斜陽
ディミトリオス・テミス
帝都近くに、何百年も前に役割を終えた古い砦があった。
ディマ達は、そこを拠点とし、出陣した。
目の前には、帝国軍が押し寄せている。
大雨が降っていた。
昼だというのに、夜のように暗かった。
視界は、かなり悪かった。
既に戦闘が、開始されていた。
ディマは本陣をミアに任せ、自ら兵士を率いていた。
時折、後方に目を向けた。
戦闘の中、皆の希望になるように、ローザリアの旗を持ち、それを大きく振りながらイリスは皆を鼓舞している。カイルの護衛を付け、彼女が戦場に出ることを許した。
それだけ彼女が、皆に求められているということだった。
帝国兵も、ここを破られたら後がないと理解しているようで、全く引かない。加えて準備も怠らなかったようだ。大量の投石機も導入されていて、それがかなりの被害を出していた。
フォルセティ家の領地でディマが使ったように、兵士を背後に送り込むという奇策は、相手の防御魔法が結界のように張り巡らされ、通用しない。アリアの魔法で防御と強化をされた兵士は手強い。
前線は、徐々に徐々に、砦まで押し下げられていた。
戦場は混乱を極めていた。誰が討ち取られただの、誰を討ち取っただの、情報がまたたく間に更新されていく。
降りしきる雨の中、その兵士がディマの前に、大慌てでやってきた。
「陛下! アリア・ルトゥムが現れました! 砦の右です! 兵士を引きつれています!」
こちらの防衛魔法が、そこまで破られたということだ。ミアのいる砦の中まで入るのも、時間の問題だろう。
「イリスには知らせていないだろうな!」
「誰も知らせておりませんが、察知して既に向かわれました!」
なんたることだ。後方の旗手の姿は、確かにない。魔法が使えないイリスだが、彼女等の不可解な繋がりの中で、気配を気取ったということだろうか。
ディマはアリアの気配を探り、馬を走らせる。だがその必要などないほどに、アリアのいる場所はすぐに分かった。
閃光、悲鳴、爆散――それが数度、繰り返されている一端があった。
味方側が見る間に崩れていく。指揮を摂るのは、ミアだった。本陣から移動したらしい。
「イリス、ディミトリオス――来たのですね……」
ディマのすぐ背後に、イリスが来ていた。
「ディマ、アリアを止めなくちゃ」
ミアは再び、アリアがいるであろう戦乱の中心に目を向けた。
「あれには勝てません。わたくし、そう感じ取ってしまいました。イリス、魔力は戻っていませんね?」
問いかけられたイリスがはっきりと答える。
「はい。前とは違うみたいです」
そう、とミアは言った。
「では二人共、お逃げなさい。帝都に向かい、オーランドを始末しなさい。二人くらいならば、この戦場から脱出できます。ディミトリオス、あなたは魔法の達人ですもの」
しかしディマは従うつもりなどなかった。
「僕は逃げない。愚鈍だと言われようが、あなたと共に戦います」
ミアの目が、優しく細まる。
「逃げるのではありませんよ。未来のための、最良の選択です」
「フォーマルハウト家の血を引くのは、僕だけじゃない。あなたの娘たちだって、女王になれる。僕じゃなくてもいい」
覚悟はすでに決めていた。ミアだけを残して逃げることなど、それこそ体に流れる血が許さない。あるいは、自らの理想とする王が、そんなことを許さない。
「イリスだけ、逃げればいい」
ディマはそう言うと、イリスに向かい魔法を放った。彼女の後方に空間ができる。繋いだ先は、まだ襲われていない砦の中だ。
「ディマ!」
イリスは、ディマが何をしようとしているのか悟ったらしい。目を丸くして、必死の表情で叫んだ。
「嫌だ! ディマと一緒がいい!」
「ルシオを探せ! 彼と帝都に入るんだ!」
喚く彼女の体を、魔法陣が紡ぐ輪の中へと押し込み、空間を閉じた。ミアは、息をふうと吐く。
「ディミトリオス、そう言えば、まだでしたわね。もう一つの命令よ。ローザリアの発展を誓いなさい。百年、一千年など生ぬるいことを言わないで、永遠にこの国が続くように。わたくし、この国を愛しているの。
それから、わたくしの娘たちの生活が困窮しないように、面倒を見なさい。
そうね、後はイリスを幸せにしてやりなさい。あの子は一生懸命生きすぎていて、見ているこちらが心配になるわ。
後は、後は――わたくしがアリアお嬢さんの気を引きます。おそらく彼女は、わたくしやあなたの首を獲るように命令を受けているはず。動けば、追ってくる。生きている方が討ち取りましょう。わたくしが前から、あなたが後ろからよ」
命令は一つどころではなかったが、ディマは素直に頷いた。
「はい、分かりました――叔母上」
「いい子ね。セオドアの血を引いているとは思えない。あなたは本当に、いい子だわ。お母様の血なのかしら」
ミアは笑う。
「カミラ・ネストを、悪く言う人もいますけれど、わたくし、彼女が大好きでしたのよ。世界がおかしくならなければ、わたくしとあなたは、普通の叔母と甥として、家族で交流が出来たかもしれないわね」
「僕が僕であれたのは、テミス家で育ったからです。他の理由はありません」
ますます、ミアは可笑しそうに声を上げて笑い、ディマの頭をくしゃりと撫でた。
「さようなら可愛い甥っ子。どうか、ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で――」
それが彼女とディマが交わした、最後の会話になった。
ミアは馬を蹴ると、カイル等、部下を引きつれアリアに特攻する。
ディマはその隙に、アリアの後方へと回り込む――。だが、あまりにもあっけなく、その作戦は終了した。
一瞬の間に、ミアの頭は胴体から切り離されたのだ。主の支配を失った馬が、それでも走り続け、ミアの体を揺さぶった。
「作戦があったのかしら? このわたしには通用しないわ!」
雨の合間を縫うように、アリアの高笑いが聞こえた次の瞬間、ディマの体は自由を失う。魔法で体を押さえつけられていた。
雨に濡れる髪をかきあげる彼女は、絵画にできそうなほど様になっている。
「あなたをどういたぶって殺すか、ずっと考えていたのよ。イリスも一緒に捕まえて、彼女の目の前で首を切るのが一番いいかと思うのだけど、どうかしら?」
歌うように軽やかな口調だ。
馬上で動けないディマに向かい、アリアはゆっくりと近づいてくる。自由の許された口を使い、ディマは反抗した。
「口から血が出ていますよ、聖女様。お体の具合でも悪いのでは?」
身に覚えでもあったのか、アリアは口を拭うが、それはディマの嘘だった。彼女が目を離した一瞬の隙に、義手に魔力を込め動かし、彼女に向かい攻撃魔法を放った。
仕込んでいた渾身の魔術だったが、彼女の横顔をかすめ、頬から血を流させただけだ。致命傷には到底及ばない。
「これで最後ね? さあ、地獄へ送ってやるわ!」
アリアが魔法を放った時だ。小さな影が、目の前に躍り出た。
「ディミトリオス様!」
それがライラ・ルトゥムだということに気が付いたのは、彼女が血を流し、濡れた地面に倒れてからだった。
「……ライラ?」
アリアが、呆然と妹を見つめている。
ディマは、自分の体の自由が戻ったことを知った。急ぎ馬を降り、ライラを確認する。
息はある。
魔法は彼女の体に当たったが、直撃ではなかったようだ。ライラの体に弾かれた攻撃魔法は、空の彼方に飛んでいき、分厚い雲を切り裂いた。
「うそ……」
「言ってる場合か! お前の妹だろう、息はある、さっさと治癒魔法をかけろ!」
そう叫びながら、ディマはライラの治療を始めた。ライラの首には、守護魔法が含有された魔法陣が刻み込まれた首飾りが下げられている。これが致命傷を避けたらしい。首飾りは真っ二つに割れていた。
アリアは、引きつったような笑みを浮かべた。
「あなたさえ、あなたさえいなければ! あんたもわたしに下っていれば、こんなことにはならなかった!」
アリアの魔力なら、ライラを治すことができる。しかしアリアが優先させたのは、ディマへの攻撃だ。
鋭い閃光が瞬き、ディマは死を覚悟し――しかし目だけは閉じてなるものかと、その攻撃を見続けた刹那、唐突に光は消えた。
目が、ようやく光から戻った後、ディマは、アリアの体に深々と刃が突き刺さっている光景を目の当たりにした。
彼女の背後には、クロード・ヴァリがいて、しっかりと剣の柄を握っている。
アリアの瞳が、驚愕に見開かれ、そうして次には、ひどく納得したような面持ちになる。
彼女の声が、ディマにはっきりと聞こえてきた。
「……やっぱりあなたは、イリスを愛しているのね」
クロードの返答もまた、聞こえていた。
「ああ、誰よりも深くね」
意識を失い、力の抜けたアリアの体を、クロードは受け止めた。兵士の中から、困惑した声が飛ぶ。
「聖密卿、血迷ったのですか!」
クロードは兵らに、冷めた視線を向けた。
「私から言わせれば、血迷っているのは、ずっとそちらの方だが。さあ、それであなた方は、アリア・ルトゥムなしで勝負をするのか?」
脅しとばかりに、クロードは魔法陣を出現させてみせた。
おそらく兵士の中にも彼に敵う魔法を作れる者はいないだろうと思われるほどの強い魔力を帯びた攻撃魔法だ。慄いた様子の兵士たちは、退却していく。
腕の中のライラを治療しながら、ディマはクロードに問いかけた。
「彼女、死んだのですか」
ぐったりと目を閉じているアリアの胸には、未だ刃が突き刺さる。
「命はある。動きを止めているだけだ。これで貫かれている限り、彼女は魔法が使えない。真の聖女であるならば、あれで動きを止めることなどできないが、後天的に作られた聖女の魔力を体に入れた者ならば、剣は毒となる。
妹を攻撃した彼女が、真っ先にその妹を治療するのなら、まだ情状酌量の余地はあったが、彼女は君への攻撃を優先した。それこそが本心だったのだろう」
ディマは赤い血にまみれたその剣が、透き通っていることに気が付いた。
「材質は、エンデ国の水晶ですか」
「勘がいいね」
「……誰だって分かりますよ」
分かったのは、それだけではない。顔色が良くなりつつあるライラを見てから、ディマは言った。
「この子を連れてきたのは――……」
だが、その先の言葉を、ディマは飲み込んだ。ライラを抱えたまま、クロードの側に寄る。
「司祭は政治不介入かと思っていました。先生は、なぜ味方してくれるんです」
小さく、クロードは笑った。
「イリスに、約束したからね――」
味方でいると、彼は彼女と約束した。はるか昔の話だ。先程の、彼とアリアの会話を思い出す。疑問は、そればかりではなかった。
「先生に、聞きたいことがたくさんあるんです」
クロードは、チラリと横目でディマを見た。
「だろうね。だが、後だ」
いつの間にか雨は上がり、斜陽が戦場を赤く染め上げた。
遠くを見るように目を細めながら、クロードは言う。
「オーランド側の援軍が到着したようだ。圧倒的な数だよ」
「大丈夫ですよ先生。ヘルのことを言っているのなら、タイラー・ガンは初めから僕等の味方です。援軍は、僕等のために来たんです」
初めて、驚いたように彼はディマを直視した。それからわずかに愉快そうに目を光らせる。
「君は、はかりごとが上手くなったな」
「先生ほどではありません」
静かに、ディマは答えた。




