愛国者
晩ご飯は、家庭科室で食べる。そういう決まりになった。一人一品、自分の好きなものを作る。自炊の間に今日一日の出来事を話す。チェルシーはこれをカンファレンスと呼んだ。
アルコールランプに照らされたテーブルには、ロールキャベツと野菜炒めが置かれている。清潔な白いテーブルクロスのおかげか、学校にいることを一時忘れられる。
隣合ったチェルシーの指図でキリスト式のお祈りを捧げ、箸をつける。彼女は寂しいテーブルに不満そうだ。
「朱里、今日も来ないね」
一昨日のかき氷以来、顔を合わせていない。チェルシーも同じらしい。定時連絡は取り合っているので死んではいないようだ。
「僕のせいかもしれない。やりすぎたかも」
「気にすることないよ。あの子はいつも何かに怒ってる」
チェルシーは慣れた様子で炭酸水をコップに注いでいるが、
僕にも落ち度があると考えている。僕が知らない僕について、あいつは違和感というか、苛立っているんじゃないか。欠けた部分があるのは自覚している。今日もチェルシーが嫌いなピーマンを料理に使ってしまい、迷惑をかけている。
食が進まない。何気なしに窓を見た。白い影のようなものがゆらめいている。ぎくりとする。カーテンだとわかるまで時間がかかった。
「どうしたの? ハルヒコ」
「いや、窓が開いてると思って……」
閉めるために窓に近づいたら、カーテンから朱里が飛び出してきた。予想だにしない登場に驚き、後ずさる。
「あははは! ビビってる。ザッコ!」
けたたましい声で笑いながら朱里はテーブルの間を歩き、僕の料理に目を留めた。
「なんのひねりもない野菜炒め! どうせ先輩でしょ。平均的な脳みそを持つ先輩らしい没個性かつ、無趣向。味もふつう!」
文句をつけながら残っていたピーマンを口に放り込んだ。平均的な脳みそなら、誰が作っても同じということもないと思う。
「文句あるなら食べるなよ。何も作らなかったくせに」
「明日は私が作ってあげます。病みつきになって、もっと食べたいってねだるようになるでしょうね」
怪しい薬でも入れるつもりだろうか。こいつならやりかねない。
チェルシーが野菜炒めに手を伸ばした。腕で抱え込むみたいに朱里から守る。
「ハルヒコを独り占めしたらだめだよー、朱里」
「はいはい。チェルシーはほんと先輩が好きっすね。じゃあピーマンも食べるんすよ」
怖じ気づいたようにチェルシーは体を引っ込める。でも、ゆっくりではあるけれど、僕の料理を食べてくれた。無理強いはよくないが、苦手を克服する機会を朱里は与えたのだ。この二人、案外相性は悪くないのかもしれない。
感心したところで僕も席に戻ったが、ロールキャベツが一つ消えている。
「食べ残しかと思って食べちゃったす」
犯人の朱里が、ぺろりと唇を舐めた。
「お前! なんて意地汚いんだ。まだ何も食べてないのに」
さっきまで食欲はなかったが、言い争ううちにエネルギーを使い果たした。無性に腹を空かせて肩を落とす。
「もういいよ……、食堂でなんか食べてくる」
「あ、ついでに用事頼んでいいすか」
厚顔無恥な女を無視し、洗い物をしてから扉に向かう。朱里がつきまとってきて、背後にぴったりと身を寄せてきた。僕を嫌ってる癖に距離が近い。
「保健室に忘れ物しちゃったんすよ」
「だからなんだ」
「察しが悪いすね。恥ずかしいものに決まってるじゃないですか」
わざとらしい囁き声が勘に触る。でも立ち止まってしまった時点で僕の負けだ。背中に押し当てられた欲望の房にからめとられてしまったのだから。
「先輩にしか頼めないんす。おねがーい。あ、野菜炒めおいしかったです」
「ついでに言うな。食事しても覚えてたら寄るよ」
こいつの言いなりには絶対なりたくなかった。でも甘えられると逆らえなかった。これが僕が僕である証明なのだ。
懐中電灯を手に廊下の端を歩く。一人歩きはまだ不慣れだ。
殺傷能力のある罠が待ち受けているかもしれない。保健室の扉にぴったり耳をつけ、様子を伺う。
明かりはついていなかったが、話し声が聞こえる。中に誰かいるとは聞いてない。引き返すのも臆病をなじられそうだ。
引き戸はなんなく開いた。中は強めの冷房が効いている。節電のためか、夜間でも他の教室には電気がついてないというのに妙だ。保健室と言っても薬品などはなく、大型のモジュールが部屋を占めていた。暗い中、静かな稼働音に包まれていると、別世界に来た気分になる。
機材の陰にベッドがあり、ゴーグルをつけた少女が丸くなって寝ていた。髪が長い。手足が小さい。なんで女の子が寝ているんだ。
数々の疑問をよそに、彼女はゆっくりと半身を起こした。ゴーグルを外すと太めの眉と大きな瞳が動いた。
「今日は何日?」
突然の質問にまごついてると、先に答えを言い当てられた。
「八月三日でしょ。朱里に起こすよう頼んでおいたのにサボったね」
朱里の忘れものは人間だった。しかも、僕にとっても忘れがたい人物になる。
女の子は足首まで隠れるパジャマを着ていた。ずっと寝ていたせいなのか、立ち上がった時によろけた。支えると、思った以上に体重が軽い。
「ありがとう。すっかり体がなまってしまった」
「ゲームでもしてたのか」
「リクルート活動」
そっけない言動に、ある自負がのぞく。それはチェルシーや朱里にも共通していた。
「君も、ゲリラなんだね」
「そんなに結論を急がなくても。食堂行かない? お腹空いた」
彼女は僕より年下のようだが、落ち着いている。歩くのがおっくうなのか移動はセグウェイを使って行う。
「一昨日、僕とチェルシーを助けてくれたのは君?」
水を泳ぐように滑らかなセグウェイの動きに追いつきながら訊ねた。
「普段、昼間は寝てる。でも小腹が空いたから下に降りたら人が閉じこめられてた。あんなベタなことって本当にあるんだね」
面白がっているのか、薄く口元を綻ばせた。
「僕らは偶然助かったわけじゃなさそうだ」
「人の悪意を疑うのは勝手だけど、もっと偶然という恩寵に感謝すべきなんじゃないかな」
「僕がここにいるのも偶然?」
女の子はセグウェイのスピードを上げて走り去った。逃げられたと思ったら、食堂の入り口で待っててくれた。彼女はラーメンに山のようにトッピングして、そしらぬ顔で席についた。長い髪をバレッタでまとめる。
「深夜ラーメンってやめられない。太るってわかってるのに」
食べた量が体に還元されないタイプらしい。チャーシューをこれでもかと乗せているので顔が半分隠れている。もそもそと小さい口で頬張る姿にゲリラの面影はない。
「確信犯ってたちが悪いな」
「わたしが君をここに閉じこめたと思ってるの? ハルヒコは悪意に敏感だね。まあ、何もわからないんじゃ致し方ないか」
彼女はいくぶんふんぞり返りながら、自分の役割を明かす。
「さっき保健室で何をしてたかというとね、二つある。護国の兵を募るリクルート活動をVR空間で行っている。当局と鬼ごっこをしながらね。これはなかなか楽しい。いろんなコースを造って遊んでいる。もう一つはこの学校のシステムの掌握だ。電気、ガス、水道を満足に使えるのはわたしのおかげというわけさ」
「君は、一体何者なんだ」
「美津谷春雨。ラーメン好きのハッカーにして、ただの愛国者だよ」




