第二百十五小節:離したくなかった
全ての原子という原子が震えるのを止めた。
人を支配する音が流れなくなった。
否、音を発することが叶わなかったのだ。
かのアイドルでさえ、その美しい声を放てなかった。
「ごめん……」
自分が動揺していることはわかった。
見える範囲から言葉を紡ぎだそうと必死であった。
しかし、それは叶わない。
「オレ、やっぱり……」
「やめて! もうなにも言わないで!」
やっと出た言葉。
「やめて! ライブ一緒にやらないだけじゃない! 別れるみたいなこと言わないでよ!」
海翔の視線を見ながら、最悪のことしか頭になかった。
「別にそんなこと言ってないよ」
「絶対だよ! ……絶対」
泣きそうだった。
海翔をとられたくないのだ。
自分が今人気なのは海翔がいたからなのだ。
そのお礼になにもかもを捧げるつもりでいた。
なのに、その海翔が誰かに奪われてしまうのが考えられないのだ。
2人はそのまま無言でカフェを後にした。
帰り道、葵は海翔の手を握った。
強く、強く握った。
ごつごつの手。
もう二年前になるのだ。
まだ、柔らかかったその手を初めて握ったのは。
好きになったのは。
歌を教えてくれたのは。
その、海翔を離したくなかった。