ただ一緒にいるだけ
私――アイシア・レイフォルトはいわゆる『政略結婚』をした。
両親の決めた婚約相手と、特別に仲を深めるわけでもなく、大きな問題もなくて、段取り通り、だ。
お相手の名前はルード・アレクティオ。レイフォルト家もアレクティオ家はいずれも公爵家であり、二つの家に繋がりができることは、特に両親達にとっては大きなものがあった。
国内での立場を盤石にできる――そこに、私の意思は必要ない、というわけだ。
もちろん、私だって明確に拒否したわけではないし、できる立場にあるとも思っていない。
公爵家の娘として生まれた以上、それらしい振る舞いをして、それらしい人生を歩む。
覚悟というほど強い言葉ではないけれど、私だって浅はかな考えを持とうとは思っていない。ただ、
「今日は帰りが遅くなる。待っている必要はない」
「はい、分かりました」
こうして朝食を一緒に食べている時も、これといった会話はない。
ルードは決して、悪い人ではないのだろう。整った顔立ちをした美形で、外ではやはり人気がある。
誰もが羨む結婚相手なのだろうけれど、現実は『これ』だ。
お互いに愛し合っていないままに結婚すれば、一緒にいたとして仲が深まるとは限らない。
もちろん、私だって彼と仲を深めようとしなかったわけじゃない。
積極的に関わりを持とうとしたけれど、ルードはいわゆる話をするのが好きなタイプではないらしく、『ああ』とか『そうか』とか、そんな適当な相槌が返ってくるだけで終わってしまう。
彼から話しかけてくることもほとんどなく、いつしか私とルードは『ただ一緒にいるだけ』の関係になってしまっていた。
もちろん、これがお互いに別れる理由にはならないし、この結婚は一個人の感情だけでどうにかできるものではない。
それに、意外といいことだってある。
ルードは私のすることに口出しはしないので、屋敷の中は自由にできた。
庭で花を育てることだってできるし、知り合いを呼んでお茶会をしたっていい。
好きなことを好きなように――こういう生活が好きな人なら、本当にこれでいいのだと思う。でも、本当にこの生活に満足しているのだろうか。
「……だからって、人の部屋に入るのはよくないわよね」
そう言いながら、私はルードの書斎に足を踏み入れていた。
別に入ることを禁止されているわけではないし、彼も何かを隠している、ということはない。
一緒にいるのにほとんど知らない彼の趣味でも分かればいいのだけれど――そう思って来ただけだ。
曰く、『本を読む』とは言っていたが、それほど冊数が多いわけでもない。
騎士として働くルードは休日も多くはないし、屋敷にいても稽古をしている姿が目立つくらいだ。
何となく、その時は近づいてはいけない雰囲気を感じている。
「……別に、目新しいものもないわよね」
何度か書斎を訪れたことはあるし、これといった物はなかった。
勝手に引き出しを開けることはしないし、よく整理整頓された部屋でゆっくりしているだけ。そろそろ部屋を出よう――そう思った時、外で声がした。
「アイシアはどこに?」
「先ほどルード様のお部屋に向かわれたようですが」
廊下の方から声が聞こえてきた。
ルードと使用人の声――遅くなると聞いていたが、どうやら早く帰ってきたらしい。
普通に出迎えればよかったものの、いざルードの部屋に一人でいる姿を見られるのはなんだか嫌で、私は咄嗟に身を隠すことにした。
部屋の扉が開かれると、
「……誰もいないようだが」
そんなルードの声が聞こえてくる。
「おや……どうやらすでに部屋を出られたようです。何か御入用が?」
「いや、いないのならいい。彼女の好きにさせよう。俺は少し部屋で休む」
「かしこまりました」
扉は閉じられ、私とルードは部屋で二人きりになった。この部屋の中で唯一隠れられる場所と言えばクローゼットくらいで、今はルードも私に気付いてはいない。……というか、隠れているところなんて見られるわけにもいかない。
どうして、こんなことをしてしまったのだろう、と後悔しているくらいだ。
隠れる必要なんてなかったのに、顔を合わせるのが気まずいと思ってしまった。――結婚して一緒に暮らしているはずなのに、そんな考えばかり持ってしまうのだ。
今更、仲を深めるなんてことはできないだろうけど、どうしたら――
「もっと、素直になれるだろうか」
「……え?」
思わず声を漏らしてしまい、慌てて私は口に手を当てる。
最初の言葉は、私の口から出たものではない。
クローゼットの隙間から見ると、憂いを帯びたルードの姿があった。
「俺は口下手だから、君がいないところでしか話せない……。本当は、もっと君と話したいのだが」
――何を言っているのだろう。誰かそこにいるのかと思ったが、当然のようにいるのはルードだけ。
独り言を話しているようで、思わず私は眉を顰めて彼を見る。
「よく手入れされた庭園だ――いや、こんな上辺だけの言葉でいいのか。もっと何か……」
しばらく聞いていると、どうやらルードは私にかける言葉を探しているらしい。それも、かなり真剣に。
『口下手』と彼は言っていたが、まさにその通りなのだろう。
思った通りに口にしてくれたらそれでいいのに、ルードはどうやら、私の前だと緊張して言葉が出ないようだった。
それは、クールで口数の少ないという彼の印象を一気に壊すもので、思わず笑ってしまいそうになる。
私は彼と仲を深めることを諦めかけていたのに、彼は今も必死になっていた。……というか、お互いにそうしようとしていたのに、今までできていなかったのはおかしな話だ。
ここでクローゼットから飛び出せば、私とルードの関係は一気に進展するのかもしれない――そんな考えが過ぎったが、私は何故か今の努力するルードの姿が好きになってしまっていた。
なら、私のすることは決まっている。
――それからしばらくして、ルードが部屋を出た後に、私も部屋から抜け出す。
そのまま屋敷の裏の方から庭園へと回ると、ルードは私を捜しに来たようですぐに姿を現した。
「ここにいたのか」
「はい」
澄まし顔を見せるルードだが、先ほど私にかける言葉を探していた時の表情を思い出し、思わず噴き出してしまいそうになる。
けれど、ここは我慢しなければならない。
ルードは庭園の方を見るが、これといって言葉は出てこない。
だから、もう一度――私から歩み寄ってみる。
「どうですか、私が庭園の手入れをしているのですが」
「ああ」
「……」
「……」
「あの」
「もう一声、ありませんか?」
私が問いかけると、ルードは少し驚いたような表情を見せる。
だが、すぐにいつもの表情に戻ると――
「綺麗だ」
一言だけだが、初めてもらった言葉で嬉しかった。
ただ、喜ぶ姿を見せるにはまだ早い、と私は取り繕う。
「ありがとうございます」
「君も綺麗だ」
「…………え?」
「……いや、何でもない。俺は書斎に戻る」
「は、はい」
踵を返して戻っていくルードの姿を見送りながら、私は体温がすごく上昇していくような感覚に襲われていた。
これからまた、少しずつ――そう思っていたのに、いきなりそんな言葉をかけられるなんて、思ってもいなかった。
聞こえないふりをしてしまったけれど、たぶん正解だったのだと思う。
それから夕食の時はいつもと同じで、会話はそれほどなかった。
けれど、『ただ一緒にいるだけ』だった以前とは違って、ただ一緒にいるだけいい、と思えるようになっていた。
サクッと読めるお話が書きたかったので書きました。