第百七十六小節:愛のムチ
翌日、合宿は終わりを向かえ、現在バスの中で寝ている。
寝ていないのは、運転しているじいと、海翔だけだった。
海翔は流れていく景色を見ながら、麗奈の事を考えていた。
昨日、むしろ朝まで海翔に抱きつきながら泣いていた麗奈。今は疲れてグッスリだ。正直、海翔も疲れているはずなのだ。
しかし、寝れなかった。
寝ながらでも泣いている麗奈の顔を拭いては外をぼんやり眺める。
「葵、ヒントくれ」
呟く言葉。対象の相手はガラスに映っているだけでその場にはいない。
「麗奈が自由に歌うにはどうしたらいいんだ?」
答えてくれない。
「オレが急かしすぎたのか? オレが教えすぎたのか? オレが期待しすぎたのか?」
自虐するだけで答えは出てこない。
バスは高速道路を下り、学校までの道をゆっくり進んでいた。
その道のりもやけに速く、学校に着いてしまう。
全員起こし、バスから降りる。
「はい、合宿終了です。先生方、言うことないですね、と言うことで解散。皆さんお元気でー」
まだ寝ぼけ声の薫は、棒読みでそう言い切ると、バスの扉が閉まりさっさと寝てしまった。
「いいんすか?」
「まぁ、皆疲れてるし、あんま時間取る気ねぇよ。ほら、さっさと帰って勉強でもしやがれ」
全員、学校から追い出された。
海翔と麗奈は久しぶりに駅までの道を、2人で歩いていた。
「ねぇ、海翔。頑張れば上手くなるかな?」
麗奈が俯きながら聞く。
海翔は言葉を選ぶ。
「自分で考えろ」
そして、出てきた言葉。愛のムチのつもりなのだ。
麗奈は「そうだよね」と笑い流す。
そのあと会話は生まれなかった。夕焼けは2人を虚しく映した。
電車でも2人は顔を見合わせることはなかった。通りすぎていく見慣れた景色を、ぼんやりと眺める。
いつの間にか、海翔が下車する駅に着いた。
「じゃぁな」
「うん」
海翔はゆっくりと降り、後ろを向いたまま、片手をあげた。
電車が出る。
海翔は改札に向かった。
そして海翔は改札を出ると、誰かが急に横から抱きついてきて、頬に唇を当てられる。
「お帰り、ダーリン」
葵のハートマークが見えそうな明るい声。
「ちょ! 人前だぞ!」
海翔は驚いて声を荒げてしまい、注目を集めてしまう。
「へへ、良いじゃん。私は寂しかったの。早く帰ろ」
葵は海翔の腕に腕をまわし、一緒に帰り道を進む。
「合宿どうだった?」
「どうだったって、いつも通りかな」
「いつも通りってなによ」
「朝、露天風呂入って、バイキング形式の飯食って、適当に練習して、昼食って、適当に遊んで、晩飯食って、ライブ形式の見せ合いして終わり」
「ふーん」
よくわからないようだった。
「そう言えばさぁ、最近麗奈ちゃんどうなの?」
海翔は足を止めた。葵も腕の都合上、無理矢理止まざるを得なかった。
「わ! どうしたのよ」
「ごめん」
海翔はまた歩き始める。
「今は、アイツのこと聞かないでくれ」
おかしな対応だった。それにただならぬ感覚を覚えた葵は、話題を反らす。
「そ、そうなの。あのさぁ、私、今年も紅白出れそうなんだ。もちろん海翔も出てよね。その前に夏フェスか。もうそろそろだよ。練習しなきゃね。海翔、合宿で疲れてるよね。明後日から練習にする? そうだね、私から瀬川に言っとくよ」
きっと海翔は聞いていない。葵はわかっていた。
また、モメた訳ではなさそうだ。何かを悩んでいるのは明白だった。
知りたい、そんな感情を抑えて、葵は自分の話を続けた。
そのまま、2人の家の前に着いた。
「あ、着いちゃったね。じゃぁ、またね」
葵は海翔と唇を合わせる。今度は少し長めに。
そして離れて葵はそそくさと家に入って行った。
海翔もゆっくりと自宅に入っていく。
これで、2回目の合宿は、大きな穴だけ作って、終りをむかえた。