第百二十二小節:天秤
「はい。じゃぁここで、編入生の紹介をします。
入って。」
教室の扉が開く。
その子がゆっくりと歩き、教壇の真ん中辺りを目指して行く。
女の子の名前に男子陣が騒ぎ立てる。
海翔は予想通りの人物に驚愕し、カナはその顔を見ただけで驚き、麗奈は落胆した。
その子は立ち止まる。
クラスの全員がその子を見て、教室が凍てついたように静まり返った。
「はじめまして。
都筑葵と申します。
父の仕事の都合上、こちらに引っ越して来ました。
アオイって呼んで下さい。
よろしくお願いします。」
頭を深々下げ、その腰まである長い艶やかな髪をなびかせながら体を起き上がらせ、前髪を気品よく掻き分ける。
そして、男子のハートを奪うかのような可愛すぎる笑顔を輝かせた。
「く、クルミちゃん?!!」
カナの一言がクラス全員の叫び声に変わった。
「静かに!」
先生がまぁなんとかおさえる。
「さすが海翔くんの友だち。
私の事わかっちゃうか。」
クスリと笑う葵の動作に、大半の男子は心を奪われた。
「葵ちゃんは彼氏いますか!?」
バカな男子がそう問う。
「今はいないけど、好きな人はいます。」
「誰ですか?」
葵は綺麗で大きな瞳を海翔に向けた。
「海翔くんです。」
麗奈は過剰に反応し立ち上がった。
その後すぐに海翔も立ち上がり口を開いた。
「悪ふざけが過ぎるぞ葵。」
「嘘は言ってないわよ。」
冷たい空気が流れた。
「は、はい。
後は自分達でやっといてね。
葵さんはあの立ってる子の後ろの空いてる席ね。」
「はい。わかりました。」
先生はその流れを上手くせき止め、話しを進める。
葵はゆっくりと生徒たちの視線を浴びながら、まだ立ってる海翔と麗奈の間を通り、海翔の後ろの席に座る。
「そこの2人座りなさい。」
海翔と麗奈は同時に座った。
麗奈は海翔を横目で見る。
苦しそうな顔だった。
軽く心臓辺りのブレザーを握っていた。
それは嫌な記憶がよみがえったのか、と言う感じだった。
しかし、正月に2人のあの笑顔を見た。
嫌な記憶ではなく、忘れていた感情がよみがえったのではないか。
海翔は間違いなく、中学時代、葵の事が好きだった。
否、今も好きである。
麗奈の遠い記憶にある、海翔の一言、
もし、お前が、2人好きな人がいて、どうしても諦めがつかなかったらどうする。
麗奈の答えは、
片方を好きになるまで、片方の事を忘れようとする。
麗奈は今自分が置かれている状態を把握した。
海翔という天秤は、麗奈と葵を片手づつに持ち、まだ釣り合っている状態である。
もし、忘れようとしても目の前にあらわれたら?
こっちが好きって言うかな。
麗奈はまだ言われていなかった。
だが、言われてもおかしくない状況だと自負している。
相手は、紅白にも出た有名人気アイドル。
美貌も何もかも、麗奈の数段上を行っている。
勝ち目は無いに等しかった。
「でも、諦めるわけないじゃない。」
1人ボソっと言うと海翔が不思議がって麗奈を見た。
麗奈はにっかりと笑顔を返した。