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ハグ

 

 図書室に来ている。村上春樹の本を探すためだ。四列ある書架の間をくまなく歩いた。残念なことに文庫版の騎士団長殺ししか見つからなかった。


 この世界に村上春樹がいることがわかっただけで収穫か。


 村上春樹の優しそうでそうでもない四角い顔が朧気に蘇る。僕はまだ大丈夫だ。村上春樹に勇気づけられるなんてことはそうそうないが頼もしい。


 本の最後のページには貸し出しカードが差してあり、美津谷春雨という貸し出し主の名前が書いてある。他の本も全て同じ名前で終わっている。七月三十日という日付も一致していた。この図書室の全ての本がそうなのだ。不気味な符号は僕を不安にさせる。


 チェルシーは窓辺に立って外を眺めていた。ここは三階、眺めは悪くない。自然な立ち振る舞いに見える。


 背後から抱きついたらどうなるだろう。彼女の反応が知りたい。怒られるだろうか。それでもいい。一つでも多く彼女からリアクションを引き出したくて、行動を開始する。


 足音を忍ばせ、チェルシーの後ろに立つ。彼女は僕より頭一つ分背が低い。首に腕を回すか。首を絞めるみたいでいやだな。


 大胆に肩あたりを抱きすくめたら、胸を触ることになりはしないだろうか。


 なんて時間を要する当たり、僕の女性経験のなさが露呈しているのだ。村上春樹の小説のようにはいかない。


 この作戦は失敗を前提にしていたはずだ。どこを触っても、最悪殺されてもいい。考えすぎてはだめだ。方と鎖骨当たりを狙う。


 迷いを振り切り、彼女を押しつぶす勢いで抱きすくめた。その瞬間、やらなきゃよかったと後悔した。力を入れ過ぎたから。ダンプカーで三輪車にぶつかったような感じ。女の子がこんなに脆いなんて知らなかった。


 チェルシーのきゃしゃな体が大きく飛び跳ねて、静かになる。驚いたのだ。怖いのだ。声をかけずにこんな乱暴なことをしたのだから。そんな当たり前のことに気づかないほど、僕が追いつめられていることに僕自身驚いた。


 彼女の体温が急上昇する。圧力が高まっている。爆発するんじゃないかってくらいに。僕も同じだからわかる。むしろ爆発したかった。


「……、お腹触られなくてよかった」


 ? 怒られるか泣かれるかを覚悟していた僕はチェルシーの言葉の意味が理解できない。


「太ってると思われたらいやだから」


 首だけで振り向いたチェルシーは怒るどころか、うっとりと 頬を染めている。逆に僕の方が目のやり場に困る。  


「太ってなんかいないよ。うん、とても落ち着く体型なんじゃないかな」


 これは失言だったようで、チェルシーは前を向いて黙ってしまう。


「ごめん! 記憶がなくて、とても不安で、誰かに頼りたかったんだ。いやらしい気持ちはこれっぽっちもないからぜんぜん!」


 チェルシーは、弁解がましい僕の腕に手をのっけた。


「そっか……、チェルシーを頼ってくれて嬉しいな。ハルヒコは心配性ね。いきなりバックハグするからびっくりしたー」


 僕はようやくチェルシーから体を離し、息をついた。まだ彼女の感触が残っている。自分以外の体温のなんといとおしいことか。僕は単純だ。不安が紛れた。


「後ろからしたし、今度は前からもする?」


 いたずらな笑みで訊ねられても、首を振るしかできない。


 図書室を出る。右手の廊下の先に、赤いカラーコーンが置いてある。どぎつい赤が、危険を明示していた。


「気をつけて、ハルヒコ。あっち行ったらMust dieね」

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