恋はままならないものだから
イリス・テミス
お城からお帰りになるオーランド様を見つけたのは、日が沈みかける頃でした。
中庭を横切る彼の体は、わたしが綺麗にしたため汚れてはいません。彼がやってきたのは昼過ぎだったと思うので、数時間、お兄様とお話をされていたということでしょうか。
「オーランド様、お帰りですか?」
そう声をかけると彼は振り向き、わたしを見て微笑みました。
「ああイリス。すっかり長居してしまったからね……浮かない顔だが、何かあったか?」
オーランド様にしても、わたしの知る彼よりも、よほど優しく笑うのです。わたしの様子を気にも、かけてくださいます。
わたしの知る彼も、親切な方でした。強く、気高く、皇帝かくあるべきという姿を、体現されていたような方でした。けれど今のオーランド様は皇帝ではありません。それでも変わらず、強い瞳をされていました。
わたしは反省しました。
彼に、心配させてしまうほど、暗い顔を浮かべてしまっていたのでしょうか。
オーランド様と以前のわたしがどう関わり、どのようにして帝位を追われたのか、両親やお兄様から教えてもらっていました。普通だったら、こうして話すこともできない立場に、わたしはあるはずです。憎まれても仕方がないのに、オーランド様はそうはされません。お心の、広い方なのです。
だからきっと、これを彼に言うのは間違っていることだと思いました。
それでも、わたしは言ってしまいました。彼の優しい眼差しに甘え、ふいに心が崩れたのです。
「オーランド様、わたし、悲しくって、しょうがないんです。わたし、どうしようもなく悲しいの――」
言った瞬間、大粒の涙が頬を伝いました。
オーランド様は驚いたような表情をされた後で、わたしの肩を抱き、中庭の、人のあまりいないベンチへと連れて行ってくださいました。
並んで座りながら、胸に詰まっていたことを、わたしは吐き出しました。
「お兄様は、わたしを、愛してくださらない。ディミトリオスお兄様が好きなのは、わたしじゃ、ないんです。わたしは、まるで必要ないって、言われているみたい。わたしが、わたしでなければ、お兄様は愛してくださったのでしょうか」
抑えていた言葉が、抑えられなくなってしまいました。嗚咽混じりの、こんなに情けない告白を、オーランド様は受け止めてくださいました。
わたしの背を撫で、手を柔らかく握りながら、言ってくださいました。
「辛いなら、また私と婚約を結ぶか? 彼よりも、遥かに君を大切にしよう。一日中愛を囁き、二度と離さない」
びっくりして、涙は一瞬で止まってしまいました。きっと、ぽかんとした表情で、オーランド様を見つめてしまったことでしょう。
オーランド様は、苦笑混じりに言いました。
「……冗談だ。そんな顔をするな」
あ、なんだ……。
冗談を真面目に取ってしまって、わたしはなんて馬鹿なのでしょう。顔が赤くなるのを感じました。
オーランド様は、わたしから手を離すと、視線を中庭に向けました。もうすぐ春がやってまいります。庭の木は、今まさに蕾を蓄えようとしおりました。
ぼんやりと、彼は言いました。
「恋というものはままならないものだな」
「恋をしたことがあるんですか?」
驚いて聞き返し、またしても自分の愚かさを感じました。だって、彼女以外にいるはずがありません。
「アリア様ですね?」
「いいや、違う」
すぐにオーランド様は否定されました。予想が外れてしまったようです。
「では、どなただったのですか?」
言ってから、踏み込みすぎた質問のように思いましたが、発言を訂正する前に、オーランド様は怒るでもなく答えました。
「相手は秘密だ」
オーランド様が受け入れてくださったので、わたしは嬉しくなりました。
「その恋は叶ったのですか?」
「いいや、叶わなかった」
悲恋に終わったのでしょうか。
それでも彼が浮かべる表情は、いつになく優しいものでした。まるですぐそこに、最愛の方がいらっしゃるみたいに、とても美しい笑みでした。
「どんな方だったのですか?」
オーランド様は答えます。
「可愛い人だったよ。決して強くはなかったが、いつも強くあろうとしていた。常に背筋を正し、年上の男とも怯むこと無く渡り合った。嘘が下手で、からかうとすぐに顔が赤くなった。
結婚しようと思っていた。ずっと隣で、見ていたかった。――だが、随分と彼女を傷つけてしまったし……しかし私もかなり傷つけられた。結局はおあいこだろう」
「それほど愛していらっしゃって、なぜ結ばれなかったのですか?」
黙ってしまったオーランド様の様子に、察してしまいました。
「振られてしまったの?」
「まあな」
まさか、信じられません。
「オーランド様の好意を断る方が、この世に存在するのですか?」
オーランド様は、声に出して笑われました。
「いたんだよ。彼女は、いたんだ。私の言うことなど少しも聞き入れはしないし、頑固で、思い込んだら一直線で、いつも自分を顧みずに突き進んだ、とても好きだった少女が、確かにいた。自分自身を見失うほど、彼女を深く、愛していたんだ」
それからオーランド様は、わたしに目を向けました。
「イリス。あなたも、彼女に負けないくらいにとても素敵な人だ。どうか幸せであってくれ。悲しい顔をするな。笑顔があなたにはよく似合う。あなたが笑うと花が咲いたように思う。ディミトリオスに愛想が尽きたら私のところへ来るといい――これでは口説き文句のようだな、忘れてくれ」
気づけばわたしも笑っていました。きっとオーランド様は、暗い顔をしているわたしを慰めるために、こんなことを話してくれたのです。
オーランド様は立ち上がりました。
「そろそろ戻らねば。すぐに戻るつもりで、そう母にも伝えている、彼女は心配性だからな」
わたしも、オーランド様のお母様のことを思いました。いつも親切で、優しくしてくださった方です。
「サーリ様は、お元気でしょうか。もしよろしければ、お会いしたいです」
オーランド様は一瞬だけ驚いたような表情をされた後で、頷いてくださいました。
「そうだな。母も喜ぶだろう。伝えておくよ」
言葉の通り、オーランド様は、サーリ様に伝えてくださったようです。
わたしはその数日後に、本当に彼女に会いに行きました。




