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イリス、今度はあなたの味方  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第四章 彼女に捧ぐ鎮魂歌

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この心の悲しみ

イリス・テミス

 書斎に入るとお兄様はわたしの前までやってきて、頬にキスをしてくれました。直前まで文机にいらした様子に、慌ててわたしは言いました。


「ディミトリオスお兄様、お邪魔じゃなかったでしょうか。突然来てしまってごめんなさい」


「イリスは僕の婚約者だ。いつ来たっていいんだよ。遠慮しないで、さあおいで」

 

 お兄様は優しくそう微笑むと、わたしをソファーまでいざなってくださいました。


「用があったのかい」


「いいえ、そういうわけではなくって。午後に、信者の方々がお見えになる前に、お兄様に会いたくなってしまったの。お昼ごはんをご一緒したくって」


「そう、嬉しいよ」


 お兄様が笑いかけてくださったので、わたしは自分の顔が真っ赤になるのを感じました。

 わたしの知る彼よりも、ずっと柔らかく笑うお兄様です。態度もずっと穏やかで、いつも彼を取り巻いていた、鋭く危うい雰囲気は、今のお兄様にはありませんでした――それほどには。

 

 自分の状況は、この一ヶ月で、なんとか理解いたしました。

 家族は無事で、わたしにも聖女の魔力があって、オーランド様とアリア様はいなくて、そうして、ディミトリオスお兄様が皇帝だということ――。そうして……ああ、なんて幸せなことなのでしょうか。


 わたしは、お兄様の婚約者なのです。後少しで、お兄様と、結婚するのです。


 こんな幸せがあっていいのでしょうか。

 初めの頃、目が覚めてすべて夢であったらと考えて、考えれば考えるほどに恐ろしかったのですが、その不安は、日々が過ぎていく内に薄れていきました。何日経っても、この幸福が消えることはなかったのですから。 


 運ばれてきた食事に手を付けながら、わたしは尋ねました。


「お兄様が国営学校の教授方をお呼びしていると聞きました。何をお話されているのですか?」


 ああ、と食事の手を動かしながらお兄様は答えます。


「各地に学校を建設しようと思ってね。どんな人材が教師として相応しいかを、考えていたんだ」


「国費で?」


「ああ、国費で。不足するようならフォーマルハウト家の財産を使う」


「フォーマルハウト家は許してくださるのですか?」


「今この家で力を持っているのは、分家の老人達だ。ルカに懐柔されているくらいの人間だよ。命と身分を保障すると言ったら、僕に従うことを表明した」


「どうして学校なんです?」


 お兄様がわたしに目を向けました。

 じっと見つめられて、恥ずかしくなって、思わず下を向いてしまいました。


「この反乱で思ったんだ。フォーマルハウト家が五百年間かけて溜め込んだ毒の澱を、浄化する時が来たのだと。ローザリアに、借りを返す時が来たんだ」


 わたしが目覚める少し前に、お兄様やミア様が、オーランド様とルカ様に対して反乱を起こし、成功したのだと聞きました。

 けれどそれが、どうしてこのお話に繋がるのか、わたしには分かりません。同じ経験を、していないからなのでしょうか。

 わたしはきっと、ぼうっとした表情だったのでしょう。お兄様は、わたしにも分かるように、噛み砕いて説明してくださいました。


「……いずれは植民地からも、手を引くものだと思う。他国が他国を支配するなど、傲慢でしかない。

 そしてそれは、皇帝にも言えることだ。一部の貴族が帝国を支配した歪んだ体制だから、ひずみが生じる。そうではなくて、民全員の手で、民全員の国にしなくては意味がないと思う。いずれ今の国の体制では、立ち行かなくなる時が来ると思うよ。それが一年後か五年後か、五十年後かは分からないが――すでに商人たちは力を付け、平民も国政に食い込もうとしているのだから。

 だからいつか、世界中で王族は滅び、共和国が誕生する。その時に、学のない者は置いていかれてしまう。だからこその学校だ。子供の頃から、学べるように。誰もが自分の幸せを追求し、夢を、好きに叶えることができる国にしなくてはならない。

 ……君は、僕の叔母のミア・クリステルをあまり知らないかもしれないが、彼女は僕に希望を託した。ローザリアの永劫の繁栄を。永劫の繁栄は、僕はそういった自由に宿るものだと思う」


 難しくて、分かりませんでした。お兄様は、わたしの反応を窺うようにこちらを見ながら、なおも言いました。


「前に、イリスが言ってくれたように、三部会の準備に取り掛かろうと思う。まずは地方で、その後で国を四分割して四方で、その後で帝都で開こうと思う。帝国の考えを、皆に知ってもらいたい。

 そうやって国の意思が統一されたら、より強固なローザリアになるはずだ」


 強い言葉に、心から感心してしまいました。


「お兄様は、ずっと国のことを考えておられるのですね」


「まあね」


 そう言って、ようやくわたしから目を逸らしたお兄様に、言いました。


「イリスも、お兄様の夢を一緒に支えたいです。これからのローザリアを、一緒に作りたいです」


「前もイリスは、同じことを言ってくれた。ありがとう」 


 お兄様は小さく笑いました。その笑みは寂しげで、わたしは心が締め付けられるようでした。


「わたしも、考えていたんです。お兄様のお役に立ちたくて……。でも、考えても全然分からなくて。わたし、アリア様が現れてから、魔法が使えなくなったんです。時々手元に戻ることもあったんですけど、すごく小さくて弱くて、役には立たなくて……。

 でも、戦いの時、魔力が行ったり来たりしたと聞きました。どうしてそんなことになったのでしょうか」


「僕にも分からない」


 それだけ、お兄様は言いました。

 嘘のような気がしました。

 お兄様は、すべてを知って、わたしに隠しているのではないでしょうか。


 前のわたしになら、言ってくれたのでしょうか。

 そう思って、胸がズキリと痛みました。


「わたしのせいで、お兄様の心労が増えているのですか?」


「違うよ、君のせいじゃない。ただ僕等は、ほんの少し寂しいんだ。それだけさ」


 ほんの少しとは、思えませんでした。

 けれどお兄様は話題を変えてしまいます。


「結婚式の準備もしよう。オーランドがあらかたやっていたものを、奪うようで気が引けるけど、彼の招待客候補を真似しようと思う。着たいドレスはある? まだ間に合うから、希望があったら伝えてくれ」


 お兄様は、いつものように優しく言ってくださいます。結婚式と、聞くだけで顔が熱くなります。ずっと花嫁さんに憧れていました。

 

 だけどお兄様。


 わたし、お兄様がわたしを通して、誰かを見ているような目をする度に、自分が透明になった気がするんです。

 お兄様の瞳に陰が差す度に、イリスは息が上手にできなくなるの。

 

 不思議なんですお兄様。

 ずっと、こうなったら良いのにって夢見ていた世界にいるんです。幸せなはずなのに、なんだかずっと、この胸の中が悲しいの。

 わたしがわたしでなかったから、家族は生きて、幸せです。わたしがわたしでなかったから、皆が幸福な世界にいるんです。


 ねえ、お兄様。この世界で、わたしだけがいらないの――?


 けれど問いかけは胸に詰まり、やっぱり口に出すことはできませんでした。

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