黒猫亭 『裏』
「ふぅ……」
月が昇りきった夜の街を屋根から眺めながら火照った体を冷ます。
まさか酔った同業者の飲み比べに参加させられジョッキ五百杯程の麦酒を飲まされる羽目になるとは。
父さんの話だと鬼族はかなり酒に強いのを何杯も飲まないと酔えないとは言っていたが……俺の場合、五百杯も飲んでも少し体が火照ってきたぐらいにしかならない。
酒豪……なのだろうか。どちらかと言えば酒に対して耐性が高すぎるだけだろうか……まぁ、酒は嗜む程度がちょうど良いか。
因みに、俺に負けた連中は店主に押し付けた。まぁ、少し流し見した時にあの連中も参加してたしすぐに片付くかな。
「にしてもまぁ……案外明るいものだな」
眼下に広がる街はそれなりに明るい。前世と比べると暗いが、照明器具もこの世界独自のものになっているため、蝋燭や松明よりは明るい。
暗い夜の中にある暖かい明るい光は上から見ればそれなりに良い景色になる。
「……まぁ、高い所なら色々と見えるけどな」
だが、明るいと言うことは反転すれば影があると言うことになる。
酒場の隣の脇道には浮浪者が地面に寝転がり、犯罪組織が薬物の売買をしている。
浮浪者に救いを与えるつもりはないが……犯罪は見てしまったからには仕方ないよな。
「おい」
「あぁ、なんだて」
屋根から地面に降り薬物の売人と買おうとしている男に近づき攻撃に移るよりも速く頭を掴み地面に叩きつける。
声も上げる間も無く気絶した男たちを適当に壁にめり込ませ再び宿の屋根に飛び乗る。
俺は偽善者ではない。
見てしまった悲劇を見逃すつもりはないが、立ち上がろうとしない者に手を差し伸べることはしない。
声を上げない者に手を差し伸べるのは……それは根っからの善人か破綻者だけだ。
「やれやれ、こんな薬をどこで入手しているのだか」
緑色のビー玉程度の大きさの玉を踏み潰し部屋の中に戻る。
あの薬は『ハッパ』。皮肉な事に前世で同じ発音のある薬物だ。だが、その効能は前世のものと比べ物にならない。
本来、こういった物は兵士たちに連絡すべき事だが……兵士どもは使い物にならない。組織力は高いようだが、それ以外三流以下の連中が使い物になる訳がない。
「それに、おおよそ『ハッパ』は輸入品だしな」
理由は単純、これの売人や組織を何人も拷問にかけ得た情報を統合させ嘘を落として推測したことだ。
どいつもこいつも、嘘を織り混ぜても何十人と聞けば共通項を見つける事は可能なのを知らないのだろうか。
他国に出る算段はつけてあるが、デモンストレーションが終えなければこれを潰すことが出来ないしな。
「っと……トイレトイレっと」
酒が効いてきたのか、尿意を感じ部屋を出て一階のトイレに入る。
ふぅ……スッキリした。トイレとシャワーは共同なんだよな。……明日も早いしさっさとシャワーを浴びて寝るか。
「シャワールームは……ここか」
地下に降りる階段を降り木の扉を開けて服を脱いでシャワールームに入る。
「て、魔道具式か……」
タイル張りのシャワールームの天井と壁に等間隔に取り付けられた石を見て少し目を細めて触れると温水が降り注ぐ。
この石は魔道具。魔道具とは魔法が特殊な加工で付与した道具で大気中の魔力を吸い誰でも割使える。照明器具と言った日用品から武器等の専門色の強いものまで、種類は様々だ。
「ふぅ……」
一通り浴び終えた後、備え付けのタオルで体を拭き、服を着る。
うん……?適当に籠に入れていた筈なのに畳まれてる。
「……あの黒装束たちか?」
本当によく分からないサービスをするが……尽くしてくれるのはありがたいし助かるから否定できない。
「あ、入られてましたか?」
「いや、今出たところだ」
シャワールームから出るとモップを片手に持った兎の獣人族の少女が立っていた。
見た感じ、シャワールームの清掃に来たと言ったところか。
「なぁ、あんたに一つ聞きたい」
「なんですか?」
「あの黒装束の従業員たちだ」
「それは……お答えすることは出来ませ」
「訳ありなのは分かっている。おおよその検討も付いてるぞ」
「ッ!!」
耳を一気にピンと伸ばしてかなり驚いている事が分かる。
やはりか。鎌にかけて正解だったか。まぁ、別段どうこう言うつもりないけどな。
「……この宿が、いいえ、この街の宿がどうやって出来たか分かりますか?」
「……さぁな」
シャワールームを掃除しながら笑顔で冷淡な声を発する少女の問いに答える。
声音が変わっても表情を変えてないが……やはり、彼女たちは……。
「この街の宿は……元は逃亡奴隷を匿うためのものなんです」
「……やはりか」
少女の答えに俺は納得する。
違法奴隷がかなり売られているんだ、逃げ出す者も多い。だが、捕まれば確実に殺される。それも、かなりエグい方法になることが多い。
それを回避するために駆け込み寺のような役割をこの街の宿は担ってるのか。
だが、それならあの服装や態度は納得できる。
あの全身を覆う服装なのは自分の姿を相手に見せるのを防ぐため。
あの離した態度や尽くしてくれる態度は奴隷時代に痛みと共に刻み込まれた恐怖心の現れ。
そう考えると納得はできる。できてしまう。
「薬で体も心もボロボロになってしまった人や未だ他人に対して恐怖を抱いている人、発作的に思い出してパニックになる人……様々な人がいます」
「酒場でウェイトレスをしている連中は?」
「彼女たちは精神的に立ち直った人たちです。……未だ立ち直れない人たちはとても多いです」
「なる程ねぇ……」
立ち直れない……か。立ち直ろうとしてもそのステージに立つことを体が拒んでいるのか。
下らない、何て言うことは出来ないな。そんな事を言えるのはただ残忍な人間だけだ。
「『掴んだ手は離さない』。それがこの街で生きる人族以外の種族の標語です」
「……助けを求める手を振り払ったり離したりはしない、そう言うことか」
「はい。……私もそうやって助けられた一人ですから」
少女が服を捲り背中を向けると目を見開きながら怒りで手を力強く握り締める。
背中には幾つもの切り傷の痕と火傷が白磁のような透明感のある肌にくっきりと残っている。腹には虫に喰われたような痕があり、下ろしたストッキングの下には奴隷を示す赤黒い刺青がされている。
……こいつも一度奴隷に落とされ、逃がされた一人なのか。
「十二歳の時、ここの領主様の手下に捕まって……自信の趣味のために拷問をされたんです」
「…………」
「数週間後、冒険者様たちが助け出してくれなかったら今頃は……死んでいたでしょう」
「…………」
「私が笑顔以外の表情を失ったのもこの頃からです。あの日から私は、笑顔以外の表情をとることが出来なくなったんです」
「…………」
少女の独白に俺は沸き上がる怒りを一つに募らせる。
……彼女たちの苦しみはまさに悲劇だ。そんな悲劇を、多くの者たちを傷つけまくるこの悲劇から目を背けない。
故に、その源泉を潰し第二の彼女らを作らないようにしなければならない。
計画変更だ。犯罪組織は個別に潰し、領主を利用させて貰おう。
「……湿っぽい話でしたね」
「いや、構わんよ。……よく耐えたな」
「ふふっ、お客様が笑ったのは初めてです」
「……俺の事はエインと呼んでくれ」
「なら、私もスノーと呼んでください」
「……了解した」
「あぁ、それと。この街の人族以外の共通の暗黙の了解なので無闇に言わないほうが良いですよ」
「そうさせてもらう」
スノーとの話を終え少し笑顔を見せながらシャワールームを出て部屋に戻る。
あの口調の様子だと、元奴隷たちは住み込みで働いてるようだし守られてるのだろう。まぁ、万が一の事がある、いざと言うときは俺がこの街にいる間はこの宿を守らせて貰おう。




