かき氷と兵士
重たいシェルターの扉を開けると、腕が痺れた。
朝の外気が気持ちいい。蒸し風呂のような地下からようやく解放された。
さっそく身を乗り出したが、戦闘の形跡はこれといって見受けられない。午前二時頃まで騒がしかったが、その後は静かになったのを覚えている。
「ふわー、よく寝た」
あんな状況でも、チェルシーは熟睡できたらしい。恐るべきゲリラ根性である。
僕は一睡もできなかった。朱里が背中を叩いてきた時は、よろけそうになった。
「せんぱーい、かき氷食べたくないっすか?」
「元気だなお前。僕は逆に温かいもので体を労りたい」
身の安全を確保した途端、眠気が襲ってきた。ホットミルクでも飲んで仮眠したい。ところが、チェルシーもそれを許さない。
「チェルシーも、かき氷したいよ!」
「やりましょう! 頭をぶっこわすっす!」
不自然な程の盛り上がりに水を差せず、僕は校舎に連なる屋内プールに連行された。
朱里はシャツとスカートを脱ぎ、勢いよく水に飛び込んだ。下にいつも水着を着ているのだ。規則正しい腕の振りとキックは、生命力に溢れている。五十メートルプールが小さく見えた。
「あいつ、まさか僕たちに氷を持ってこさせる気か」
「それもあるけど、あたしたちを二人きりにさせてくれたのかも」
単に自分が楽したいだけのように思える。腹立たしいが、気が紛れるのも確かだ。
食堂の脇にある業務用通路の奥に冷凍庫があるらしい。
ロボットが調理する傍らでステンレスの大扉が控えている。シェルターを思わせる重い扉を開くと、身を切るような冷気が吹き込んできた。毛穴が引き締まる感じがする。吊された牛肉をよけて奥へわけいる。
「氷って、どのくらい必要なんだろう」
「朱里は一杯食べるからねー」
ゴトンと、チェルシーの背後で扉が閉まった。こういう冷凍庫は内側から開かないとドラマで見たことがある。
「いやいや、そんなまさか……!」
吐く息を白くしながら扉を押したが、びくともしない。心配そうなチェルシーが寄り添う。
どうしよう。閉じこめられた。
起こってしまったことを悔いても何にもならない。制限時間は刻一刻と減り続けている。
「寒いよ……」
手をこすり合わせる彼女の肩を抱く。体温がみるみる奪われていく。
「無駄な体力を使うのは避けよう。あの牛肉の陰なんかどうかな」
誘導しようとしたが、チェルシーは膝をついてしまった。冷気に当てられたのだろうか。両腕を伸ばして、狙いをつけるように目を細めている。
「何してるの?」
「ロシア兵が来る」
人差し指を曲げるのは引き金を引く動作だ。彼女は肉の塊を兵士と錯覚している。
「チェルシー、大丈夫だよ。兵士は来ない」
「うん、そうだよね。ウクライナと勘違いしてた。寒い中、こうしてじっと座って待ち伏せた。どこかで赤ん坊が泣いてる。キーウは……」
肉の塊が見えないよう彼女を抱きしめる。
「君は一体何者なんだ」
「ただの兵士だよ。不当な侵略があれば、颯爽とかけつける正義の味方になれたらいいなーって……、思うよ」
語尾が弱くなったのは、衰弱のためかてれ隠しか。朱里も日本の独立を掲げていると言っていた。でも戦争を起こさせないために戦争をする矛盾を僕は理解できなかった。
チェルシーのスマホの電波が届いたので、朱里に助けを求める。できることは全てやった。僕の手先の感覚がなくなる寸前だった。
しばらくして、金属の擦れる音がかすかにした。這っていくと、扉が開いている。
「た、助かった……」
命からがら脱出できた。あと何回、命の危険をやり過ごせばいいんだ。それにしても誰が扉を開けたのだろう。朱里にSOSが届いたのなら側にいるはずだが、見あたらない。
まだ朧げな景色の向こう、通路を曲がるセグウェイを一瞬捉えた。
「あ、待って……」
呼びかけも空しく、何者かは去っていった。小柄で、ものすごく髪の毛の長い人だったように思う。
追いかけるのを諦め、扉付近に倒れているチェルシーを介抱する。髪に積もった氷を払うと、顔に赤みが戻ってきた。
「ハルヒコ、チェルシーはかき氷を棄権する」
断固とした口調に僕も同意する。台車一杯に氷を詰め込み、プールに戻る。朱里はプールサイドのデッキチェアーでふんぞり返っていた。こいつは助けに来るようなタマではないとわかり、安心する。
「遅かったすね。待ちくたびれました」
僕とチェルシーは無言で氷を擦りおろす。力任せにペンギンの形をした製氷器を回した。
「な、何なんですか一体……」
「言いだしっぺなんだから全部食えよ! いいな?」
強く念を押すと、朱里は引き下がれない。彼女は圧力に負けてかき氷をかっこんだ。苦しそうに頭をかきむしる。
「ううっ……、頭がぶっこわれそうっす」
飽きさせないための配慮か、チェルシーはたくさんのシロップを用意していた。これはゲリラ式の拷問ではないだろうか。朱里が少しだけ哀れになった。




