第百六十五小節:戻ってきた【ペインツ】
期末テストが終わり、とうとう夏休みになる。
誰しもがそれに幸せを感じ、いかに楽しく過ごそうかを考えているはずである。
そのなか、軽音の部室には、たった2人だけがいて、それでいて、海翔は焦っていた。
「よし、私の心は雨、いくぞ」
「なんでよ。今日は休みにするんでしょ」
麗奈は海翔の顔を見ていなかった。
「お前のためだよ」
「は? 意味わかんないし」
「取り合えず歌えよ」
麗奈は溜め息を吐き、しょうがなく歌う。
「おい、もっと高い位置で歌えよ。喉の奥じゃなくて」
「なによ、それ」
「ほら、よく言われなかったか? 鼻の奥で響かせろって」
麗奈は確かに中学の時によく言われてた気がした。
「もう1回」
それは、果てしなく続いた。麗奈が元の声に戻るまで。しかし、なかなか戻らなかった。
1度ついた癖はなかなか直らないものである。
約1週間、みっちりしごかれる麗奈。
いい加減、鬱々しはじめていた頃に、ダイゴとユウヤが部室に来た。
「やっと来たか」
「まだ30分前だが?」
「細かいこと気にしない。早く準備」
へいへい、と2人は準備に取りかかった。
麗奈は夏バテなのか、椅子に、グデー、と寄りかかっている。
「あぢー」
「クーラーつかないからしょうがないよ」
「クーラーは気にしないけどさ、扇風機くらいあったっていいじゃない。窓開けるだけじゃ死んじゃうし」
確かに一理ある。
「まぁまぁ、しょうがないよ」
麗奈は近くに置いてある、“桃水”と書かれているピンクカラーの紙パックを手にとり、ストローで中身をチュウチュウ吸う。
「にしても、今年は暑いな」
「温暖化が進んでるね」
「水まきじゃ」
「それよりさぁ、パフェ食べたい」
「あ、いいねぇ」
「よし決まり! いつものカフェに行こう! よーし、元気出てきたー!」
麗奈は急に立ち上がる。
良いタイミングで、ダイゴがスティックを4回叩き合わせる。
全員が一斉に8ビートを奏でる。
そして、麗奈が歌う。
1週間の成果が明らかに出ていた。
まだ完璧とは言えないが、それでもまだ普通に聞ける。
麗奈も、なんだか楽しそうに言葉を紡ぎ、それを支える3人のビートとコード。
【ペインツ】が戻ってきた。そう思わせる音楽が、開け放たれた窓から漏れ、学校中に響き渡る。