天国あるばいと
短編
『天国あるばいと』
1
アオイに、ヒカリ、ヒカリが射し込んできた。コトバ、コトバのように感じた。このコトバほど世界中に散らばり、透徹り、胸の気魄を濡らし、同時に、体じゅうを熱くするものは、これまでになかった。動いた!何かが慥かに動いた、これがタマシイというものだろうか…。
アオイはそのまま街路樹が整然と立ち並ぶ、歩道で、高鳴る沈黙の焰というものを、いや、太陽であろうか…、心で抱くように、そう、ただただ、立ち止まった。呼吸。気が付けば、息をしている。このプリズムのような息が、大気を伝い、木々の葉を揺らすように外界に放たれて、また、異なった光彩のようなものを帯び、自身の口元に戻ってきた。学校でこのようなことを口に出せば、嘲笑の的になることは明白であるが、少なくともアオイには、このようなショックがあったことは、事実であった。
それから、アオイには、まだまだ何か得体の知れないパワーが全身に迸るのを感じてはいたが、いつもと変わらないように、注意を払いながら、歩くようにした。まだ学校は始まっていない。雨上がりで、水溜まりがある。それを平静を装いながら避け、歩いていくが、やはり、自分には嘘はつけないようだ。鳩や雀、鵯、メジロ、ハクセキレイなどの囀ずりから明らかに金粉がまかれている。花は、永久を夢見て、憧れている。空の青はどこまでも澄んで、雲を自由に遊ばせている。天衣無縫と呼ばれている一枚織りの麗らかな光の匙が投げ込まれる。今日は、少し気がおかしくなったとアオイは、想ったが、学校に遅刻するわけには、いかないので、不思議な脈を打たせたまま、なんとかひたすら、通勤通学ラッシュの人々に、ぶつからないよう、最寄り駅に向かっていった。
2
つり革が人の手で犇めき合っている。スーツ姿の人々の隙間から見える、車窓に目を向ければ、朝のどこか忙しい家々や街並が通り過ぎていく。遠くに目を向ければ、それらを包みこむように、太陽が照らしている。
「アオイはさあ好きな人いるの?」
「えっ」
「いやあ、ちょっと気になってさ」
アオイは照れを隠そうとしているのか、一度、髪の毛をグシャグシャと握ってから、口元を少しこわばらせて言った。
「ああ、いるよ!いるいる」
意外なほどアオイの正直な返答に、驚きながらも、ハヤトは言った。
「差しつかえがなければ教えてくれ、いいや、教えろ!」
アオイはつり革を上下左右に、遊ばせながら言った。
「ええどうしよっかなぁ…」
「どうしようもないよ、なんていったって、オ・レ・か・ら・の頼みなんだから」
「はぁ…ハヤト、ハヤトかぁ。ハヤトは口を滑らせそうなんだよなぁ」
ハヤトは少し阿呆な顔になって、口をつむんでから、言った。
「オレの口は鋼鉄だぞ!口も裂けないが、言いもしない」
ハヤトの目を睨んでから、アオイは言った。
「こりゃあ~言・え・な・い・なっ!」
「あはははっ!!」
3
チャイムが鳴った。机の足がタイルに擦れ、ローワァーの闊達としたリズミカルな音、ざわつく生徒の声のアンサンブル。アオイは誰かに呼ばれたような気がして、ふと立ち上がってから、黒板と反対側にある、ロッカーの方に目を向けた。そうすると、まっすぐこちらを見つめてくる者がいる。しかも、その者が、次第にこちらに近づいてくる。ヒロムくんだ。
「今日は、アオイに渡したいものがある。」
「うん?」
「ぼくには、分かるんだ。今日のアオイは、違う。」
差し出されたヒロムの手のひらから、不思議に青く輝く石がアオイの瞳のなかに映った。
アオイは、その石を見た瞬間に、朝の不思議な体験を思い出した。そういった心情を隠すつもりはなかったが、とりあえず、口を走らせた。
「へぇ、なんだかラピスラズリみたいな石だなぁ」
そのアオイの様子を見てから、ヒロムも確信に変わって、突き出すかのように、もっとアオイの近くまで石を差し出してきた。
「今日の夜、寝るまえに、この石を枕元に置くといい。是非、置いてみてくれ」
アオイも、大事に、丁寧に、その石を自分の手のひらに乗せてから、ヒロムに差し出された袋のなかに締まった。
「おお、ヒロムありがとう!今晩やってみる。必ず」
4
机にはノートや本が広げっぱなし、服が1、2枚脱ぎっぱなしになっており、貼られているポスターや置いてあるものもこれといって、統一感の無い少々乱雑な自身の部屋のベッドの上で、アオイは寝転がった。今日を振り返ってみても、力強い不思議なヒカリ…コトバを体験したし、授業中もなんだかいつも以上に集中できた。それに加えて、ヒロムにはこの石を与えられた。なんだろうな、今までにはない1日だった。もしかしたら、子供の頃によく感じていたものなのかも知れないけれど、17才になった今、とにかく特別だった。今後の進路についても、考えていかなくちゃならないことは分かってはいるが、今日、もしかしたら、その進路というものを決定づけるかのような体験であったかも知れない…。少なくとも、自身にしか流れていない何らかのエッセンスが蠢いた!これは、何かのチャンスだ!しかもなんだったんだ、ヒロムのあの表情は!ヒロムは、ぼくが思っている以上に、この世界の奥底に眠っている真相というものをキャッチしている人なのかも知れない!そうだ、そうにちがいない!でなければ、このタイミングで、この不思議な青い石を渡せるわけがない!!
アオイは、やや興奮気味ではあるが、ヒロムからもらった不思議な青い石を枕元に置いて、部屋の証明を消した。暗くなった部屋の窓からは、かすかに月や星々の光がアオイの頬や額にこぼれ落ちていた。
5
草原にいた。頭上には、白い太陽が輝いて、そこかしこを優婉に照らしており、足元にも咲いている幾つかの花々に、その爛々とした光が集まりたそがれている。アオイは昂揚して、思わず草原を駆けたり、ジャンプした。すると、見たこともない美しい生き物や可愛らしい天使が飛翔している姿が目に映った。加えて、聞いたことのないハーブのような旋律が響き渡ってきた。アオイは次第に、正気に戻っていき、ふと、あることを思った。ここは…。すると、アオイの目のまえに青い目をした1人の天使が現れた。
「こんにちは、あなたがアオイさんですか?」
「そうです。なぜ名前を?」
「神様から話しは聞いております」
「そうなんですか!…」
「アオイさんの聞きたいことは、このようなことでしょうか…。ここはどこなのか」
「そうなんです。ここは天国ですか?」
「はい。ここは天国です!」
アオイは血相を変えて驚いた。
「これからアオイさんに、天国をご案内致します。わたしに着いてきてください。」
「はい。」
それからアオイは青い目をした天使に連れていかれ、天国の様々な場所に案内された。水晶の泉や虹色の滑り台、クリスタルの城、宝石のように煌めく花畑、七色の山、調和的な美に包まれたパーティー会場などなど、アオイはその美しく彩られた光景に次第に心が清められ、よろこびが溢れてきた!
アオイは高鳴るままに天使に言った。
「ぼくも、いつか、この場所に住んで働きたいのです」
青い目をした天使は、くるっと宙で1回転してから、アオイに言った。
「それは、天国でも嬉しいことです。是非、共に暮らし、共に働きましょう」
「では、どのようにすれば、よいのでしょうか?」
「わたしには、分かります。アオイのその憧れの心と日常生活における実践があれば、今度は、青い石の力が無くても、ここに訪れることができます。そのようになれたとき、わたしが大天使様にお話しをしましょう」
アオイは一度深々と頷いてから
目を光らせて言った。
「ありがとうございます!次に会うときは、ぼくも天国で働かせてもらいます!あの…お名前は?」
「名前はとても大事なものです。ですから、むやみやたらには明かせませんが、アオイさんになら、友情の証として、お教えしましょう。わたしの名前は、フィルー、フィルーです」
アオイはその場で飛び跳ねたくなるほど、嬉しくなった。
「フィルーさん、フィルーさん!なんですね!大切な名前を明かして下さって、ありがとうございます!これからもよろしくお願いします!」
「フィルーでいいよ、これからは友達だから、敬語はよそう」
「うん!分かった!フィルー、フィルーよろしくね!」
こうして天使のフィルーとハイタッチをすると、次第に夢から覚めていった。夢から覚めていくときに、全身には不可思議な昂揚感と波動のようなものが流れており、それを逃さないように、抱きしめ続けるように、白い天井を見つめ続けた。これをしばらく続けたのちに、この天国の夢の体験を、心の奥深くに楔を打つかのようにノートに綴った。
6
校舎は夕焼けに染まっている。多くの生徒が帰っていくなか、ハヤトとアオイは今、校門を通り抜けたところだ。これから少し離れた最寄り駅に向かっていく。
「なんだか、アオイは最近変わったよな」
「なにが?」
「いやあ、なんていうだろう…、イキイキしているというか…」
「うん…自分でも、とあるきっかけが実はあったんだ」
「へえ…とあるきっかけねぇ…、彼女が出来たんだろ?」
「え、そんなことはないよ」
「嘘だ!おまえには彼女が出来たんだ!オレには分かる」
相変わらず、ハヤトは阿呆な顔をして腕を組んでみせた。
「いや、実はさ、まあ…、やっぱいいや、今度話すは」
「やっぱり、なぁ…、おまえばっかりズルい!」
アオイは天国の夢の体験をした日から、日常生活は変わっていった。あの日の朝のような不思議な力が帯びた日が、しばしば、訪れるようになり、しかも、あの日の朝よりも、前進した何かを学び、感じるように導かれていった。当たりまえの日常のなかにある、見えざる奇跡の息吹きを敏感に、キャッチするようになっていった。これが一体感の回復というものだろうか?その度に、アオイは、ノートに綴ったり、時には、詩のようなものも書いたり、それを可能な限り行動に移し、実践するようになっていった。これらの変化はきっと神様や天使のフィルーが導いてくれているんだと、思うようになった。
ヒロムから渡された不思議な青い石は、ヒロムに返すことにした。ヒロムによれば、この不思議な青い石の効果は、人生で一度しか使えないらしい。しかし、その一度だけで、充分なほどの夢の体験が約束されるそうだ。十人十色でヒロムの場合は、天国の夢ではなかったようだが、ヒロムにとっても、今もなお、そうしてこれから先にも息づいていく重要な何かを体験した夢であるらしい。
天使のフィルーが言ってくれた、「憧れの心と日常生活における実践」これに留意し、日常生活を見直していった。気付けば気付くほど輝くものがあり、また、次のステージを神様が日々の出来事や心やアイデアを通して伝えて下さっているように、思った。
そんな日々が続いたとある日の夢のなか、再び、あの草原に降りたった。
7
「待ってたよ、アオイ!」
「フィルー、フィルー!」
「元気だった!?」
「そうそう、不思議な感覚だったんだけど、いつも日々のなかで、フィルーや神様に導かれていたように、感じたんだ。」
「ふふっ、じゃあ、これから大天使様のところへ一緒に向かおう」
「うん!」
こうしてアオイはフィルーと再会を果たし、大天使様がおられる場所まで向かうことになった。なんでもフィルーの話しによると、ダイヤモンドの川を越えた辺りに、天使達が待っていて、そこに行くと、天使達が大天使様のところまで運んでくれるらしい。
アオイとフィルーは先ずは、ダイヤモンドの川まで向かっていった。
「フィルー、大天使様はどんな天使様なの?」
「大天使様には、主に、アークエンジェルと呼ばれる、四人の大天使様がいらっしゃるんだよ」
アオイはそのアークエンジェルと聞いただけで、心に、なんとも言い難い、震撼が走るのを覚えた。
「おお…なんだか分からないけど、凄いね!」
「そう、それで今回お会いするのは、そのうちの1人の大天使様なんだ」
「うん…、分かったよフィルー!誠心誠意を尽くして、お会いします!」
それからアオイとフィルーはダイヤモンドの川まできたが、そこには大船があり、翼の生えていないアオイはその大船に乗ることにした。フィルーは受け付けの天使や大船を操縦している天使に挨拶をして、アオイと同乗した。
「うわ~~、それにしてもキレイだなぁ」
「この、ダイヤモンドの川は天国でも五本の指に入るくらい大きく美しい川なんだよ」
「ところで、フィルーはさあ、天使のなかでもどの系統の天使になるの?やっぱり系統とかはあるの?」
フィルーは、アオイを疑うこともなく、話しはじめた。アオイはこの様子を見て、なんとなく、信じるよりも、愛するほうが、高尚なものなんだと、分かったような、気がした。
「わたしはね、旅系の天使なんだけど、アオイは、コミュニケーションや伝達、芸術の天使の系譜に属しているんだよ。」
「へえ~!ぼくにそのようなルーツがあったんだ!!」
「人は輪廻転生をするんだけど、その転生のなかでも、系統のようなものがやっぱりあるんだ。その系統のルーツを遡ると、さっき話したアークエンジェル様のように、おおまかに4つの系統に分かれているんだよ。エレメントでいえば地・水・風・火に相当するんだ。ちなみにアオイは水でこれからお会いする大天使様も水。わたしは風なんだ」
「おもしろっ!そこらへんも知らべてみたくなるものだね」
そうこう話しているうちに大船はダイヤモンドの川を渡りきった。フィルーとアオイは船を降りて、さらに東の方角へと向かっていった。しばらく歩いていくと、右手にエメラルドの湖が見えてきた。それを確認したフィルーがアオイに言った。
「もうすぐだよ、もうすぐ」
天国だからであろうか、地上でいうならば、かなりの距離を歩いているアオイであるが、さほど、疲れを感じていない。それどころか、歩けば歩くほど快活になってくる。
「うん!楽しみ」
アオイは楽しみとは言ったが、緊張感も無いわけではなかった。畏怖のようなものだろうか…。自身よりも、大いなる存在に出逢う機会というのはこれまでもないわけではなかった。しかし、今回このような境遇というものは、初めてであり、しかも大天使様ということで未曾有。この未曾有のなかで、アオイはフィルーと共に進んでいくのであった。
8
「アオイ!じゃあ、天使さん達と手を繋いで」
「こうかな、手、やわらかっ!」
「ははっ、じゃあ行くよ!」
くるくるとそれからぐるんぐるんと白い太陽に向かって天使達と共に舞い上がりはじめた。舞い上がりはじめると、これまで歩んできた道のりを一望することができたが、もはやそんな余裕はなかった。
「うわぁー!こりゃあ凄いやあ!!」
「わたしもひっさびさー!!」
そうして、またたく間に白い太陽の光のなかまで、回りながら飛ばされていった。すると、青い翼の大きな天使が現れた。ここでアオイ達は、静止し、天然自然というべきか、超自然の力というべきか、気が付いたら、頭を垂れて、それから跪いていた。
「よくお越し下さいました。アオイさん、フィルー。わたしは、大天使ガブリエル。顔を上げて下さい」
「はい」
「これからアオイさんには天国で働いてもらいます。でもそれは、地上でも行ってもらうものでもあります。」
「はい」
「天国の様々な場所で、先ずは、週に1回働いてもらいます。その代わり、地上では週に7回なのです。言われている意味はお分かりですね」
「はい」
「最近のアオイさんの日常生活は、天国の住人のようになってきました。その調子で、友と仲良く、励まれて下さい。地上を天国のような、愛の国にしていきましょう」
「はい。畏まりました。ガブリエル様。出来るかぎり、精一杯努めさせて頂きます。今後も、お導きお見守り、宜しくお願い致します。」
「はい。ではまたお会いしましょう。その日まで、アオイさんに、神様のご加護がありますように」
そうして、アオイはまた、不可思議な昂揚と心に沁みる何かを抱えたまま夢から覚めた。その目からは、涙が溢れ、白い天井がぼんやり滲んでいた。
9
大天使ガブリエルとの交流以降、アオイは夢のなかで、天国で週1回働くようになった。天国の遊園地のような場所やダイヤモンドの川に浮かぶ大船の受け付け、パーティー会場の案内係、地上に天上のエネルギーを運ぶ梯子係などなど、実に様々な天国のアルバイトを経験するようになった。その度に、この天国での体験を自身の血肉にするためにも、日記に綴ったり、天国で教わったこと、ヒカリやコトバを地上に持ちかえって、試行錯誤で実践したり、研究したりもした。とにかく、モノクロームもモノクロームの良さがあるけれども、日々が彩りに溢れ、色彩が伸びて、心が弾み、楽しくなっていった。別に、奇を衒ったり、変わったことをしようとも思ってないのだけれど、何気ない日常がなんだか、神話のように感じた。




