第百九十七小節:上の空
翌日、なんともなく、1人で学校に向かって歩いている麗奈。
右手を寂しそうに握ったり開いたりしていた。
その行為自体、意味のないものになってしまっていた。
学校に着き、行き場のない気持ちを、鼻歌に混ぜながらチャイムの鳴っている階段を登っていた。
急な出来事だった。
上から駆け降りてきた人とぶつかり、麗奈は体勢を崩し後ろに転びかける。
反射的に足を出したが、そこには足場がない。
そのまま階段を落ちていく。
嫌な記憶が脳裏を過った。
―また落ちる―
ダメだ。そう思った瞬間だった。
腕を掴まれ、体が一気に起き上がり、そのまま抱き締められる形になってしまった。
「すいません! 大丈夫っすか!?」
麗奈はその体の持ち主の顔を上目使いでそっと見た。
麗奈は苦しくなった。
「だ、大丈夫だから離して」
「す、すいません!」
まだ初々しい行動をとっていた。
見たことはなかった。
男であることと、美形であることと、声は高いこと、そして背が高いことしかわからない。
むしろ、それだけで十分すぎたのかも知れなかった。
「ホンットにすいません!」
「大丈夫だから。急いでるんでしょ」
「あ!」
オーバーリアクションと言うのか、大袈裟に反応する男。
「先生に呼ばれてたんだ!」
急いで階段を下っていった。
まるで、犬のように。
麗奈はその男を不思議そうに見送った。
「変な奴」
何もなかったかのようにまた階段を登り始めた。
まだ朝なのに、麗奈の心拍はいつになく元気に稼働していた。
教室に入ると、完全に1時限目は始まっていた。
早く座れ。先生の声が飛ぶが麗奈はもはや無視をしてゆっくりと海翔の隣の席に座った。
海翔は葵に気付かれないように横目で麗奈を見る。
違和感を感じた。
なにかはわからないが、何故だか違和感だけを感じていた。
「はい、この問題、高尾解いてみろ」
「はい」
海翔は立ち上がり、麗奈を一瞥してから黒板に向かっていく。
海翔にしてみたら簡単な問題だった。
白いチョークで黒板を叩き、リズムを奏でていた。
鼻歌混じりにその問題をスラスラ解いていく。
「x=64ですか?」
「正解だ」
得意気な顔になることなく、クールな顔のまま自席に戻る。
その時、嫌でも視界に麗奈が入った。
外を見ていた。
一瞬の動揺を海翔は隠せないでいた。
「高尾さっさと座れ」
「すみません」
自席に座る海翔。
「ねぇ、どうしたの?」
背後から忍び寄る言葉に背筋を震わせた。
「な、なんでもねぇよ」
「そう。海翔、今日おかしいからさぁ。麗奈ちゃんが来たときから」
なにかを探るように言う葵。
「気のせいだろ」
「そう。だって、海翔、1ヶ所2乗の2、忘れてるよ。ケアレスミスなんて珍しい」
「珍しいからケアレスミスなんだよ」
「そう」
葵は意地悪そうにクスリと笑い話すのをやめた。
海翔はほっとし、麗奈を一瞥した。
ずっと、ずっと、外を見ていた。