マストダイ
マストダイとは、必ず死ぬという意味だ。
廊下の中央に置かれたカラーコーンは一見何の変哲もない。手でどけるなり蹴るなりすれば、簡単に通行できそうだ。
チェルシーに逆らおうと前に進んだのは、行為の容易さからだろうか。それとも彼女の束縛から逃れたいと僕が思い始めていたからだろうか。
「だめっ!」
鋭い声と共に、チェルシーは僕の腕を掴んだ。離れそうになる子供をつなぎ止めるような切実さが感じられる。彼女は何を守りたい。僕か、そうでないのか、実感したいから、試してみたくなる。
「地雷とか本当は嘘なんだろ? 僕を脅かそうとしてるだけで、本当は……」
チェルシーは顔をうつむかせたまま、眼球だけで僕を見据える。この娘は僕を本気見ているのだろうか。やっぱり自信がもてなくなってしまう。
「この先に、爆弾が仕掛けてあるの。センサーに感知されたが最後、ハルヒコの体は爆発四散。チェルシーに肉片拾いさせないで」
誰だって、肉片になんかなりたくない。
彼女の迫力に僕は押し切られそうだった。意固地になる理由もそれほどないじゃないか。センサーはともかく、彼女にもこの先に行って欲しくない理由があるのかもしれない。
「よーし、わかったよ。ハルヒコ、チェルシーを殴れ」
チェルシーは気前よく頬を差しだし、とんでもないことを言い出した。
「そんなことできるわけないだろ。少し落ち着いてくれよ」
「ハルヒコ、よくあたしを殴ってた。でも決まってその後はやさしくしてくれた。思い出してくれるなら、殴っていいよ」
魂の隷属と束縛。僕は典型的なDV男だった? そんなの認めたくない。この娘の従順な部分につけこむなんて、許せないじゃないか。
僕はレッドゾーンにあるカラーコーンの付け根を持ち、先端をチェルシーのお腹に押し当てた。内蔵をまさぐるように円を描く。
「ぃひっ!?」
不意打ちを食らった彼女は体を折り曲げて悶えた。膝をついた彼女の背中も同じようにゴリゴリとカラーコーンで責め立てる。筋肉の少ないやわらかい部分にめりこむたび、か弱い悲鳴が上がる。
「どうだ、これでも殴られたいか」
「痛いけどくすぐったくて、ああ、いいっ……!」
マタタビを浴びた猫みたいに狂乱した後は、倒れて動かなくなった。やりすぎたか。でも殴るよりましだろう。
「僕は絶対、君を殴ったりしない。そんなことするくらいなら君とはいられない」
僕自身に対する誓いも含まれている。女の子を殴って喜ぶ男になりたくないし、そうであってたまるか。
「ハルヒコ……、やっぱりチェルシーをいじめる天才だよ。絶対離さないからね」
目尻に涙を浮かべて微笑む彼女から、僕は目を背ける。この娘といると何故か胸が痛む。同情か、別の何かなのか判断がつかなかった。
「ていうか、僕たちはどういう関係?」
カラーコーンを元の場所に戻し、僕たちは歩きだした。もちろんマストダイの方向とは逆だ。床は磨かれたように滑らかだった。
「遠距離恋愛中のカップルだよ。チェルシーが短期留学してる時に知り合ったの。ハルヒコが日本語教えてくれて、それ以外も色々……」
頬を染めて色っぽい雰囲気を醸されても困る。僕には覚えがないのだから。仮にもこんな可愛い彼女に暴力を振るうなんて、想像できない。
真っ当な人間になろう。かっこ良くなくていいからチェルシーを守れるくらいに。
ふと、うなじ当たりに視線を感じ、振り返る。気のせいか、誰もいなかった。
お腹が空いた。一階の食堂で、食券を買う。食券にはICチップがついており、リーダーに読み込ませると、奥のガラス張りの部屋でロボットが調理してくれる。
「食券意味なくないか。タブレットの方が早い」
「ノンノン。なくさない方がいい文化もあるのだよ、ハルヒコ」
わかったようなことを言って、真ん中の席にすわるチェルシー。僕も向かいに座る。
AI管理の下、無人食堂は全自動で二十四時間稼働しているらしい。なのでドローンが外から飛んできても違和感がなかった。
「あ、虫」
チェルシーはおもむろにピストルを出して、ドローンに向けた。やけに軽い発砲音は現実を忘れさせる。
ドローンは大きな音を立てて壁に激突、大破した。
彼女の狙撃技術の確かさに圧倒され、配膳されてきたオムライスが冷めてしまった。




