過ち
その後しばらく入院生活が続いたのだが、毎日誰かしら見舞い客がやってきた。その中でも熱心に通い続ける一人の女がいた。兄貴の妻ではない。その女は“人形の僕”が作った彼女のようだ。
僕はその彼女のことをよくわからなかったが、とりあえずそのままつきあうことにした。
僕も兄貴と同じように力を持っているため、ある程度のことはできる。だからその彼女が一体どういう人間なのかがわかる。
彼女は普通の人間よりも白い人間だった。
すなわち普通の人間よりは信用できるということだ。初めは好きだという感情はなかったが、一緒に過ごす時間が長くなるほど次第に好きになりはじめていった。だが、僕も兄貴と同様に鬼の子であるため心は真っ黒だ。いくら彼女の事が好きであっても平気で浮気もしたし、嘘だって数えきれないほどついた。
そんなどうしようもない僕だったが、心のどこかでは救われたいと願っていた。正直いつまでこの身体にいれるのかもわからない。兄貴が戻れれば僕はまた身体から出されてしまうかもしれない。そこで僕は彼女に賭けてみることにした。
鬼の子供が天使の子供に救われたという話しを聞いたことがある。
天使の子供をいくら普通の人間が望んでも授かることはまず不可能なのだが、白に近い彼女なら産むことができる気がした。そんな望みを託して彼女のお腹に天使の子を宿してもらった。僕の正体はおろか、お腹の赤ん坊が普通の子ではないことも彼女は何ひとつ知らないまま。
僕はこのまま天使の赤ちゃんが無事産まれるまで普通の人間のフリをしていくつもりでいた。天使の子供さえこの世に出てきてくれさえすれば全てがクリアになると信じていた。それならば何も語らないほうがいい。なにより、僕の正体を知って彼女が離れていくのが恐かった。それほどまでに彼女に対する想いはでかくなっていた。
ところがそうもいかない問題が持ち上がった。妊娠となるとやはり結婚だ。しかし兄貴には妻も子供もいる。籍もそのままだ。魂は兄弟二つあっても身体はひとつ。すなわちこの世での身分もひとつしかないため、僕の妻と子供でなくても今の戸籍上僕は妻帯者となっている。
そこで僕は彼女と結婚するため兄貴の嫁に離婚するように頼みに行った。兄貴の嫁はそれをすんなりと受け入れた。実際兄貴がいつ戻れるのかは誰にもわからないし、離婚しても兄貴の帰りを待ち続けることはできる。だから何も言わなかったのだろう。とにかく、これで僕の思い通りに事が進むと思っていた。
そして、そろそろ籍を入れようとしていたところで思わぬことが発覚した。僕達は籍を入れることができなかったのだ。確実に兄貴の妻との離婚は成立している。しかし、それはあくまで日本での話である。本国での離婚はまだ成立していなかった。今すぐに本国の離婚の手続きをしたとしても、まずは夫婦揃って本国の裁判所に出廷しなければいけなかった。
大使館へ何度も足を運び、なんとかならないものかと掛け合ったが無理だった。いくら日本での離婚が成立しているからといって婚姻届を出したとしても、見つかれば重婚罪で捕まってしまう。かといって未入籍のままでは彼女も彼女の両親も納得するはずがない。完全に道は閉ざされてしまった。
いくら悩んだところで解決策は何ひとつ浮かばず、ただただ時間だけが過ぎていった。彼女に全て話すしかなかった。一番恐れていたこと。しかし、お腹の天使はもう五ヶ月。毎日のように彼女と彼女の両親から籍をいつ入れるのかと言われ、本当に限界だった。
彼女ならきっとわかってくれるはず。そう自分で自分の背中を押した・・・。
話し合いは大方の予想通り修羅場だった。彼女は泣きじゃくり、僕を力の限り責めたてた。彼女が一番許せなかったこと。それは普通の人間ではないことでもなく、今すぐに結婚できないことでもなく、ましてお腹の子供が普通の赤ちゃんではないことでもない。そのこと全てを今までずっと隠していたことだった。もっと早くに話していれば彼女は全てを受け入れたという。僕のことを本気で愛してくれていたがため、僕の“裏切り”を彼女は最後まで許してはくれなかった。
結果、彼女は僕の知らないうちに子供を堕ろし、僕の前から姿を消してしまった。
彼女を失くし、本気で彼女を愛していた自分に改めて気づかされた。それと同時に僕自身の詰めの甘さも痛感した。彼女に天使の子供を産むことは無理だったのだ。元から白い心の人間には産むことができなかったのだ。天使をお腹に宿したときからどういった形であれ、こうなることは決まっていたのだろう。ただ呼んで産めばいいと思っていたが、そんな簡単なことではなかった。僕のしたことは自分自身だけでなく、彼女や彼女の家族までも深く傷つける結果となってしまった・・・。