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イリス、今度はあなたの味方  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第四章 彼女に捧ぐ鎮魂歌

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逃げ道なんてどこにもない

「お前は記憶の異なるイリスを別人だと断定したが、俺にとっては記憶だけ混乱した同一人物に見える。だって見た目が同じだからな。お前が彼女を別の人間だと、即座にそう思う根拠があったということだろう」


 ルシオさんの声が響きます。


「エンデ国を旅して二年以上経ったが、今になってあれらが結びついたように思える。教皇庁の地下にあった水晶が、なぜ俺の胸に生えてきた。イリスが水晶についてばかりを調べていたのはなぜだ?

 それに、お前は宿屋でヴァリに、この世界の出来事が、別の世界で小説になる可能性があるかどうか尋ねていたよな。イリスの手帳に小説という言葉が頻出するのが、偶然とは思えない」


「……宿屋で君は眠っていた」


 お兄様の言葉に、再びルシオさんが言いました。


「途中からはずっと起きていたぜ。そん時は何も思わなかったが、今は違う。はっきり答えろディマ。はぐらかさずに、俺にすべてを話せ。聖女と水晶と小説は、どんな意味がある? そうしたら、反乱を隠していたことを許してやる」


 無数の疑問のどれ一つにも、お兄様は何も答えません。


「なあディマ。言ってくれなきゃ分からない。どうやって力になればいい? 言えよディミトリオス・フォーマルハウト! この俺を信頼しているなら言ってくれ!」


 またしても、静寂がありました。

 今度、声を発したのは、お兄様でした。抑揚のない、声でした。


「……ずっと昔、僕はイリスに、同じことを言った。言ってくれないと分からない、守りたくても守れないと、そう言った。

 今なら、誰にも言えなかった彼女の気持ちが理解できる。正直言って僕は、もう自分一人では、どうしたらいいのか分からない――。僕は、彼女を愛していた。僕に残されたのは、この愛、だけなんだ」


 お兄様の声は、掠れていました。


「……聞いて、くれるか」

 

 ああ、というオーランド様とルシオさんの声の後に、お兄様は話し始めました。

 それはとても、信じられない、ことでした。


「僕が彼女の前世の話を聞いたのは、出会ったその日のことだった。幼かった僕は、そういうこともあるのかと、ただ思っただけだった。驚いたのはその後だ。彼女が、元いた世界で、僕等のいるこの世界は、小説になっているのだと言っていた――……ルシオ、とりあえず最後まで聞いてくれ。オーランドも、そんな顔をしないでくれ」


 お兄様は言います。

 その小説の題名こそが「ローザリアの聖女」なのだと。

 

「主人公はアリア・ルトゥムで、皇帝オーランドとの恋物語なのだと言っていた。敵もいる。物語中盤までは、テミス家だ。アレン・テミスは亡くなっているから、主には伯爵エルアリンド・テミスとその妻となったミランダ・テミスが、娘のイリス・テミスこそが聖女であると嘘を言い、帝国中を騙し、私腹を肥やしていた。アリアが現れるまでは、誰もイリスが偽物であると気付かなかったという」


「……似ているな」オーランド様が言いました。


「ああ、そうだろう。これは僕が領地にいる時に聞いた話だ。まだアリアはおろか、君やルカ・リオンテールとさえ会ってない時に、彼女が語ったことだ。

 小説では、結局テミス家は処刑される。イリスも同様に殺される。彼女は最後まで、自分が聖女であると主張して、首を切り落とされるんだ。彼女に最後に会ったのは、兄のディミトリオスだった。ほら、僕が閉じ込められていた鐘楼があるだろう。イリスもその牢にいて、兄と話す。偽の聖女であると認めれば皇帝は処刑しない。だから生き延び、故郷で一緒に暮らすのだと約束したが、イリスは自分の心を変えられなかったのだろう」


 聞きながら、背筋が寒くなっていきました。お兄様の語るお話は、小説などではありません。だってわたし、身に覚えがありました。


 どうしてずっと忘れていたのでしょうか。わたしは、確かに、首を切られて死んだのです。

 怖くて、痛くて――。

 どうしてわたしが死ななくてはならなかったの? だって、なんの罪も犯していないのに。


 あの瞬間の恐怖が蘇りました。

 あれはいつのことなの? 遠い昔のことのように思える。


 体が、凍えそうなほど寒くて、わたしは体を抱きました。立っていられずその場に座り込みます。口を押さえたのは、そうしなければ、悲鳴を上げてしまうように思ったからです。


「処刑されたテミス家の中で、一人だけ生き残った人間がいた。長男の、ディミトリオスだ。彼は上手く立ち回り、生き延びたんだ。彼には目的があった。自分こそが皇帝に相応しいのだと野望を抱き、アリアとオーランドを排除しようとした。だけどディミトリオスはアリアに恋をして、野望を捨て、アリアとオーランドを生かすために死ぬんだそうだ。火に焼かれながら――。で最後はアリアとオーランドが結ばれて、めでたしめでたしだ」


「冗談はよしてくれ。私もアリアに恋をしたように思ったこともあったが、あれは闇の魔術によるものだ。私が恋をしていたのは……」


 オーランド様の言葉は弱々しいものでした。


「……ともかく、これがイリスの前世で読んだという小説の概略だ。その世界でイリスは死んで、この世界に生まれてきたのだと、言っていた」


「つまり、彼女の世界でこの世界の出来事がちょっとだけ違う形に脚色されて小説になっていたということか? それで偶然、彼女の魂がこの世界で生まれ変わったと」


 ルシオさんを、お兄様は否定しました。


「僕の考えは、少し違う。手帳を見てくれ」


 また紙が擦れる音がしました。どうやら彼らは、本のようなものを見ているようでした。

 ルシオさんが言います。


「俺の名前があるところだな。二重線付きの」


「ああ。横の文字が分かった。“作者”だ。つまり“作者ルシオ・フォルセティ”。

 ローザリアの聖女を書いたのが、君だということだ。イリスがあえて僕に言わなかったのか、それとも確証が無くて言えなかったのかは分からないが、少なくとも彼女は、小説の作者をルシオだと考えていた」


 ルシオさんが笑った気配がしました。


「おいおいおいおい、それこそ冗談よせよ。俺はそんなもん書いた覚えはないぜ」


「今の君じゃない――時が戻る前の君だ」


「――は?」


 それがルシオさんの声だったのか、オーランド様の声だったのか、あるいはわたしの声だったのかは分かりません。お兄様ははっきりと言ったのです。時が戻ったのだと。


「はじめに彼女の世界があり、小説の中の登場人物に生まれ変わったわけじゃない。はじめにこの世界があり、作られた小説を、後から彼女が読んだんだ。

 こっちのページを見てくれ。この魔法陣だ。これがどういう意味を表しているのか、分かった。“空間転移”“瞬間移動”“時の歪み”“反魂”“空間の歪み”――合わさって、時戻りの魔術になる。発動させるには莫大な魔力がいるし、当然ながら闇に属する。だが聖女の魔力なら可能だ。もしかすると体は無事ではないかもしれないが、時が戻るのならば、体など不要になる」


「じゃ、じゃあ、ディミトリオス。君はこう言いたいのか? この世界はイリスによって一度時が戻されているのだと」

 

 オーランド様の声には動揺が含まれておりました。


 誰も見ていないけれど、座ったまま、わたしは首を横に振りました。時を戻してなんていません。そんなこと、わたしはしていません。

 お兄様は、言いました。


「小説の内容を、時が戻る世界の話と信じるなら、時を戻したのはイリスじゃない。少なくとも直接的には、彼女はできない。誰が時を戻したのかは、まだ分からないが、聖女に近い魔力を持つ人間が作り出せるということは、アリアが証明してくれた。

 この話自体、単なる思考実験に過ぎないのかもしれないが、僕はこう考えている。

 歴史書があるだろう。ローザリアについて書かれた、十巻あるあの歴史書だ。皇帝を讃えるためだけのあの本。あの本のように、アリアとオーランドの話が脚色混じりに世に出されていたとしたら。ローザリアの歴史、番外編だ。あり得る話だろう。きっとそれは皇帝と聖女に都合のいいものだけ切り取られた小説だ。イリスやテミス家に有利なことは、一切書かれなかったに違いない。だから、本当はイリスが聖女のままだったが、その小説では、アリアこそが真の聖女とされていたんだ。帝国民は、あるいは世界中が、その本を手に取って、そうして信じただろう。アリアこそが聖女であると。

 その本が、イリスの前世に紛れ込んだ。だからそう――世界の壁を超える方法が必ずあるはずだ。そうして実行した奴がいる。その頃はまだ、この世界は時が戻る前だ。つまりテミス家が滅び、アリアが聖女になっている。

 時が戻ったのはその後だ。かつてのイリスは二十歳で亡くなったと言っていた。だとしたら彼女が幼少期その本を手に取り、二十歳になってこの世界に転生する間だけの時間は、流れていたはずだ」


「……あんまり、理解できないが。だとしたら、俺達はまたこの人生をやり直してるってことか。覚えていないだけで、二度目の人生だって?」

 

「この手記を追うと、少なくとも、イリスはそう考えていた」


「じゃあなぜ、イリスだけが違う。彼女だけが転生した別の世界の魂であった理由はなんだ?」


「時が戻る時に、イリスがそう願ったのかもしれない。単純なやり直しでは、同じことの繰り返しになると」


 あああ、とルシオさんは吠えました。お兄様の話を、なんとか理解しようとしているのかもしれません。


「時が戻る時にイリスは死んでいる! 首を切られたんだから、願うことなんて無理だろ!」


「死んでいないんだ」

 

 苦しげな、お兄様の声でした。

 耐えきれずに、わたしは目を閉じました。それ以上、聞くことが恐ろしかったのです。けれどもやはり、逃げることもできませんでした。そうしてわたしは――遂に知ってしまいました。心のどこかでは、ずっと気付いていたことを。


「死んでいないんだ。人としては死んで、意識がある状態ではなかったのかもしれないが、聖女は死んでも滅びない。彼女等は、人としては二十年も生きられない。その後は肉体を変化させて、永遠を生き続けるんだ。魔力を帯びる、水晶結晶になって――」

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