争いの果てに
イリス・テミス
誰もが息を呑んで、その光景を見守っていた。
静寂の中に、オーランドのすすり泣く声が響いていた。彼は地面に額をこすりつけ、ディマの前に伏していた。ディマは、そんな彼を抱きしめた。
はっと、わたしは我に返る。
「オーランド様……!」
彼の側に、行かなくてはならなかった。二人の元へ駆け寄って、未だに顔を上げないオーランドの前に、わたしもまた、膝を付いて、地面に向かい頭を下げた。
「オーランド様、ごめんなさい。わたし、とてもひどいことをしました。オーランド様を守っているつもりだったんです。でも、全然、そんなことなくて――」
彼への謝罪が正しい選択かは分からない。
だけど言葉が止まらなかった。
「ごめんなさい、オーランド様。わたし、馬鹿で、鈍感で、あなたの心を、踏み躙っていたことに、少しも、気づかなくて……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
彼にあげたピアスはまだ、その耳に付いている。だけどそこに込めた魔術は、失われているのだろう。
「イリス……イリス、顔を、上げてくれ」
やがてためらいがちな、オーランドの声がし、彼の手が、ぎこちなくわたしの肩に触れた。
「イリス、もう、いいんだ。これで、終わりだ。私の負けだ」
彼はわたしの顔を上げさせる。目が合った。初めて会った日を思い出すような、穏やかな目だった。
「あなたを愛していた。本当に、恋をしていた。あなたのことが、大好きだったんだ。ただ、それだけだった。あなたを側に置くために、抑えつける以外のやり方を知らなかった。ルカが私にしたことを、あなたにもしてしまっていた。窮屈な思いをしただろう。……すまなかった」
十歳の時に彼に出会って、そうして五年間、ひたすらわたし達は側にいた。
芽生えた情は、あの夜に、失われたのだと思っていた。
けれどわたし達の間にあった奇妙な絆は、決して断ち切られたわけではなかったのだ。形を変えて、まだ、ここに存在していた。友情も同情も恋も共感も混じり合い、ただ人と人との間に当然あるはずの親愛を、感じていた。
わたしも、この人のことを大切に思っていたんだと、そんなことに、今更ながら気がついた。
オーランドは泣いていたし、ディマの目も潤んでいた。わたしもまた、頬に涙が伝うのを感じた。
わたし達三人は、石畳に膝を付けながら、情けない姿をさらし合う。
「わたしも、オーランド様のこと、好きです」
「えっ」
ディマとオーランドが、この場に似つかわしくない頓狂な声を上げた時だった。目の端に、影が映る。その影が、暗がりから躍り出て、勢いよくディマに向かって剣を抜いたのが分かった。
「こんなことが、許されるはずがない! 貴様だけはディミトリオス、殺してくれる!!」
ルカ・リオンテールだった。
彼の恨みは続いていた。
彼を視認できたのは一瞬だけだったけれど、血走った目と憎悪の表情を、確かに見た。
わたしはディマの前に体を出そうとした。
けれどわたしの体をオーランドが掴み、そうしてディマも、くるりと向きを変えわたしとオーランドの前に立つと、速やかに魔法陣を出現させた。
でも、その魔法陣は、ルカには届かなかった。
それより前に、別の魔法が鋭く飛んで来て、ルカの体を真っ二つに裂いたのだ。上半身と下半身に分かれたルカは、それでも目だけで、自分を殺した人間を確認したらしかった。
「くそっ……! 初めて人を殺した」
ルカの目線の先にいたルシオ・フォルセティは、苦々しげに言った。
「ガキの頃、いつだって高圧的なあんたに、一発お見舞いするのが夢だった。こんなに後味が悪いなんて、思ってもなかったけどさ」
ルカが何かを言いたげに、口を数度動かしたけれど、漏れ出たのは空気だけで、結局最後は何も言わずに、彼の命は果てた。
そう、果てたのだ。
あっけなく、彼は死んだ。
このローザリア帝国の、真の支配者とも言えたルカは、皆に別れを告げるわけでもなく、死を惜しまれる暇もなく、あまりにもあっけなく、命を落とした。
けれど、事態はこれだけでは収束しなかった。
ルカの死に耽る暇もなく、背後から、爆音が聞こえてきた。
途端に視界が赤く染まり、同時に熱を感じる。
城が赤く燃えていた。
地下にあった火薬の一部に引火したらしく、城は火の海に変わる。
小説の最終場面、ディミトリオスとの決戦でも城は炎に包まれた。でも今、火を放ったのはディマじゃない。
オーランドが、ハッと息を吸い込む。
「母上……? は、母が中に!」
「助けに行かなくちゃ! 彼女は足が悪いのよ!」
急いで城の中に入ろうとしたところを、ディマに抱きすくめられ止められた。彼は周囲に向け叫ぶ。
「魔法を使える者は水の魔法を使え! とにかく消火するんだ!」
「魔法が使えない者はどうすれば! いかがいたしますか陛下!」
オーランドとディマが、ほとんど同時に答えた。
「川の水でも汲んでこい、間抜けが!」
一瞬、彼らは顔を見合わせ、そうして逸らす。
ディマは親友を振り返ると、わたしを彼に放り投げた。
「ルシオ! イリスを止めていろ!」
「お、おう」
ルシオの腕が遠慮がちにわたしの体に回る。わたしは暴れた。
「離してルシオさん!」
「く、くそ! すみませんイリス様! 俺はディマの奴に従う!」
こんな時に強すぎる友情は邪魔だ。ルシオはがっちりとわたしの体を抑えている。
そんな混乱のただ中で、兵の一人が気が付いた。
「あそこだ!」
指差す先に、サーリが手に松明を持ち、城のバルコニーに佇んでいるのが見えた。
「サーリ様!」
わたしが叫ぶと、ゆっくりと彼女はこちらを見た。その目には、いつも彼女に付き纏う、悲しみの色が浮かんでいる。
彼女が、火を点けて回ったのだということは明白だった。
ディマとオーランドが、彼女の真下に向かう。
「サーリ! 何もあなたが死ぬことはない!」
そう叫ぶディマに、サーリは能面のような無表情を向けた。
「真の皇帝、ディミトリオス陛下――……。陛下、ですって? あなたがとても、憎たらしい。あなたさえ現れなければ、オーランドとイリスは結婚して、わたくし達は、平和で幸せなまま、生きていくことができたのに」
ぼんやりとした声だった。
オーランドも叫ぶ。
「母上、降りてください! 危険です!」
サーリは、虚ろな視線のまま言った。
「わたくしは、この世から消えます。オーランドを身ごもった時に、そうしていれば良かったんだわ。母子二人で、エヴァレットのいる場所に行っていれば――」
そう言って彼女は、持っていた松明を自分の体に燃え移らせた。
「させるか!」
ディマがすかさず魔法を放ち、彼女が手に持っていた炎を弾き飛ばし、燃え広がりかけた炎を消した。サーリはそのまま、気を失ったらしい。体が力なく地に向けて落ちる。
「母上!」
「だめだ! 魔法が間に合わない!」
二人が走るけど、サーリが地面に叩きつけられる方が早い。最悪の事態を考えた。わたしを抱きしめるルシオの体も、こわばるのが分かった。
けれどそうはならなかった。
兵の中で、行く末を見守っていたクロードが、誰よりも早く魔法を使い、サーリの体を優しく地面に下ろしたのだ。
はあ、とルシオの力が抜けた瞬間、彼の腕を逃げだして、わたしも彼女の元へと走った。
オーランドがサーリの無事を確認するため体を抱えた瞬間、彼女は、目を開け、自身の息子を見たようだ。彼女の目が、悲しみに揺れる。
「死なせてください、お願いします、オーランド、わたくしを死なせて――」
それから石畳の上の自身の弟の姿を見て、短い悲鳴を上げた。
「許されないことをしました。わたくしのせいで、たくさんの人が、死んでしまった。もう、耐えられない……。オーランド、お前は皇帝ではないの。お前の父は、リオン様ではないのよ……」
オーランドは、強く、強く、自分の母親を抱きしめた。
「それでもあなたは、私の母です。唯一無二の、母上です。生きてさえいてくれれば、それでいい。……どうか私から、もうこれ以上、何も奪わないでください」
彼の声は掠れていく。
魔法が使える者等の魔法陣が、城上空に無数に蔓延り、雨を降らせる。
城を包んでいた炎は、徐々に勢いを落としていく。
「これで、終わったのか……」
誰かがそう、呟く声が聞こえた。
ローザリア帝国における、帝位を争う内乱は、今、この場で終結した。
後に残ったのは、抱き合う親子と、その側に佇むわたし達と、崩壊しかけた城だけだった。




