あなたのためなら喜んで
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ヘル総督タイラー・ガンの華麗なる裏切りを皮切りに、決着はついた。
クロードはディマの魔力を借りて、巨大な攻撃魔法陣を出現させ、他の誰も真似できないほどの正確さで、皇帝側の軍を崩していく。崩した先にこちら側の兵は攻め込み、将軍を捕虜として捕らえるに至り、勝利した。
争乱が終わり、戦死者が確認される。
最も丁重に扱われたのは、ミア・クリステルの遺体だった。
砦に運び込まれたミアの体には首が無く、またどこを探しても、彼女の顔は見つけられなかった。彼女の首から上には白い布が被せられ、長女レジーナが、その上からさらに、レースの肩掛けをかけていた。
彼女の頬には泣いた形跡があったけれど、母親を前にして浮かんでいたのは優しい笑みだ。
「お母様のお気に入りの肩掛けよ。お城を買えるくらいの値段を出して作らせたんだから」
「彼女はいつも、わたしを導いてくれた人でした。とても温かくて、強くて……」
嗚咽が漏れて、その先を言えなかった。
気丈なレジーナの隣でわたしが泣いてはいけないとそう思ったけれど、耐え切るにはあまりにも、ミア・クリステルという存在は、わたしの中で鮮烈で、強烈すぎてしまった。
復讐心と野望を抱きながらも、一方で、大いなる愛でわたし達を叱咤激励し、支えてくれた人だった。
「お母様のために泣いてくれてありがとう、イリス」
次女のシンディが、わたしの肩を抱きしめた。
「ディミトリオスとイリスのことを、お母様は本当に可愛く思っていたわ。常に今を鮮やかに生きる人だった。あなた達に出会ってからのお母様は、とても楽しそうだったわ。彼女はいつだって後悔しないように生きていた。死だってそうに決まっている。お母様らしい最期だわ」
彼女の体も震えていて、だからわたしも、彼女を抱きしめた。
「お父様は今も牢を生き延びています。お母様のいないクリステル家を再興するために、わたし達も母のように強くありたいと思います」
そう言ったのは、三女のパトリシアだった。十歳の彼女も、母親の遺体から目をそらすこと無く、わたしに言う。
「わたし達の反乱の先に、こういうことがあると、覚悟の上でした。わたしは母を誇りに思います」
ミアの美しい娘たちは、その内面さえも強く輝く。
レジーナは、わたしをシンディとパトリシアごと抱きしめた。
「止まってはだめよ、イリス。オーランドを打ち砕かなくては、わたし達に未来はない」
心が、さっと凍りついたように感じた。
オーランドを打ち砕く――それは、彼の命を奪うということだ。
だけど、後戻りなんて、するつもりはない。
もたもたしている時間はなかった。
兵らの大群はそのまま帝都へ――オーランドのいる城へと進軍する。既に街は見えていた。
わたしはディマとともに馬を並べ進む。
「相手は逃げるつもりかもしれないな。友好国へ逃れたら、手出しは途端難しくなるぞ。……だが逃げた方が、国民の心はオーランドから離れることにはなるだろうが」
側にいたお父様がそう言った。彼もまたこの戦場で、自ら前線に立ち、兵らを鼓舞し、戦っていた。今はわたしやディマを守るために、側にいてくれた。
オーランドのことを思った。
彼はわたしに猫のぬいぐるみをくれたことがあった。上等なミーシャ。
あのぬいぐるみは、今もわたしの部屋に置いてあるだろうか。
彼の不器用さを思うと、憎むことはどうしてもできない。心のどこかでは、わたしは彼に友愛を今も、感じていた。
「わたし、オーランド様を殺したくない」
ディマはクロードと熱心に会話を交わしていたから、こちらの会話を聞いてはいない。
誰にも聞こえないことをいいことに、お父様の優しさに甘えて、ぼそりとわたしは本心を呟いた。
こんなこと、他の人の前では絶対に言えない。お父様の瞳に陰が差す。
「王が代替わりする際は、必ず死んでからだと歴史も証明している。だが――俺も、彼を殺すことを望んでいるわけじゃないよ。それでも、どちらかを生かさねばならないとしたら、俺はディミトリオスを選ぶ」
お父様の手綱は、固く握りしめられている。選び取り、勝ち取るためには、命を懸けて戦うしかない。
ミアは新しい国のために。
エルアリンドは自分の名誉と家族のために。
ファブリシオは、二度と国民の血を流さないために。
幸福なローザリアを叶えるために。皆、信じた道のために死んだ。
皆で笑って生きていくことは、本当にできなかったのかしら。
これがローザリアの限界なんだ。どうやって変えていけばいい?
そう考えていた時だ。列の左方から、馬が駆けてくるのが見えた。
「ディミトリオス君! イリス様!」
破顔しながらわたし達の名を呼んだのは、今回の戦闘を勝利へ導いた、ヘル総督タイラー・ガンだ。彼は体中で喜びを表現するかのように、こちらに来るなり、馬に乗ったままディマを抱きしめた。
「君はいつか、とんでもない傑物になると思っていたよ、ディミトリオス君! ――いいえ、もうそう呼んでもいけませんね、皇帝陛下」
ディマも彼に会えて嬉しそうだ。にこやかに接する。
「いつも通りの呼び方で構いません総督。あなたが来てくださって良かった」
タイラーは頭をかいた。
「裏切りというものはどうも性に合わないけれどね。君とイリス様のためになら、私はどんな泥でも被るよ。――ヴァリ聖密卿、あなたはやはり流石ですね。あの魔法陣は、何度見ても壮観です」
クロードも親しげに笑い返す。
「いいえ、人をまとめ導くという点において、あなたには遠く及びませんよ、ガン総督。私は集団行動が苦手な質なので」
年の近い彼らは、並ぶとただの友人同士のようだ。
それからタイラーは、少し後方にいたわたしとお父様に馬を近づける。
「アレンさん。生きていたと聞いた時は、飛び上がるほど喜びましたよ。またお会いできたことを聖女シューメルナ様に感謝します」
植民地で勃発した争乱で、お父様が死を偽り本土に帰国するまで、二人は一緒に戦ったのだ。お父様も目尻に皺を寄せて答えた。
「ガン総督、あなたほど素晴らしい領主はいないでしょう。ヘルの未来は明るい。また戦えたことを、俺も嬉しく思います」
タイラーはお父様と固い握手を交わし、その後わたしを見た。
「イリス様……イリス様――」
見る間に彼の目は涙に染まる。わたしの名を呼んだ直後、彼は馬を降り、地面に膝をついた。慌ててわたしも馬を降りる。けれど彼は頭を上げないどころか、嗚咽混じりにこう言った。
「イリス様……! あなたに危機が迫った時に、すぐに側に駆けつけられずに、本当に申し訳ありません! ですがこれからは、共に参ります。引き連れてきたヘル住民達も、あなたのためなら喜んで死にます! あなたに我々の命を、捧げさせてください……!」
タイラーを責めるつもりはなかった。本土へ来るなと言ったのは、むしろこちらの方なのだから。
胸に広がる困惑があった。聖女の信仰は、わたしが思うより遥かに重く、この世界の人の心の支えになっていて、まだ、全部を理解はできない。
誰も彼も、聖女のために命を捨てる。こんなこと、あっていいはずがないのに。
顔を上げない彼の肩に触れながら、わたしは言った。
「わたしのために、誰かが死ぬことは決して望みません。死ぬなんて簡単に言わないでください。わたしのために死ぬ覚悟があるのなら、どうかわたしのために生きてください」
はい、はい、とタイラーは何度も頷いた。
タイラーが再び自らの隊に戻ったところで、クロードがわたしに微笑んだ。
「彼らは、簡単に言っているわけではないんだよ。皆、イリスを愛している。愛する人のために、せめて何かを差し出したいだけだ」
わたしのために死ぬと言ったタイラーに、返した言葉についてだと気がついた。




