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第百八十九小節:代償


 麗奈は、病院のベットで寝ていた。


 ゆっくりと呼吸している。


 頭部には包帯がひと巻きしてあるだけで、ケガは軽いものである。


 落ちた場所がたまたま花壇で、土がクッションの役割をしたのだ。


 幸運だった。


 それでも、頭は強く打ち付けていた。


「麗奈……」


 寝ている麗奈の左手をしっかりと握っている海翔は、何度も彼女の名前を呟き続けていた。


 夜も更け、病院に人の気配はない。


 看護師がたまに回ってくるだけだ。


 その部屋にいる2人は、沈黙と地獄を見ているようだった。


「麗奈……」


 そんな世界に、呆れるほど無神経に、土足で踏み入れる人が、海翔の後ろで止まった。


「おい、クソガキ。さっさと帰れ。ご両親が心配してんぞ」


 少しだけ柔らかな言い回しだった。


 しかし、返答はない。


 ずっと手を握ったまま俯いていた。


 小村は、海翔の隣に座った。


「帰らないのはいいが、オレの下らない話し、聞いてくれるか?」


 返答はない。


 小村は少し頷き、


「よし、じゃぁ朝まで付き合えよ」


 と小さく言った。


「まったく。寒いよな。まだ9月だってのによ。秋雨なんだか知らんが最近雨が多いよなぁ。


 コイツも天気にやられたか? 自殺未遂? まったくバカだよな」


「バカじゃない」


 海翔は感情のまま呟いた。


「すまんすまん。言い過ぎた。だが、なんでコイツはそんなに追い込まれてたんだろうな?」


 聞くような口調。しかし、海翔が応えるはずもなく、話を続けた。


「心の支えであるはずのご両親に逝かれちまってんだもんなぁ。知ってるか? 小学生の6年の時に、ご両親2人とも、殺されてるって。不運だよな。たまたまコイツが家に帰ったら、血塗れで、父さんが母さんを庇うように亡くなってたなんてな。強盗犯だったらしいよ。犯人は、叔父だったそうだ」


 口を少し結ぶ。


「身寄りがなかったそうだ。お互いの祖父母も早いうちに他界されていて、叔父夫婦には頼れない。他と言っても兄弟が少ない家族だったそうだ。それで、施設に入るはずだった。拒んだんだ。どうしても、家に居たいって。最終手段で無理矢理連れていこうとしたら、近くの商店街の人たちが束になってコイツを守った。ご両親はとてもいい人だったんだろうな」


 小村は宙を見た。そこに、麗奈の両親が心配そうに我が子を見ているかのような。


「まぁ、無事、家に残れたんだが、なにせなにも出来ないし、お金すらほとんどない。小学生の頃から商店街で細々とバイトを続けてたそうだ。それでもやりくりできないから、商店街の人にお金を借りて、『いつか帰すから、いつか帰すから』そう泣きながら受け取ってたらしい。

 中学生になると、始めのころは、学校が始まる前に新聞配達、終わり次第あちこちでバイト。鬼畜な毎日を送ってた。しかし、商店街の人は、他の子みたいに部活をやらせてあげたい。それで、半ば無理矢理、部活に入れさせた。

 コイツは1番練習日数が少なくて、疲れる運動部じゃない、合唱部に入った。まぁ、当初から上手かったらしいがな。先生にも可愛がられて、まぁイジメの対象になったそうだ。先輩からは罵声や暴力、同学年から無視。陰湿なものだったと聞いた。だが、麗奈はそれを誰にも言わなかった。心配かけたくなかったからだと思うがな。

 それに気づいたのが、2年になったときだった。左腕のリストカットの後を顧問の先生に発見され、指導室に。最初は、『別になんでもない』『関係ないでしょ』『私の体だから』、口を割らなかった。結局最終的に言ったんだが、『誰にも言わないで』『もう少し我慢するから』。部活やめたら? そう顧問が聞いたが、『この部活じゃなきゃイヤなの』だそうだ。顧問は見守ることにした。だが、見てないところでいじめは続いた。ずっとずっと、耐えて、高校へ。たまたま誰もいかないような学校を選んで、うちの学校に来た。

 んで、一番始めに言った自己紹介の言葉。覚えてんだろ? 防衛本能なんだよ。誰とも関わらなければ、自分が傷つかない。部活も、始めはやるつもりはなかった。だけど、歌いたかったんだよ。商店街の人の喜ぶ顔を見たら、惨めな自分を忘れられたんじゃないか? 誰かに求められてる。それだけで良かったんだろう。

 で、なんでかわからんけど、軽音に行って、お前と組んだ。1番訳のわからないことだよ。

 知ってるか? 部活が忙しいから午後のバイトやめて、朝の新聞配達と真夜中に自宅で内職してんだってよ。

 コイツ、スゲー人生送ってるよ」


「なんで、」


 海翔が小村に顔を向けた。


「なんでそんな大事なこと黙ってたんだよ」


「黙ってた? んなわけないだろ。本人が言ったんだ。お前にだけは絶対に言って欲しくないって。お前にだけは、自分のことを素直にそのまま見てくれるって」


 海翔は麗奈方を向き、さらに強く手を握った。


「やっぱ、オレのせいだよな」


「しらん。本人に聞いてくれ」


 海翔の気持ちがそうさせているように、沈黙がその場を包む。


「オレは葵のことが好きだ。だけど、麗奈をずっと見てる。毎日。転けても手を差し伸べられるように、迷ったら道案内してあげられるように、見てるんだ」


 部屋の外で話を聞いていた葵は胸を押さえた。


「たしかにコイツは、葵より可愛くないかもしれない。歌は上手くないかもしれない。でも、麗奈といると落ち着くんだよ。コイツと一緒に音楽をしたいだけだったよ」


 葵は知ってた。海翔の気持ちを。


「それでも、葵のことが好きって言いきってるのは、麗奈を恋愛対象から外すために、自分を偽るため」


 知っていたからこそ、本当に聞きたくなかった言葉。葵は音もなく、その場にしゃがみこみ、静かに泣く。


「そこまで、自分を分析出来といて、このザマだよ。情けねぇな、オレ」


 静かに耳を傾けていた小村。


「わかってても、どうしようもないことなんか一杯ある。失敗なんか当たり前だ。情けねぇって思うなら、次はそうならないために努めろ」


 その場に沈黙が広がった。


 海翔の迷いの声が聞こえるようだった。


 偽りでも、そこから芽生える恋もある。


 純愛でも、裂かれる恋もある。


 海翔はその狭間で道を選びかねていた。


 どちらも正解ではないように、どちらに進んでも、どちらかを傷つける。


 今がその代償のようなものであった。


「……ん……」


「麗奈!」


 その時、麗奈は目を覚ました。


「麗奈!」


 海翔に少しだけ笑顔が戻った。


 海翔は麗奈を起き上がらせようとした、瞬間だった。


「……あんた誰?」


 凍てつくような声がその場を凍らせた。


 代償のツケは、軽いものではなかった。

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