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人間神格/流動

『人間神格』


物心がつくようになった頃、わたしは光が届きづらい世界に産まれてしまったような気がしました。アスファルトは曇よりとしていて、街を歩けば、ゴミが散らばり、大人という巨人達にすれ違い、何だか馴染みのない臭いのなかで疲れを感じてしまう。そんな中で、父や母の愛情や天然自然の(かお)りだけが、不思議で鷹揚(おうよう)とした光をこぼしていました。がしかし、年を重ねてくると、次第に、それだけではないような、とある感受性が芽生えてきたことも事実であります。

たとえば、このように…

朝目覚められること、震撼するほどの朝の目覚め!鳥達が日の黄金を讃美するように囀ずり、ささやかな、けれども決して途絶えることのない永遠の歌を、その波紋を、空気に伝わせて、木の葉にさえ、光を集めながら歌っているようです。ここに命が有り、生きているということが、どうしようもないほどの狂おしい夢のようで、奇跡のようで、また、その言葉では頼りなく、この刹那によぎる、悲しみや苦しみ、よろこびや平静、生と死、精神による生け贄やイニシエーションまたは再生や循環といったものが、なにひとつとして不要なものはなく、説明したところで、説明し尽くせないものなどが、泉のように心から湧いてくるのです。


神様のふところに隠れられるような、あたたかな布団から起き上がれば、わたしを底から支えてくれている山毛欅(ぶな)の床、喉が渇けば、その生命の源のような透きとおる水を留め、わたしの命に繋げてくれるコップがあります。ふと窓越しに眼を移せば、駆け抜けるように澄んだ世界を繋いでいる1つ青い空と、幾つかの白い雲が飾り、家々や道を歩く人々、遠くからは風を遊ばせ線路を走る電車の音が聴こえてくるかのように、覗き込むことができます。それらが、また、全て自分に関連しているだけではなく、他人事には想えないほど胸に迫りきます。想い返してみれば、どうしようもなく苦しいときや悲しみの淵にいるときに、そっと、手を差し伸べて下さった人の手が、神様の手のように、素直に感じたことを思い出しました。なんと!もったいなく贅沢なことでしょうか!


想いと精神の血の涙を込めて、なにか、物事に取り組み、生活に投入し、実践していくと不可思議な力が流れはじめ、その光彩のようなものによって、かのおとぎや神話が息を吹き返すようになってきます。今日も、まばたきをするこの瞬間も、名もないような野花にさえも生命の前進が着々とその古代からの命脈というものが、日々導かれ、訪れていくなかで、わたしは、この世界にある全てと一体であったことを心の奥深いところ、たとえば、魂と呼ばれている、赤子や幼子のように無垢で、それでいて最も力強いものから、想起するような感覚がしばしば走るようになりました。


全人類、地球や宇宙の千尋(せんじん)、隅々までの万有、目には見えない世界、あの世も含めて、この世界は、ひとつの体であり、ひとつの心であり、ひとつの花、ひとつなる命、ひとつなる家族、ひとつなる詩、、なんということだろう!生きているということは!また、分かち合えるということは!神話とは、遠くにあるものではなく、もっと近くにあり、日常にあり、また、この心の聖堂で、今も、息をしているんだ!!


このように、ふと、幼い頃に感じていたものでさえ、様々な体験やご縁、季節を経て、1輪の花が次第に咲いていくように、ゆっくりと成熟し、成就し、自身の固有の総合の花が成長してきていることに、気付きだしております。光が戻ってきているのです。それは、有り難く、また、計り知れないほどの神様からの愛の恩恵を感じざるおえません。


この世界では、只今、疫病が流行ってはいますが、わたしはこの疫病さえも、不要なものではなく、人々の心や生活習慣を調整し、改善させる、神様からの恵みのように、想ってしまうのです。神様が人々に授けた心の良薬ではないかしら。こんなことを言ってしまう、わたしは、心が、ふれているのでしょうか?もしも、社会から正常ではなく、ふれており、あるいは、精神病であると見なされたとしても、このように、自分の精神に閃き、授かった確かな光やその体験の数々を、今後も、よろこんで大切に育み、信じ、また、信じる以上に、愛していきたいと想います。愛、そこには、無関心という言葉はありません。本当の自由と秩序、貢献があります。わたしが、愛され、助けてもらえたように、今度は、世界の全てを、出来るかぎり、関心を持って、わたしは愛していくのです。


【スケッチ】

○人間には奥深く、計り知れない可能性がある、と、素直に感じることがあるため。

○先天的なものに注目する本来の帝王学のニュアンス。

○超作という、人間に宿る、最高最大の可能性に注目。イエス・キリストの「幼子のようになりましょう」のニュアンス。

○窮地に陥ったり、苦しみの淵にいるその時、そっと手を差し伸べられると…、その人が、神様や救世主、あるいは仏や千手観音、アテン神の光の手のように感じることがあるため。

○全開への道

○可能な限り、人間神格化。但し、神々レベルが最高段階。根源の源であられる、唯一神は、人間よりも、極小であり、極大であり、明らかに偉大であるため。

○自身に内在し、祭られている神や神性に注目。仏性と言っても、キリスト意識と言っても、アートマンと言ってもよい。自身のその時その時に、しっくりくる言い方でよい。

○愛の反対または、対義語は、無関心かも知れない。命に関心が無いことが無知や無明を呼ぶ。無知の知まで、到達すれば、それは既に、関心の世界に突入している。

○自分を見つめれば、期せずして、他を見つめられるようになる。

○悲しみはやがて慈悲になり、苦しみはやがて知恵になる。

○人が、しあわせになるためには、いつでも、自身に内在する、天国の門を叩き続ける必要がある。

○ほのぼのタッチについて。また、感涙の感激に、神様の手がかりがある。

○プロセス重視。結果は1つのプロセスに過ぎない。結果に、あまり頼らない。

○日々の日常が神話である。

○新時代に備える。


『流動』


カーテンが陽の光に挨拶をし、光の螺旋が奏楽して、一緒にワルツなどを踊ったりしながら、ときどき風船のように膨らんでいる、とある日の朝。



ぼくは夢で見て体験した、様々な出来事や奇跡、魔法のようなものに、突き動かされて、ベッドから飛び跳ねて起きた。



この世界には

きっと、秘密が隠されている。



階段を降りていき、一度まだ誰もいないリビングを見渡したが、この不可思議な勢いのまま、玄関の扉を開けた。



そのまま、この感覚のまま。

注意深くこの世界の息吹を感じながら歩いていった。歩いていくと、ふつふつと詩のような言葉が思い浮かんできた。言葉は様々に変化した。言葉が炎のようになったり、花のようになったり、お城のようになったり、不可思議な紋様になったりした。そのどれもが、天国のような色彩や音楽に感じた。これは、さっき夢で見た魔法の余韻であると、すぐに、分かった。この感覚を頼りに、先ずは、近所を手当たり次第歩いていった。すると、この詩のような流れが、「川」を指し示すので、近くにある川に向かって歩いていった。すると、その途中にある花々が、踊っているように見えた。踊って微笑んでいるのだから、名前や性質を知りたくなってきて、スマホを取り出し、調べはじめた。



スマホの画面の世界から、文字や画像が浮かび上がり、その花にちなんだ、文化的背景なども、調べることができた。ツタンカーメンの墓にも供に埋葬されていたり、マリーアントワネットが好んでいたり、ドイツロマン派の精華と名高い『青い花』という作品のモデルの花であるとさえ、言われている。



しかし、実際その「ヤグルマギク」という花の力というものは、もっと崇高であるように、ぼくは感じた。もっと、この花の天稟(てんぴん)というものは、力強く、計り知れないだろう、と。その後も、様々な花々や鳥に導かれていった。この世界の多様性にも驚かされたが、それと同時に、人間の世界の限界も感じた。



限界というのは、どうしても、その先は、神様が取り扱われている範囲のことである。有名な諺もあるが、「人事を尽くして天命を待つ」と、云われてきているとおり、天命の不可思議さを(おそ)れた。どう足掻(あが)いても、山の頂上には、辿り着けないときも、あるものだ。



こんなことも新鮮に感じながら

「川」にたどり着いた。



「川」にたどり着くとカモが二羽泳ぎ、鯉が口を空け、鳩の群れがいた。その様子も、意味があるのだろうと人事を尽くし眺めていると、あることに、気が付いた。これもこれで、夢のような奇跡のような体験であり、魔法のようである、と。もし夢の世界が生きている割合の大半を占めていたら、夢が、現実界になり、現実界が夢になっていくのだろう。このバランス感覚や天秤がどちらにも、妙に揺れながら、表裏一体となり、「今、という世界」が紡ぎ出されているのだろう、と。



ハロー、お伽噺(とぎ)の日常さん。



なんだろうか、「今、という世界」を生きているのだから、実は、今、メルヒェンの国に生きているのではないか、何故、日蝕(にっしょく)が起こるのだろうか、誰か説明出来ますか?太陽も月もあんなに規模が違うのに、この瑠璃のような星から観れば、美しく、ひとつ、に、重なり合う、だ・なんて。



何か、調和をしている世界なのだろう。一見すると無関係そうな事柄も実は融和しており、見事に繋がっているのだろう。え、この世界をシンプルに誉めたくなってしまっている自分。



「川」よ、あなたは本当に「川」なのですか?

そうも争わず、ただ、重力に逆らわず、魚やプランクトンを育てあげる「川」よ。たとえば、「山」さえも「川」というものを讃えている。「川」よ、何故、そんな小さな砂利に、あなたを垂らしているのですか?生きものたちへの、憐憫(れんびん)というものなのでしょうか?ああ、きっと、この「川」は詩でもあるのでしょう。なんでも、流れていきます。流されないものは、空にある太陽さんだけでしょうか?否、太陽さんもくるくると自転をして、流されているではないですか…!

なんだか、この世界は流れている世界なのですね。

「不動と流動」という視点から見れば、今、ぼくは、「流動」をパワフルに感じやすいのでしょう。

なんだか、友と、もっと話したくなったなぁ。



では、一度、朝食をするか…

また来るね、「川」さん。



帰ろう。

帰ろう。

帰るって、どこへ。



やはり、よろこびの源や生命の本源のようなところでは、ないのかしら。



あ、また、「ヤグルマギク」さんとお会いしました。

きっと、縁が深いのでしょう。

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