避けられぬ道
息子が誕生してもうじき一年が経とうとしていた。
出産後すぐに兄貴の存在を彼女に話したのだが、初めは理解できず約束が守れなかったり連絡がつかないことによく怒っていた。だが、だんだんと理解せざるをえなくなったようで、最近では
「しょうがない」と自分自身で気持ちの整理をつけているようだ。
息子が産まれてからやはり子育てが忙しく、僕にかまけている時間もぐっと減ってしまったようで僕自身寂しくもなったが、彼女にとっては悩んだり怒ったりする時間が減ってよかったのだと思う。
そんなある日、彼女は元々かなりの頭痛持ちで、妊娠するまで頭痛薬をしょっちゅう飲んでいたのだが、今までの頭痛とは明らかに違う痛みに寝込んでしまった。起き上がるのもかなり辛そうで食事もとれず、痛みがひどすぎて何度も何度ももどしてしまうほどだった。
出産後、脳外科で処方された偏頭痛の薬を飲んでみるも効かず、結局その痛みが完全に引くまでに三日ほどかかった。
その痛みは偏頭痛ではなく、彼女も“その時”が来たということなのだろう。
そう、力が使える段階にきたということ。ところが筋金入りの恐がりのため、痛みに耐えてでも霊の声が聞こえたり見えたりするのは嫌だと言い張った。まあ、僕は彼女がどれだけ恐がりなのかよく知っているし、今その力を受け入れますと言われても止めるだろう。絶対に耐えられるわけがない。
だが、拒否し続けることもそれはそれで過酷なことだ。今回彼女が経験した頭痛の痛みは増す一方だし、実際拒否し続けてあまりの痛みに泡を吹いて倒れた人も僕は知っている。
そこまでして耐え抜いてもただの時間稼ぎにしか過ぎず、結局は本人の意思とは関係なくいつかは受け入れなくてはならなくなってしまう。
「なんとかして!」と彼女は言うけれど、どれだけ調べてもその逃げ道は見つからない。少しでも長く拒否し続けるためには夜早く寝ることぐらいだ。
どれだけ遅くても十二時までに眠っていなくてはならない。
なぜなら彼女が恐がる霊は十一時半にこっちの世界に向かってくる。そして着くのは十二時だ。そのため十二時を過ぎても起きていると声が聞こえてくるのだ。
今の段階で聞こえることはまずないが、その声は頭に反射する。そして、わかりやすく言えば第六感が少しづつ少しづつ開いていき、はっきりとその声が聞こえるようになっていく。そして声の反射によって開く段階で頭痛が起こるというわけだ。
僕はそのことを彼女に説明して早く寝るよう促したのだが、彼女はなかなか寝ようとはしなかった。
なぜならイマイチ現実的に捉えることができていなかったから。「まさか私が」といった感じだろうか。早く寝ることによって頭痛も起こりにくくなると何度言ってもあまり変わらず、頭痛が起こるたびに相変わらず鎮痛剤を飲み「痛い痛い」と寝込んでいた。
また、僕が痛がる彼女がかわいそうでその痛みを自分の頭に少し移してやったりしていたため、今思えば余計に早く寝る努力をしなかったのかもしれない。
そしてそんな娘の様子を見た義母は僕を責めるときもあった。
「こんなに痛がらせて一体何がしたいのか」と・・・。
こういうことにはもう慣れてはいるが、やはり理解されないのは辛い。悩みを解決したことがあってもこう言われてしまうのだ。
あれは彼女の実家に出入りし始めた頃で、僕は義母にある相談を受けた。
何年か前からひどい目眩がありよく寝込むのだが詳しい原因がわからない。なんとかならないかと。
この頃義母は僕のことを“霊媒師のような人”と思っていたようで、わりと受け入れている様子だった。そして僕自身もやはりどこかで信じてほしい気持ちもあって原因を探ることにした。
まず義母にネックレスを渡し、片時も外さず常に肌に触れている状態にさせた。そして五日ほど経ち、そのネックレスを渡してもらうと以外なことがわかった。
義母にはかなり手強いものが憑いていた。いや、正しくは憑けられていた。
普通人間に憑く霊は見れば憑いていることがわかる。しかし義母を見ても何も見えなかった。つまり憑いていること自体隠すことができる力の強い奴だということだ。
しかも日常生活の中で憑いてしまったのではなく、義母の知人の誰かが悪霊を扱うことのできる何者かに依頼し、故意に憑けられたものだった。
実際に日本各地にもそういった悪霊を使って呪いをかけたりする商売をしている輩はそこそこいるのだが、今回仕事をしてきた奴はかなりタチが悪いようで、取り去るには少々手こずりそうだった。
だが、そもそもなぜ義母はそんなことをされてしまったのか。
その知人の本当の目的は義母ではなく自分の元亭主を呪い殺すことだった。しかし、本当に呪いが効くのか半信半疑だったため、義母を使って効果を試したというわけだった。そして十分な効果が実証されたところで元亭主にも同様のことをしたのだ。
義母は長年専業主婦をしているため、交際範囲は限りなく狭い。となれば誰がやったのか安易に想像できる。しかし、義母は追及する気はないと言った。それ以上にショックだったのだろう。これだから人間は信用できない。
それに義母はどちらかというと物事をストレートに言うタイプの人間で、それが癪にさわってしまい運悪く今回のようなことになってしまったのかもしれない。まあ、とにかく病院に何度通っても治るものでもないので、とにかく取り去ることにした。
“そいつ”を追い払うために準備する物は、人形、竹、真っ白な布、真っ白な皿、蝋燭、ライター、酒。準備はすべて整い平日の昼間に儀式を行うこととなった。
なぜ平日かというと義父がこういったことが嫌いな人で、自分のいないところでやってほしいと言ったためである。
いざ儀式を初めたところ、最初はそいつを引っ張り出して気配を感じられたのだが急に気配が消えてしまった。
何事かと思うと、まったく関係のない物が布の上に乗ってしまっていたため失敗してしまった。一度失敗すると非常に面倒で用意する物が変わってしまう。
竹が普通に売られている竹で済んだものを今度は某山に生えている竹を使わなくてはならなくなってしまった。だが、どんなに面倒であっても途中で投げ出すわけにはいかない。やむなく僕は一人で竹を取りに行った。その甲斐あってか次はしっかり追い払うことができ、その後義母の目眩はピタリと治まった。
と、こんなエピソードがあったのだが残念ながら絶対の信用は得られていない。
「このことは信じるけど、これは信じられない」
といったかんじで信じる信じないを行ったり来たりといったかんじだ。それに僕のことを知れば知るほど受け入れ難くなっているようだった。
そして何か言うと彼女が僕の味方をし庇うので、次第に「自分には頭が痛いと言わないでほしい」と言うようになった。聞いていて辛いからと。
それまでは頭痛がすると息子の面倒を母親に頼っていた彼女だったが、それ以降は吐きながらでも自分で世話をするようになっていった。もちろん僕がいるときは僕が見たが、そういうときはほとんどなく彼女一人でがんばっていた。
そんな生活が約一年半続き、日に日に彼女の頭痛の頻度は増して行った。
ほぼ毎日鎮痛剤を飲み、一日に二度三度と飲む日もあった。よくここまで耐えているなと関心するほどだ。だが、彼女が恐れていたことがついに起こり始めてしまった。
あれはほんのささいなことで深夜に言い争いになったときのことだった。突如彼女が黙り
「何今の?」と言った。
正直僕は驚いた。確かに彼女には霊の声が聞こえていた。
僕たちの間に隠し事はない約束のため僕は正直に答えた。すると予想通りのリアクションで「恐い恐い」と言い続け喧嘩どころではなくなってしまった。
恐がると神経が過敏になり余計に聞こえるから恐がるなと言っても全然だめで、トイレにすら一人で行くことができなくなってしまった。
そしてそれからの毎日は夜十時半ぐらいから寝るようになったのだが、「早く寝なきゃ早く寝なきゃ」と自分自身にプレッシャーをかけてしまい余計目が覚めてしまうという悪循環に陥っていた。
そうなると怒涛のメール、電話攻撃が始まる。
「早く帰ってきて」だの「たすけて」だの「何か聞こえるから追い払って」だの本当にすごかった。帰りたいのは山々だが兄貴と入れ代わらないかぎり帰れない。かわいそうだがどうしてあげることもできなかった。
だが、この頃の彼女はすっかり白い人間になっていて、その気になれば白の力を使うことも可能な状態にあった。何せ勘がかなり働いていて、兄貴から僕に入れ代わった直後によく電話がかかってくるようになっていた。
しかし本人にその自覚はないようで自分の持つ力の可能性を信じてはいなかった。白の力を磨けば磨くほど彼女を悩ませる頭痛も自ら治すこともできるし、子供が風邪を引いても治してやることができるようになる。なにより彼女の恐れる霊の存在も感じにくくなるのだが、相変わらずの「まさか私が」だ。
僕に任せれば大丈夫だと完全に頼りきっていて、こういうことは私の出番じゃないからといった感じだった。
だが一方で彼女は兄貴の妻のことを尊敬していて、本当は自分も白の力を使えるようになりたいと思っていた。しかし二十数年、何の力も持たない人間として生きてきた彼女にとってその考えを打ち砕くことは難しいことだった。
だが、そうなりたいと望むのであればいずれ受け入れることができるようになる時がくるだろう。まあ、今の彼女にとってはいかに頭の開きを抑えるのかが目下の課題のようだが・・・。




