第百六十二小節:大好き
「別れよう」
葵は海翔の言葉を待った。もう、どうにでもなれと思っている。ただ、終わらせるなら自分の手で終わらせようと考えている。
本当は、海翔と一緒にいたいと願っている。
海翔は深く俯くと、体を小刻みに震わせた。
葵の耳に入ったのは、豪快とも言える笑い声だった。
「なんだよそれ」
海翔は腹を抱えて爆笑している。葵の思考回路はグチャグチャにされた。
「まったく、そんなことか」
笑い声は段々やんでいき、海翔は深呼吸する。
「もう忘れたのか? 相変わらずの記憶力だな」
なんのことかまったくわからなかった。
海翔はそんな葵を見て、目を閉じた。
「落ち込んでいた時も
あなたの微笑みで笑い
手を強く握ってしゃべる
大好きだから離さないよ」
それは、何千回も、何万回も、聞いて、口ずさんだ曲であった。
葵は今まで流していた涙とは違う涙が出てきた。
「枯れた瞳の奥で
オレは笑ってるかな
優しく頬に触れて
同じ言葉を呟く」
葵は膝から折れて、地面に座った。
海翔は目を開く。
「海翔のバカ!」
「いきなりなんだよ」
葵は立ち上がり、海翔に抱きつき、顔を胸に埋めた。
「海翔のバカ! なんで、なんでよ」
「好きだろ。こんな冗談のような汚い歌」
「汚くないよ。路上ライブで聞いたときから大好きだもん。大好きな海翔が歌ったラブソングだから、だから大好きだもん」
「ならよかった。お前のためなら何回でも歌ってやるよ。だからもうすねるなよ」
海翔は葵の頭を自分の体から離し、泣き顔に自分の顔を近づけて、唇を合わせる。
顔を離したら、泣き顔が満面の笑みに変わっていた。
「おら、帰るぞ」
「うん」
2人は手をつないで駅の階段を上っていった。