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イリス、今度はあなたの味方  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第四章 彼女に捧ぐ鎮魂歌

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彼女はわたしの写し鏡

 ヴァリ聖密卿が向かわれたのは、大聖堂の奥にある一室でした。迷うことなく彼は扉を開きます。

 中には、アリア様を庇うように前に立つディミトリオスお兄様がいらっしゃって、わたしの心は、ざわめいてしまいました。

 わたしの記憶の中でお兄様は、オーランド様と恋仲にあったアリア様に、叶わぬ恋をされていたように思っていたからです。嫉妬を覚え、同時にこんな思いを抱いてしまった醜い自分の心を責めました。


 聖密卿は低い声色でおっしゃいました。


「この聖堂内で行われるいかなる会話もすべて、私の耳に入るんだ。馬鹿なことはやめなさい。彼女は重罪人だ――当然、知っていると思うが」


「盗み聞きですか、先生」


「盗み聞きされて後ろめたいことがある方が問題だと思わないか。悪い子だ、ディミトリオス。子供の頃はあれほど純粋で可愛かったのに、いつから悪事を覚えてしまったんだ?」


「僕の悪事は先生の教育の賜物ですよ。誇りに思ってください」


 ちっとも笑わず真剣な顔をするお兄様に対して、ヴァリ聖密卿の方は、思わず出てしまったような笑みを少しだけ見せた後で、何事もなかったかのようにお顔を引き締められました。


「君がアリア・ルトゥムを逃がすなら、私は君をなんとしてでも止めなくてはならない。イリス、君の婚約者を捕まえるのを手伝ってくれ」


 そう言って聖密卿は振り返りわたしと目を合わせました。先程の口付けを思い出して、顔が熱くなります。彼の方は、いつも通りなのに。

 一瞬だけお兄様はわたしとヴァリ聖密卿に目を滑らせ、流れるおかしな雰囲気を感じ取られたのか眉を潜めたものの、すぐに元の険しい表情に戻ります。


「イリスは僕に力を貸してくれます。だろうイリス」


 けれどわたしは動けませんでした。一体、わたしはどうすればいいというのでしょうか。

 クリステル家のレジーナ様、シンディ様、パトリシア様と以前のわたしは、とても仲が良かったようで、帝都に近況を綴る手紙が届いており、彼女らに、以前のわたしと違うのだとは伝えられずに、今でも文通をしております。

 彼女たちが綴る手紙の文面からは友人へ向ける愛情が溢れていて、会ったこともないけれど、わたしは彼女たちがとても好きでした。

 そのお母様のミア・クリステル様の命を、アリア様は奪ったのです。それだけではありません。反乱の際にわたしたちに味方してくださったたくさんの方々を、彼女は殺してしまったのです。


 彼女に対して、最も憎しみが強いのは、お兄様だと思っておりました。けれどお兄様は、彼女を逃がそうとしています。

 ヴァリ聖密卿は、再び視線をお二人に戻します。


「それにね、ディミトリオス。君の後ろにいる彼女は、内蔵の損傷が著しい。闇の魔術を行使しすぎた。数ヶ月もしたら死ぬだろう、長くてだ。内側から体が崩れ、死が早く訪れるように切望するほどの苦しみを味わう。逃がしたとしても、幸せな生涯は送れない」


 頭を殴られたような気分でした。代償が伴わない力など、ないのでしょうか。結局は偽者の聖女だったアリア様のお体は、聖女の力に耐えられなかったのです。体に取り込んだ水晶結晶の影響もあるのかもしれません。時が戻る前の世界で、アリア様も、そのような運命を辿られたのでしょうか。


「アリア様……」


 名を呼ぶと、彼女は透き通った赤い宝石のような瞳をわたしに向けました。

 わたしにとっての彼女は、前を向き迷いなく突き進む、眩しいほどの心の強さを持った方でした。けれど今目の前で佇む彼女は、哀れささえ掻き立てられるほどに憔悴し、迷子の子供のように瞳を揺らしているだけです。

 美しい方です。とても、綺麗な人なのです。本当だったら、幸せにならなくてはならない人なのだと思います。

 

 彼女に対して初めて抱く感情が、わたしの中に沸き起こりました。――深い、共感でした。


「誰も理不尽に辛い目に遭わされることがあってはなりません。ヴァリ聖密卿、彼女を、あなたには渡しません」

 

 言ってから、わたしもお兄様の隣に並びました。お兄様に言われたからではありません。わたし自身が、彼女を救いたかったのです。きっと道徳的に正しいのは聖密卿です。それでもわたしは譲れませんでした。


「彼女は自身の犯した罪の責任を取る必要がある。当然の帰着で、理不尽なわけではない」


 聖密卿はそうおっしゃいましたが、わたしの主張は少しも変わりません。

 騒ぎを聞きつけた司祭様たちが、大勢やって来て、聖密卿の後ろに並びます。わたしは両手に魔法を帯び、叫びました。


「彼女に手出しをしてはなりません! 彼女の妹にもです。今を持って、アリア・ルトゥムとライラ・ルトゥムは、わたしのものです!」


 わたしは魔法を、皆様に放ちました。攻撃の魔法ではありません。彼等にかかっている守護魔法を剥ぎ取っただけでした。守りの魔法が消えた司祭たちは慌てた様子でしたが、聖密卿だけは、微動だにせずわたしを見ておられました。わたしが次に取る行動を、待っているかのように。

 

 わたしは攻撃魔法を手に帯びました。攻撃魔法なんて練習や訓練以外で出すなんて初めてのことでしたけれど、迷いなんてありません。

 震える声で言いました。


「しゅ、守護魔法のない皆様を攻撃すれば、どうなるかお分かりでしょう! わたっ、わたしとお兄様の邪魔をするというのなら、即座にこれを放ちます!」


 呼応するように、お兄様も魔法陣を出現させ、その背にわたしを隠すように一歩前に進みました。


「先生、僕はもうあなたに並ぶほどの魔法を使える。イリスと僕相手に、戦うおつもりですか」


「随分な言われようだが、私の立場からするとそうするしかない」


 ヴァリ聖密卿は苦笑し、彼もまた、魔法陣を出現させました。殺意が十分にこもっている、強烈な輝きを放つ攻撃魔法でした。本気のようです。

 一触即発の空気でした。わたしは両手を握りしめます。


「ではわたしも、こうするしかありませんっ!」

 

 お兄様とアリア様の腕を掴むと、即座にその魔法を行使しました。



 ――一瞬で、景色は変わります。

 


 大聖堂の暗い一室は消え去り、代わりに唖然とわたしたちを見る、聖女付きの侍女たちの姿がありました。

 

「城か?」お兄様が周囲を見渡しながらそう言いました。


 そのとおり、お城のわたしのお部屋でした。お兄様とアリア様とともに、瞬間移動をしたのです。手段を選べませんでした。まごまごしていたら、本当に司祭様たちと戦わなくてはなりません。わたしは彼等に、怪我をさせたくありませんでした。


「お兄様、ごめんなさい。わたし、お城の守護魔法、全部消してしまいました」

 

 心臓が、まだバクバクいっていました。全身が、今になって震えてしまいます。


「あれだけ何重にもかけていたのにか……」


 瞬間移動するにはそれしかなくて、お城を守る魔法をすべて打ち破り消してしまったのに、お兄様は怒ってはおりません。それどころか、わずかながら笑っておられました。その様子に、ほっと胸をなでおろします。

 侍女たちの中から、ぱっと小さな影が飛び出して、わたしの横を通り過ぎると、アリア様に向かい真っ直ぐに抱きつきました。


「お姉ちゃん!」


 アリア様も、その影をしっかりと抱きしめます。ライラ様でした。


「ライラ、ライラ……! ごめんね、ごめんなさい……!」


 美しい姉妹は、愛情を確かめ合うように、ひたすら強く、抱きしめ合います。

 わたしはアリア様に言いました。


「アリア様、わたしの手を、握ってください」


 彼女はライラさんから身を離すと、抵抗もなくわたしの手に触れます。わたしは彼女に魔力を流し込みました。はっと、お兄様が目を見張ったのが見えました。

 

「痛みが、消えた……」


 彼女が呻くような声を出しました。


「あの水晶を飲んでからずっとあった痛みが、消えた……どうして、なんで」


 わたしは彼女に治癒魔法をかけました。彼女の病理は複雑でしたから、打ち消すには、やはり複雑な魔法が求められました。すべて消せたのかは分かりませんし、かなりの魔力を消費してしまいました。気を抜くと体がふらつきそうになりましたから、必死にわたしは耐えました。

 アリア様は呆然とわたしだけをその目に写しておりました。


「イリス、なぜ――? なぜ、わたしを助けるの。なぜ許せるの?」


「……アリア様もまた、利用されるだけ利用し尽くされ、不要になって捨てられた、傷ついた少女に相違ありません。もう、どんな女の子にも、傷ついてほしくないのです」


 唇を噛み締めました。

 かつて処刑されたわたしと彼女、何が、違うのでしょうか。アリア様を救うことは、かつてのわたしを救うことでした。それにこの世界でも、二十歳にもなればわたしの肉体は滅びてしまいます。世界に不要になったら遺棄される、それがわたしの運命なのです。

 口を開きかけ、それでも言葉を発しないアリア様に向かい、わたしは言いました。


「わたしの領地へ向かってください。家と仕事を用意します。ひとまずは、騎士テミス家のお屋敷に住んでください。新しい人生を、どうか幸せに染めてください。そうすれば、わたしもとても、嬉しく思います」


「生きて、いいの? 幸せに、生きていけるの?

これからも、ずっと――?」


 遂にアリア様の目から、大粒の涙が流れ落ちました。

 

「聖女、様……イリス様……! わたし、わたしは!」


 彼女は泣き崩れました。いつも真っ直ぐ前を向く、誰もが憧れた彼女は今、正体もなく泣きじゃくりながら、体を震わせておりました。そうしてそのまま顔を上げると、わたしを見て、言いました。


「イリス様、どうか、お手に、触れさせてください……!」


 間に割って入ろうとするお兄様を制します。震える彼女の両手が、わたしの手に触れました。彼女はわたしの手の甲にキスを一つ落とすと、離し、やはり震える体を床に折り曲げ、目を丸くしている自身の妹の頭もまた、床に付けさせました。

 

「イリス・テミス様! このアリア・ルトゥムとライラ・ルトゥムは、生涯をあなたに捧げます! わたしはもう何も望みません。あなたこそ、あなたこそ――! あなたこそ、まことの聖女、様……」


 頭を下げ続ける彼女等を、見下ろしていました。


 わたしは別に、聖女じゃありません。心なんて、少しも清くありません。だってわたし、お兄様がアリア様を庇われている姿を見て、とても嫉妬してしまいましたから。

 清いふりをしているだけなのです。わたしの心の中は、いつだってドロドロで、とても誰かに見せられるものではありませんでした。


 激しく咳き込みました。大量の血に混じって、おびただしい量の小さな水晶結晶が口から吐き出されました。強い魔法を使ったせいなのでしょう。侍女たちが恐怖に叫びました。きっと無様な姿を晒してしまっているのだと思いました。

 もしかしたらわたしの体の水晶化は、もう始まっているのかもしれません。だとしても、アリア様の体を治したことに後悔はありませんでした。わたしは、心の向くまま、やりたいようにやることができたのですから。


「お兄様、イリスはお役に立てましたか?」


 言うとお兄様は、悲しそうに顔を歪められ、わたしを痛いくらいに強く抱きしめて、額にキスをしてくださいました。それだけで、わたしはふわふわと、幸せな気分になりました。


 ねえお兄様、これでイリスのことだけ、考えてくださいますか?

 

 お兄様がイリスの知るお兄様じゃなくても、お兄様であることには変わりありません。あの人にしてあげたかったことを、なんだってしてあげたいんです。お兄様を、誰にも渡したくありません。アリア様にも、他の、誰にも。前の、わたしにさえも、渡したくありませんでした。

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