画家の息子も矜持はある
オーランド・フォーマルハウト
帝都はひっそりと、静まり返っていた。まるで息を顰めていれば、我が身は安全だと、市民は考えているかのように。
城の中、地下にある歴代王の石像の前で、オーランドは剣を抜いた。この王たちの血が、一滴たりとも我が身に流れておらずとも、オーランドは彼らの前で頭を下げ、囁いた。
「どうか私に、力をお授けください」
祈りは、石の間に吸い込まれていく。
つい先程まで、嵐のような報告を受けていた。
ディミトリオスが帝都付近の古い砦を拠点として、平原まで攻め込んでいる。
帝国軍と諸侯からなる連合軍は圧倒的有利だ。
アリア・ルトゥムを派遣した。
ミア・クリステルを討ち取った。
カイル・ナツィオーネを討ち取った。
そうしてヘルからの援軍が到着した。だが――。
「陛下! タイラー・ガンが裏切りました! 奴ら、ディミトリオスに加勢しています!」
それが、皮切りだった。事態は、怒涛のように悪転していく。
「アリア・ルトゥムが敵の手に落ちたと情報があります!」
あり得ない。聖女が敵に捕らえられるなど。
「陛下! 上空に、巨大な魔法陣が出現し、帝国兵を崩しています! いかがされますか!」
それはヘルに出現したものと同じだ。
悪夢のようだった。その魔術はクロード・ヴァリとディミトリオスの力によって具現化されたものだ。だと言うことは――。
「クロード・ヴァリ聖密卿が加担しています!」
司祭は政治不介入のはずだ。それさえも崩し、あの天才魔術師ヴァリが、ディミトリオス側に付いたのか。
だが極めつけは、これだった。
「薔薇海峡に、スタンダリアが攻め込んできてきます! 植民地大陸におけるクリステル家の領地と引き換えに、ディミトリオスに加勢するよう、密約を交わしていたと思われます! ――陛下、いかがされますか!」
いかがも何も、手の打ちようがないだろう。
なぜ皆が、ディミトリオスの味方になる。なぜ奴に、こうも幸運が重なるのだ?
いや、幸運ではない。奴が着実に積み上げてきた一手一手が、こちらが努力を重ねずあぐらをかいていた塔を崩しているだけの、当然の結果に過ぎないのだ。
オーランドの気はおかしくなりそうだった。
やがて貴族の男が、今にも死にそうな表情を浮かべ、広間に駆け込んできた。
「――陛下……。奴らが、帝都まで進軍しました。市街地で戦闘はありません! 市民は彼らを歓迎しています。奴こそが真の皇帝だと、ディミトリオスのあの目を見た者は、そう思い込んでしまうのです! 城まで来るのも、時間の問題です!」
平原の争乱に、決着がついたのだ。彼らの勝ちだった。
「陛下、お逃げください。海を超え、レッドガルドまで行けば、条約が身を守ります」
それは、ルカが囁いた言葉だ。
常識的に考えて、それが最良の策だ。だがオーランドは首を横に振った。
「私は逃げない。逃げれば、未来永劫、あの男の影に怯えることになる。醜く逃げるくらいならば、誇り高き死を選ぶ」
「……死は、死です。そこに誇りなどない」
「誇りはあるさ。たとえ画家の息子の死だとしてもな」
オーランドは伯父に、それだけを答えた。
――今、オーランドは、リオンの石像を見つめていた。
「父上。私を憎んでおられるのでしょうか」
父帝の石像は、まるですぐ目の前に敵がいるが如く、空間を鋭く睨みつけていた。
「私が二つにもならない頃に、あなたはお隠れになりました。私は今、それが病ではないのだと気付いています。ルカ・リオンテールが、家の秘密を守るために、あなたを葬り去ったのでしょう」
リオンは何も答えない。
「ですがそれでも、私はあなたを、父として慕っておりました。今なお父として尊敬し、愛しております。それだけを、お伝えしたかったのです」
一体、ボタンはどこでかけ違えてしまったのだろう。もつれた糸の始まりをどこに見つければいい。
思い出すのは、初めてイリスを見た日のことだ。
なんと可憐で美しく、そうして強い目をしている少女なのだろうと思った。彼女が生涯を共に歩んでくれるのならば、オーランドの空虚な胸の穴も、きっと塞がるだろうと。
だが、求めれば求めるほどに、彼女は遠ざかる。彼女を、どう側に留めておけばよいのか、オーランドには、何も分からなかった。
やがて、その報せが、届いた。
「……陛下。ディミトリオスが、城までやってきました」
「ああ、分かった」
オーランドは、剣を握りしめた。
(……あの時、ディミトリオスは降伏を選んだ。生き延び、私に歯向かう道を選び取ったのだ)
運命とは、正しい者に正しい選択をさせるものかもしれない。生き延びた小さなかがり火は、大火となって押し寄せた。
(降伏か、死か。選ぶしかないのは、今にあっては私の方か)
静まり返った城内の廊下を、死地へと向かい進む最中、サーリがオーランドに縋り付く。母はひどい有様だ。髪を振り乱し、人目も憚らず泣いている。
「行ってはなりません、オーランド……! 殺されてしまいます!」
オーランドは、静かに呟いた。
「母上、せめて最後くらい、笑顔で見送ってください」
「行ってはだめです、どうか――。愛しているのよ、オーランド……」
愛こそが、オーランドの足を向かわせる。
愛こそが、オーランドを縛り付ける。
愛こそが、オーランドを苦しめた。
縋る母の手を取ると、微笑みかけた。
「母上、行ってまいります。あなたの愛した息子の生が、間違っていなかったと証明するために」




