当たりもよく、庶民の味方だ。そこに容姿端麗とくれば、人気は凄まじい」


 開かれた扉を出ながら、ディマは言った。


「オーランドも容姿は良かったでしょう」


「彼と君では、種別が異なる美だ。彼が花瓶に飾られた花だとしたら、君の美しさは近寄りがたい野生の狼のようだ。次の瞬間喉元に噛みつかれるかもしれないという恐怖を抱きながらも、目を逸らすことができない」


 褒められているのか貶されているのか分からない。


「締め出した一部の貴族からは恨まれていますし、田舎育ちの妾の子です。美しさは高価な服にでも付いているんでしょう」


 部屋を出て、最後にディマはクロードに言った。


「ヘイブン法皇に会いたいのですが、取り持ってくださいませんか」


「無理だ」

 

 なぜ、自分が創造主派の信仰を認めたからか――そう問いかけようとしたが、クロードは首を横に振る。


「彼は亡くなった。まだ公にはなっていないがね」


 驚愕を隠さなかった。


「本当ですか。嘘ではなく?」


「なぜ疑う?」


「以前、先生は僕に嘘を吐いたでしょう。シューメルナが他の人間を聖女に選び直したら、イリスは水晶になどならないと。アリアが現れても、結局聖女は覆せなかった。聖女はイリスだけで、新たに選び直されることなどなかったのに」


「嘘ではないさ。仮定の話に答えただけだ。ヘイブン法皇は、事故以来体が弱ってしまったから、誰も予期できない、突然の死だったんだ」


 手がかりが、一つ失せてしまった。


「先生は、僕らの味方ですか」


 クロードは笑い声を漏らすと、年下に接する年長者さながらに、優しく目を細めた。


「当たり前に味方だよ。君たちを不幸にしたいわけではない。二人の望みが叶うことを、いつだって切に願っている」

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