悲しみの理由
時折、ディマが隠れて一人で泣いている姿を見ることがあった。
それがどんな寂しさに起因するものか、彼は決して言わなかったけれど、彼自身の母を思って泣いているのだということは、流石のわたしにも分かっていた。だけど我が家では、彼の元々の家族の話は一切してはいけない。使用人に聞かれ、別の場所で語られ、噂になるのを両親が恐れているからだ。
それほど厳格に守られているディマの家族のことを、わたしが軽い気持ちで探れるわけもない。もしかしたら本当にアレンの子供なのかもしれないし、森で拾ったのかもしれない。彼がどこからやって来たのかを、未だにわたしは知らなかった。
初めは泣く彼を放っておくのが優しさだと思っていたし、事実数回は気付かないフリをした。だけど限界というものがある。
行動範囲が被るから、嫌でも悲痛なすすり泣きが聞こえてきていた。
子供って普通、大声で泣くものだと思う。だけど彼は違う。
庭の木の陰や図書室の暗がりで、服の袖に口を押し当て、声を出さないようにして、一人静かに泣いている。誰にも気付かれないように、悲しみさえも押し殺すように。それで大人の前では明るいいい子のディマだった。……そんな健気な姿を見て、放っておける人がいるの? わたしはいないと思う。
だから、彼が泣いているとき、側に座って手を握り、背中をさすり、話しかけた。
そんな風にしていると、彼はやがて泣き止んだ。
それは彼と、そうして過ごした何回目かのことだったと思う。
青空の下、そよ風の吹く庭で、木の下に二人して座っていたとき、耐えきれずに言ってしまった。
「ディマ、我慢しなくていいんだと思う。あなたの本当のお母さまのこと、恋しいなら恋しいって、言ってもいいんだよ。会いたいなら、会いたいって、言っていいの。お父さまもお母さまも、それであなたを悪く思うことなんて、絶対にないもの」
我ながら、年下の子に諭すような口調だ。
悲しみの理由を、真正面から切り出したのは初めてのことだ。どんな反応が返ってくるか、正直怖かったけど、彼はゆっくり首を横に振っただけだった。
「ぼくの本当のお父さまとお母さまは、イリスの本当のお父さまとお母さまと一緒だから」
本心からそう思っているならいいけど、ディマは五歳にして、本音と建て前を使い分けるようになっていたから心配だった。心を隠していたら、いずれ自分でも本当の気持ちが分からなくなってしまう。
それに本心を言わずに育ち、皇帝になりたいだなんて野望を抱いてしまったら大変だ、という打算もあった。
「寂しかったら、なんでも話して欲しいの。それがどんなことだって、わたしはディマを嫌いになったりしないもん。わたし、頼りないかもしれないけど、あなたの力になりたいの」
だけどディマはどこまでも偉かった。
「この家が、ぼくの家なんだ。この家族が、ぼくの家族なんだ。今は、そうなんだ」
それから、まるで決意を固めるように、彼の両手が握りしめられたのが見えた。
「……テミス家のお父さまとお母さまが、ぼくを本当の子供としてくれるから、ぼくも、そう思うようになりたい。だから、前の家のことは、言わない方がいい。……だけど」
彼の目から、再び涙がこぼれ落ちる。
「ぼくの――本当の――ぼくを生んだお母さま、死んじゃったから、もう会えない。
だけど、会いたいよ。会いたい……。寂しい。たまらなく寂しい。いつだって会いたい。恋しくてたまらない。抱きしめて、ぼくの名前を呼んでほしい。頭をなでてほしい、笑ってほしい、ただ側に、いてほしい。
ぼくがいなければ、お母さまは死ななかった。お母さまはぼくが嫌いだったのに、ぼくはずっとお母さまが好きなままだ。優しくしてくれるこの家族がいるのに、いまだってずっとお母さまだけがぼくのお母さまだ。そう思う自分が、すごく、きらいなんだ――」
言葉が止まらないようだった。どんな世界でも、喪失の悲しみは同じだ。
彼の心の中にある悲しみの深さは途方もなくて、わたし一人が何をしても無駄なのかもしれない。
「大丈夫、大丈夫、イリスが側にいるから。ずっと側にいるから。大丈夫よ、ディマ」
もっとまともな慰めが言えたらいいのに。彼の母にはなれないけど、代わりに名前を呼んで、震える小さな体を抱きしめた。
柔らかい風が木々の葉を揺らし、ディマのすすり泣く声を優しく覆い隠している。青空に白い雲が浮かび、家の庭の外には緑が広がる。こんなにも平和な光景の中でも、彼の心から、闇が晴れることはない。
そのままわたしたちは、彼が泣き止むまで、長い時間そうしていた。
わたしが彼を大切に思えたのは、だからかもしれない。
別に博愛の精神があるわけじゃないもの。冷徹で傲慢なだけの、弱さのないディミトリオスだったら、わたしは決して愛せなかった。




