世界の異物
「クロード先生は、聖女とはそういうものだと言っていた。嘆こうが悲しかろうが、それが聖女という存在なのだと。
彼女らは死に、遺体は教皇庁の地下で管理される。やがて体は水晶結晶に変化して、永遠に増殖し続ける。水晶が生み出す魔力は無限で、それをイリスは使っている」
普通だったら、受け入れがたい告白でしょう。
けれどわたしは、ひどく納得したような気分になりました。どうしてかずっと、知っていたような気がするのです。聖女の辿る、運命を。
「え、じゃあクロード・ヴァリは、聖女の体の一部をイリスの首からぶら下げさせていたってことか? あいつ思った以上に気持ち悪いな」
「魔力が安定するんだと言っていた。その通りだと思う。思えば当然だ。聖女の魔力は、あの水晶を通して供給されるのだから、同じ性質を持っているんだ」
今も首に下がっている小さな水晶結晶を握りしめました。わたしの肌の上で、じんわりと温まったその鉱石は、何も語らずここにいます。
彼女はどの聖女なのでしょうか。
わたしもいつか、次に聖女になる女の子に、こうして手渡されることがあるのでしょうか。
「……どうやったら水晶になるのを防げるんだ?」
悲痛ささえ覚えるオーランド様の声でした。けれどさらに悲しげな、お兄様の声がしました。
「分からない。防ぐ方法がないんだ。アリア・ルトゥムが小説の通りに現れて、僕は光を見たように思った。だが地獄の門の色だった」
愕然としたようなルシオさんの声がします。
「待てよディマ、そしたらお前、アリアを身代わりにしようとしていたのか?」
「僕も、そうだし、前のディミトリオスも、そうだったんだろう」
感情のない、お兄様の声でした。
心臓が、止まってしまったかと思いました。
そんな――まさか。わたしは、ディミトリオスお兄様はアリア様に、叶わぬ恋をしているものだと思っていました。彼女を連れてきて、そうしてあれほど熱心に世話を焼いていたのは、彼なのですから。それなのに、身代わりのつもりで? わたしが死んで、水晶にならないように、アリア様を連れてきたというのですか? わたしの、ために――?
「以前のイリスは知っていたのか?」
オーランド様の問いに、ディミトリオスお兄様の答えがあります。
「知らない。僕は言わなかった」
「なぜだ、言うべきだった!」驚いたようなルシオさんの声でした。
「言えるのか、大好きな女の子に、君はもうすぐ死ぬんだって、どうして言えるんだ。ルシオ、君なら言うのか?」
はあ、とルシオさんがため息をついた気配がしました。呆れているというよりは、ご自身を落ち着かせているような雰囲気でした。
「悪いが、分からん。俺はそこまで人を愛したことはない」
一呼吸置いて、ルシオさんは言いました。
「だが親友になら、言う。そいつが大切だから、すべてを打ち明ける」
「言ってどうするんだ。言ったら、彼女はきっと仕方がないって、受け入れる。僕だけが受け入れられないまま、生きていくんだ」
お兄様の言葉を否定したのは、オーランド様でした。はっきりとした口調で、彼は言います。
「彼女だったら、抗ったはずだ。必ずそうしただろう。そういう人だ。常に抗う人だった。ディミトリオス、君はイリスに告げるべきだった」
「言ったら今も、あの子は僕の側にいてくれたのか? 不幸なままだったら、僕の側に、いてくれたのか? 僕は君の代わりにアリアを死なそうと思うんだと言うのか? 彼女はそれを何が何でも止めただろう。聖女がイリスのままだったら、生きられてあと数年だと、そう伝えるべきだったのか? 君はまだ全然幸せじゃないんだ、むしろ不幸のどん底だと言ったら、彼女は消えなかったのか!」
お兄様が、椅子から立ち上がったような音がしました。
遥かに冷静な、オーランド様の声がします。
「考えても仕方あるまい。君は告げられなかったのだし、彼女は消えた。それ以上の事実はない。
それよりも、疑問があるだろう。最も大きな疑問だ。誰が時を戻したというのだ? そいつは時を戻したという自覚があるのか?」
オーランド様の問いかけを、ルシオさんが引き継ぎました。
「俺も疑問に思う。時が戻る前の世界で、イリスは能動的に魔法を使えない状態で、テミス家はお前も含めて全滅している。だからやはり無理じゃないか。
俺はローザリアの聖女を執筆するほど出世していて、オーランドも皇帝で、アリアも聖女なら、生きている奴、現状に大満足だろ。皆過去に戻りたいなんて思わない」
ルシオさんの声の後に、再び手帳をめくる音がし、お兄様が言いました。
「最後の記載を。“この世界の異物はわたし”の右に書かれた文字があっただろう。限定と、否定形だと分かった。だから、実際はこうだ」
――“この世界の異物はわたし、だけではない”
「誰かが、聖女に近い力を得て、何かの目的があって時を戻した。そうしてそいつは、どういう形でかは分からないが、この世界に存在しているはずだ。目的があって時を戻した以上、前の世界の記憶を継承していると考えるのが筋だろう。そうしてイリスの魂だけが異なっていたのなら、時が戻る際に、イリスの関与も深くあったはずだ。彼女は既に、水晶結晶になっていたのかもしれないが」
オーランド様とルシオさんが、口の中で銘々に唸ったような声を出しました。
お兄様の声が続きます。
「あの子が、今になっては憎くもある。ひどい人だと思う。側にいて欲しいとあれだけ言っていたのに、結局いなくなったのは彼女の方だ。僕、一人を置き去りにして」
「しっかりしろ皇帝。彼女はきっと、お前なら大丈夫だと思って姿を消したんだ。そうに決まってる」
「今の彼女を、愛せないのか」
オーランド様は、無情にもそんな問いかけをしました。
お兄様は答えません。それが答えなのだと、分かってしまいました。
涙が出て、嗚咽を必死にこらえました。
心が、引き裂かれてしまいそうに痛い。
唇に、冷たいものが当たります。
見ると手に、故郷の花をあしらった、綺麗な金の指輪がありました。
左手の、薬指に。
「世界が滅んだって、側に行くって……」
この指輪をくれた時、そう言ってくれたのに。
「あ……違う」
そんな記憶はないはずです。これは幻想? それとも、彼女の記憶なの。
幼いディミトリオスお兄様が、わたしにこの指輪と、愛の告白をくれた。わたし、嬉しかった。本当に嬉しかったの。ねえディマ、わたし、あなたを愛していたの。
だけどこの指輪は、わたしがもらったものではありません。
世界が滅んだって、わたしは誰にもなれません。お兄様は、側にいてくださいません。
悲しい。ただひたすらに、悲しいの。
ねえイリス。あなたは誰なの? どうしてわたしの側にいたの?
誰も答えてくれません。
わたしは――わたしは――。わたしはあの時、何を望んだの?
気分が悪くてその場に吐き、意識を保っていられずに、わたしはそのまま目を閉じました。




