第百七十五小節:逆回転
海翔は舞台から下りる。
由梨は走って自分のメンバーの所に行き、抱き合って喜んでいた。
海翔はそれを横目に、1人ションボリと俯いて座っている麗奈の隣に座る。
なにを言ってあげれば良いかわからなかった。2人の間だけは沈黙だった。
そこに由梨とその他3人が海翔の前に集まる。
「先輩、今日はありがとうございました!」
とても純粋な笑顔を見せた。
「おめでとう」
海翔はひきつった笑顔で返す。
それでも、由梨は嬉しそうで、4人で賑やかにその場から出ていく。
この部屋にはいつの間にか、2人だけになっていた。
麗奈は沈黙を保ち、ただ、なにもない床を見続けていた。
しかし、もう我慢の限界だった。
「もぅ、無理よ、やっぱり、私は、無理よ」
小さく震えている。スカートを強く握っている。
「由梨ちゃん、上手いし、私、無理だよ、下手だもん」
海翔は困る。良い言葉が出てこない。
ここまでしたのは、自分のせいだから。
まだ、1年の時の方が上手かったのかもしれない。
「海翔」
麗奈は海翔に抱きついた。胸に顔を押し付け、声をあげて泣いている。
子どものように、ワンワン泣いている。
海翔はただ、麗奈を抱いてあげるしか出来なかった。
強く抱く。海翔は歯をくいしばる。
――わかっていない――
わかっていなかった。
ここまで、これ以上に悩んでいるとは。
わかっていなかった。
悩みが苦痛になっているとは。
わかっていなかった。
我慢が悩みなのは。
わかっていなかった。
今は我慢していないことを。
わかっていなかった。
麗奈の本当の気持ちも、海翔自身の気持ちも、お互い偽っていることを。
――気付くのが遅すぎた――
もう引き返せない。
いや、引き返せたのかもしれない。
――時計の針は逆回転し始める――