第百八十七小節:しとしとと
結局の所、葵を見つけることができなかった海翔。
今は探すのをやめ、ライブのトリを飾るために舞台裏に控えていた。
「なぁ、麗奈は?」
【ペインツ】の前のバンドがすで演奏し始めているのに、麗奈だけがその場にいなかった。
「お前と一緒だと思ったぞ」
ダイゴの言葉を海翔は返せない。
「まぁ、アイツのことだから、ギリギリになって、ひょっこり出てくるんだろうよ」
ダイゴが心配無さそうに、スティックを持ちながらストレッチをする。
「もう、終わっちゃうよ」
ユウヤはダイゴとは違い焦っていた。
演奏が終了した。
舞台から降りてくるバンド。
「おつかれ」
海翔が冷淡にそのバンドに言う。
「行くぞ」
「麗奈ちゃん来てないよ! もう少し待とう!」
「それは出来ない」
海翔が小さく唸る。
「なんでさ! だってオレたちは4人で1つだろ!」
「そうだが、ユウヤ、耳澄ませてみろよ」
ダイゴが海翔の気持ちを汲んでそう言う。
ユウヤは耳を澄ませる。
その耳に聞こえてくる声は、聞きに来ている人たちの声であった。
やっと【ペインツ】だよ。
大好きなんだよね。
海翔先輩!
ユウヤくんまだかな?
ダイゴー!
麗奈ちゃぁん!
全てが全て、【ペインツ】の登場を、演奏を待ち望んでいた。
決して1人の人気だけでなく、【ペインツ】として待たれている。
「アイツが、麗奈がいなくても、オレたちは出てかなくちゃ行けないんだ。期待に応えるために。今すぐにでも聞きたいと思ってる人のために」
海翔は1人、舞台に上がっていく。
「てことだ。麗奈は絶対に来る」
ダイゴもまた、海翔を追いかけて舞台に上がっていく。
その時には、海翔が上がったことによって、歓声が上がっていた。
「麗奈、信じてるよ」
ユウヤもまた、ゆっくりと、ゆっくりと、足りない人を待つように上がっていく。
3人だけが上がり、演奏がもう出来る状態だった。
そう、3人だけが。
動揺の声がどよめきだす。
「どうすんの!?」
「うるさい。曲順変更。2番からやろう」
「了解。じゃぁ、勝手に始めろ」
「そのつもりだ」
海翔は定位置よりずっと前に出て、舞台ギリギリで会場を見回した。
その時、ずっと奥の方の壁際で、マイクを持った手だけを見つけた。
「バカ野郎、心配させやがって」
海翔はピックを持った右手を高々と上げ、ピースをした。
観客が沸く。
「始めんぞ」
海翔はその手を振り下ろし、ギターをかき鳴らす。
豪快な、まさにロックなソロ。
そこに、いきなりクラッシュを入れるドラムがリズムを刻み始める。
ベースが唸りを上げながら自己主張をする。
3人バラバラな音楽が調和して、音圧が波となし観客を襲う。
その、フレーズが終わり、スピーカーから響く歌声が入る。
しかし、当の本人は舞台にはいない。
人混みを掻き分けながら、舞台に近づいて、よじ登る。
それは麗奈で、一段とまた派手な格好をしていた。
海翔はそんな麗奈を見て、思わずにやけてしまった。
相変わらずバカだな。
口だけがそう刻んだ。
その曲が終わり、盛り上がる会場。
毎度恒例の大袈裟な自己紹介も終わり、次の曲に入る。
その前に、舞台裏にギターを取りにいく麗奈。
それには笑いが起こった。
そして、次の曲、次の曲と進んでいき、最高のボルテージのまま、【ペインツ】の演奏は終わりを迎えた。
4人は舞台上でハイタッチをして、舞台を降りた。
それはすなわち、文化祭の閉幕を意味した。
麗奈のわずかな変化は、海翔でさえ気がつかなかった。
いや、海翔だから気づかなかったのかもしれない。
もし、その場に、小村がいたら、事はそこまで重大にならなかったのかもしれない。
急に小雨が降り始めた。
しとしとと、全てを冷たく濡らしていく。